2006(平成18)年、「すぎなみのアニメキャラクター」の公募が行われた。最優秀賞を受賞したのは、東京藝術大学の学生だった五味由梨(ごみ ゆり)さん。応募作品のなみすけは、区の公式アニメキャラクターとして、今やすっかりおなじみとなった。多くのファンに愛されているなみすけについて、作者の五味さんはどのような思いを抱いているのだろうか。なみすけ誕生にまつわるエピソードや、デザイナーとしての活動などについて伺った。
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杉並区で生まれ育った五味さん。小さい時から絵ばかり描いている子供だったが、両親は「どんどん描きなさい」と、壁にお絵かき用の白い紙を貼って応援してくれた。しかし、小学生になっても相変わらず絵ばかり描いていたので、「勉強もしなさい」と言われるようになったという。「その頃から、絵を描いてても怒られない大人になりたいって思いました」
子供の頃、今となって思えば「子供らしくない絵」を描いていたそうだ。「見たものをそのまま再現しようとしていました。小学2年生の頃、海に行った思い出を残そうと、波の崩れていく様子を一生懸命線画で描いたり、動物園では檻(おり)の方を熱心に描いたりしていたので、小さい時はそんなに絵を褒められませんでした。でも高学年になってからは、美大出身の先生が(芸術方面に進むのが)合っているかもと言ってくれたことがあります」
そんな五味さんが美大に進もうと決めたのは中学3年生の時。文化祭のポスターに自分の絵が採用されたのがきっかけだった。「美術の先生に指名されてポスターの絵を描くことになりました。原画を描いているときは、誰かが待ってくれていることがうれしくて、徹夜するほど夢中になれました。出来上がった作品を持っていくときもわくわく。文化祭がきっかけで、絵を描くことには需要と供給があることを知って、勉強してみたいと思いました。これを仕事にできないかなと」
それからは初志貫徹。描くことを将来の仕事にするため、高校から美大受験にターゲットを定めて勉強を始め、東京藝術大学に進学した。
美大のデザイン科に在学中から、自分の作ったものを少しでも早く世に出したいと、積極的にコンペに参加していた五味さん。その折に見つけたのが、地元・杉並区のキャラクターの公募だった。その結果、250件以上の応募作品の中から最優秀賞に選ばれたのだが、不安もあった。アニメやキャラクターの専門家による審査では面白いと選んでもらえたが、果たして区民に受け入れてもらえるのか。「定着せず、すぐ消えるかもしれない……」。だが、そんな心配をよそに、なみすけたちは生き生きと活躍している。「歴代のなみすけ担当の区の職員の方が、普及させようとがんばってくださったおかげだと思っています」。
受賞後は、区の職員と一緒に細かい設定も考えた。なみすけは妖精年齢20歳ということになっているが、これは当時の五味さんと同じく「決して子供ではなく、かといって大人にもなりきれていない年齢にしたかったから」だという。なみすけファミリーとして、なみきおじさんと妹のナミーも生まれた。
なみすけたちは、特に子供や女性に人気があるが、その理由として、五味さんは「幼稚園くらいの子なら自分で描けることにあるのではないか」と話す。たしかにシンプルな造形はまねしやすく、丸いフォルムは安心と好感を生むようだ。「電車の中などでなみすけグッズを持っている人を見かけると、うれしくて思わず原作者だと名乗って握手を求めに行きたくなります。でも“こんな人が描いてるんだ”と夢を壊しちゃ悪いかなと思ってやりません」と、五味さんは冗談っぽく笑う。なみすけ関連のイベントに招待されて行っても、原作者だとはまず思われないのだそうだ。
五味さんは大学院在学中に、イギリスの美大に2年留学した。そこで、五味さんの曾祖母が1966(昭和41)年に旅したというヨーロッパを、祖母の記念写真と同じ場所で五味さんも写真を撮りながらたどって修了制作とした作品が、「2013芸大デザイン賞」を受賞した。「ヨーロッパのデザインがどういう暮らしの中から作られてきたのか、肌で感じることができました」。北欧も旅し、「寒い国では、家の中を快適にするためにテキスタイル(※1)やプロダクト(※2)などのデザインが発展する」と実感したそうだ。
卒業後はデザイナーとして商業デザインの道に進んだ。「視覚的に伝えることやビジュアルコミュニケーションに興味がありました。絵を描くことも好きだけど、それだけをやっていたいというよりは、そのツールを使って人を楽しませるとか、役に立つものを作ることを仕事にしたかったので」
フリーとなった現在は、グラフィックデザイナーとして活躍中だ。主な仕事としては、企業や店舗のロゴデザイン、ポスターやリーフレット、パッケージデザインなど。その作品はキャラクターデザインとは異なり、写実的なもの、前衛的なものも見られる。「デザイナーは仕事次第でいろいろなイメージを作ることを要求される職業。アーティストだったら作風を極めていくのが大事ですけど、デザイナーとかアートディレクターというのは、クライアントが必要としているものを制作するのが仕事なので」。自分の作りたいものとの葛藤はないのかと聞いたところ、「デザインの経験をもとに方向性の提案はしますが、最終的にはみんなの役に立てればいいと考えています」ときっぱりとした答えが返ってきた。
※1 テキスタイル:織物や布地
※2 プロダクト:製品・生産品・製造物。特に工業製品
一方で五味さんのオリジナルの作品も制作している。その一つが「エルサルフロシキ」だ。「仕事に没頭する日々を過ごしたデザイン事務所を家族の転勤で退職して、エルサルバドルに行きました。その国が危険すぎて、外を出歩いちゃいけない感じの国だったんですよ」。中米にあるエルサルバドルは、九州の半分ほどの広さだが、2015(平成27)年の10万人あたりの殺人発生件数が世界1位という調査結果もあった。「家の中にいることが多く、時間があるから何か作ろうと、自主制作でフロシキ(風呂敷)をデザインしました。自主的に何か作るということにトライできたのが、中米に行ってよかったところですね。表現の幅を広げる時間を持てました」。1年間の滞在中に見た現地の花や果物、国鳥のトロゴスが、フロシキを色鮮やかに彩っている。
また、なみすけ関連の仕事も一貫して続けている。2018(平成30)年4月には、五味さんがデザインした「なみすけ一筆箋」が発売された。華やかながらも仕事にも使えそうな大人向けの柄になっている。「広告の仕事は、毎回一生懸命作ってもキャンペーンが終わると撤収しちゃう。でもキャラクターの仕事は、長期間で展開していってくれるのがうれしい」。今後は、絵本や模様のデザインなど、“モノ”として商品化され、世の中に長く残る作品も手がけたいとのこと。五味さんの活躍は自身の公式ホームページで見ることができる。
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取材を終えて
ライター自身、2歳になる娘共々、大のなみすけファン。きれいな方なので少し緊張したが、お会いして感じたのは、一見優しそうに見えて実は意志の強い方なのだろうなということ。この10年の間に2度海外に滞在するなど環境の激変もありながら、ずっとなみすけのPRに関わってくれていることもうれしく思う。
五味由梨 プロフィール
杉並区出身。中学生の時に美大進学を決意。2006年、東京藝術大学2年時、自身がデザインしたなみすけが区のキャラクターに採用される。アートディレクションの勉強のため、藝大の大学院に進学、大学院在学中にイギリスの美大へ留学。卒業後は、なみすけなどの仕事を個人で請け負いながらデザイン事務所に勤務し、広告などグラフィックデザインの仕事に就く。中米滞在後、2015年より東京でフリーランスのデザイナーとして活動。