阿佐ケ谷駅北口から歩くこと1、2分、北口のアーケードを抜けた右側に、1910(明治43)年開業のカナモノワタナベがある。1947(昭和22)年に発表された太宰治の小説『斜陽』に、「阿佐ヶ谷で降りて、北口、約一丁半、金物屋さんのところから右へ曲って半丁」と登場する、老舗の金物屋である。1丁(1町)=約109mという距離から、「北口、約一丁半、金物屋さん」として太宰はこの店を意識していたのかもしれない。
現在の店主である渡辺治さんは、大学卒業後に百貨店で働き、1998(平成10)年より4代目として店を支えている。治さんの曽祖父・庄三郎さんや曽祖母・まささんが開業した当時は瀬戸もの(陶磁器)屋「渡邉商店」だったが、2代目からは金物屋として多くの日用品なども扱うようになった。開業時は治さんの曽祖母が、戦後は祖母が、そして現在では母親の純子さんが「看板娘」として、歴代店主と共に店を切り盛りしてきたとのこと。治さんによると、「戦前の建物は軍用道路拡張のため取り壊しになり、1953(昭和28)年に新しい建物ができるまでは営業できずにいた」という。金属が不十分な時代は、金物屋にとっては厳しい時代であった。なお、戦後の建物も2005(平成17)年に現在の店舗に建て替わるが、そのときには「瓦の屋根がなくなり寂しくなる」と客から言われたそうだ。
店外にも多くの商品が並ぶ様子からは、客のさまざまなニーズに応えたいというカナモノワタナベの気持ちがくみ取れる。最近ではあまり見かけなくなった、地元に密着した金物店の話を伺った。
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カナモノワタナベの店内にぎっしり積み上がる商品は、約8,000点にも及ぶという。また、漬物容器や鍋、フライパン、グラスなど、同じ種類でもサイズが豊富にそろっている。通常、小売店は問屋から同じサイズの商品をまとめ買いして商品を安く仕入れるが、カナモノワタナベは懇意の問屋の協力により少量でも安く卸してもらえるため、さまざまなサイズがそろえられるそうだ。取り扱っている商品もユニークである。治さん自身、常にテレビや雑誌から新商品情報を入手しているが、馴染みの客から「こんな商品はないの?」と教えられることも珍しくないとのこと。ストッキング状の水切りや、楽におろせて汁も分けられる大根おろし器などは、客から教えられて店に置いたらよく売れたため、定番の商品として取り扱っている。そのような商品には、手書きPOP、消費者目線での長所やその商品を使ってできることなどを書いた店オリジナルの解説を添えている。「お客さんに、使ってハッピーになってもらいたい」というカナモノワタナベの想いでもある。
冬の湯たんぽ、夏のすだれなどの季節商品であっても、基本的にはどれも通年で扱っている。理由を聞くと、「例えば、年末の大掃除ですだれを新しくしたいというお客さんの要望が意外と多い。季節に関係なく、お客さんの要望に応えたい」とのこと。また取り扱い商品で一番大きいものは何かと問うと、「物置です」という答えが返ってきた。スペースの限られた店内では物置は陳列できないが、客のリクエストに対しアドバイスすることは可能である。「私に相談があった後、お客さんがよそで実物を見られ、結果、当店で購入してもらったことがある。信頼してもらってうれしかったですね」と治さんは話す。「とにかく、いろいろなところから、いろいろなものが出てくるから、なんでも聞いてほしい」
カナモノワタナベでは「カナモノ通信」というミニコミ誌を制作し、2~3カ月ごとに1,200部ほど発行している。店頭での配布のほか、かつて阿佐谷に住んで引っ越した方々の「阿佐谷の様子を知りたい」という要望に応えるため、郵送もしている。「カナモノ通信」の内容は、新商品の紹介のほか、地元阿佐谷の様子や、店で働いている人たちの雰囲気が伝わるものになっている。「お客さんに当店やこの土地を知ってもらい、ファンになってほしい」という治さんの編集方針で、プライベートな話題も載せている。また、一方的に紹介する媒体としてではなく、客とのコミニュケーションツールとして活用している。「カナモノ通信」の記事が、客との会話の糸口になることも多い。「コストもかかるし、結構大変」と治さんは笑うが、手描きのイラストあり、客からの投稿もありと、ぬくもりが感じられる通信となっている。
カナモノワタナベは、阿佐ケ谷駅北口の約100店舗からなる「阿佐谷商和会」に加盟している。およそ60年以上の歴史がある商店街で、今も「頼れる“町の専門店街”」として、多くの専門店が集まっている。「阿佐谷商和会」のウェブサイトもあり、治さんは「通信費のコスト削減にもなるし、情報の更新も簡単にできる」と、店や商店街のアピール手段として積極的に利用したいと考えている。
「こんな商品が欲しいな」と思ったとき、専門店に相談しない手はない。カナモノワタナベは金物のプロというだけでなく、長年この土地で商いを続けて築いた地元のネットワークも持つ。阿佐谷を訪れる機会があれば、ぜひ店をのぞいてみてほしい。商品を眺めているうちに、買い忘れていたものを思い出したり、使ってみたいと興味をそそられるものに遭遇したりする。使い勝手のよい商品は、日ごろ意識することの少ない「物を使う喜び」をもたらしてくれることだろう。