大正末期から昭和30年代にかけて、杉並に路面電車が走っていたことをご存じだろうか。路線の名称は都電14系統。通称「都電杉並線」と呼ばれ、荻窪と新宿をつなぐ身近な移動手段として利用されていた。
2017(平成29)年、「すぎなみ学倶楽部」は都電杉並線の記憶や思い出を記録するため、「広報すぎなみ」で区民から資料や手記の投稿を募集。当時を知る方々から、多数の情報提供があった。それらを基に、都電杉並線が走っていた時代を振り返る。
都電杉並線とは
1921(大正10)年に西武鉄道の西武軌道線として、荻窪-淀橋(よどばし)間が開通。その後、東京都に買収されて都電杉並線(以下、杉並線)として運行を続けたが、営団地下鉄荻窪線(現・東京メトロ丸ノ内線)の開通により、1963(昭和38)年に姿を消した。
杉並線は新宿駅前を起点とし、終点の荻窪駅前まで青梅街道を約7.3㎞走行。全19停留所のうち、11停留所が杉並区内にあった(廃止時)。
長崎電気軌道で車両を動態保存
杉並線廃止6年後の1969(昭和44)年、昭和30年製の2000形車両が長崎電気軌道株式会社に譲渡された。現在、通常運行はしていないが、今でも車両は走行可能な状態で保存されており、事前に同社へ申し込めば貸切乗車ができる。
【区民投稿】藤崎博司さん
「私は1948(昭和23)年に、天沼1丁目(現・阿佐谷南3丁目)で生まれました。自宅からチンチン電車(補足1)の天沼停留所まで、30秒くらいで行ける距離でした。天沼停留所は道路の真ん中にあり、コンクリートで路面より一段高くなっていました。自分が小さかったからでしょうか。停留所はずいぶんと高く感じられました。
通っていた杉並第七小学校の前にあった塚原医院さんに行くときに一番多くチンチン電車を利用しました。そのほか小学校の課外授業で、チンチン電車を利用して蚕糸試験場まで行き、帰りもチンチン電車に乗って蚕(かいこ)を小学校まで運び、まゆになるまで育てたこともありました。また、鍋屋横丁停留所(※1)で下車して杉山公園(※2)の近くにあった能舞台の見学に行き、初めて狂言を見ておもしろかった記憶もあります。
当時、自宅があった天沼陸橋の付近には、いろんなお店がありました。北側には植木屋、たばこ屋、竹屋、南側には野村ポンプ商店、ラーメン屋、葬儀屋、キャンディー屋、つくだ煮の工場があったのを、今でも鮮明に覚えています。」
【補足1】
杉並線は、他の路面電車と同様に「チンチン電車」と呼ばれ、親しまれていた。杉並線が走っていた時代、高円寺2丁目(現・和田3丁目)に農林省蚕糸試験場があり、現在の区立蚕糸の森公園管理事務所付近には蚕糸試験場前停留所があった。
※1 鍋屋横丁停留所:現在の鍋屋横丁交差点付近にあった
※2 杉山公園:丸ノ内線新中野駅より徒歩約1分、北海道開拓に関わった明治の実業家・杉山栽吉の邸宅の跡地に造られた公園
【区民投稿】久保田明さん
「1945(昭和20)年5月から、和田本町(現・和田1丁目)に住むようになった。私が小学2年生だった1949(昭和24)年、通っていた和田小学校でシラミがまん延(※3)して、荻窪保健所で駆除の殺虫剤(DDT)の散布を受けるために杉並線を利用して荻窪まで向かった。その頃、終点の荻窪停留所は荻窪駅の南口にあり、天沼陸橋の完成後、駅の北口に移設した。
1956(昭和31)年5月、大相撲五月場所で、当時、杉並第七小学校の南側にあった花籠部屋(※4)に所属する大関・若ノ花が12勝3敗で初優勝した。父親から、優勝パレードが青梅街道を通るかもしれないと言われ、都電の鍋屋横丁の停留所まで見物に行った。停留所で待っていると、新宿方面から若ノ花を乗せたオープンカーが来た。現在、優勝力士は紋付羽織袴でパレードをしているが、若ノ花は、まわしだけで上半身は裸であった。通りすぎるときに叩いた若ノ花の肩が、すごく硬かったことを、今でも覚えている。」(補足2)
【補足2】
1956(昭和31)年5月、阿佐谷にあった花籠部屋の大関・若ノ花(のちの横綱・初代若乃花)が初優勝し、地元は喜びに沸いた。当時、花籠部屋の近くには杉並線の成宗停留所があったが、優勝パレードの車を一目見ようと多くの人が押しかけ、都電の運行がストップしてしまったと言われている。
※3 シラミがまん延:第二次世界大戦後、国内でアタマジラミとコロモジラミがまん延した。特にコロモジラミを介した感染症である発疹チフスの流行を防ぐため、学童らに有機塩素系農薬DDTの粉末を散布するシラミ駆除が行われていた
※4 花籠部屋:1953(昭和28)年、阿佐ヶ谷2丁目(現・阿佐谷南3丁目)に花籠親方(元・大ノ海)が設立した相撲部屋。1985(昭和60)年に部屋を廃業するまで、二人の横綱(初代若乃花、輪島)をはじめ、十数名の幕内力士を輩出した
【区民投稿】戸門(とかど)恵美さん
「私は1947(昭和22)年生まれ。我が家は阿佐ヶ谷(現・阿佐谷南)の青梅街道にあり、目の前を通る都電を見て育ちました。
母、弟と3人で、成宗停留所からガタン…ゴトン…と都電に乗って、新宿まで行きました。記憶では子供運賃で往復13円(※4)だったように思います。新宿の大ガードの手前にイノシシ料理屋(※5)があって、前を通るときに大きなイノシシがぶら下がっていたのが、子供心にショックでした。伊勢丹に行き、三平食堂(※6)で食事をして帰宅。小さな3人旅でした。
また、6歳頃になると母に連れられ、都電を新宿で乗り換えて銀座へ歌舞伎見物に行きました。母は、小学校卒業後、すぐに日本舞踊の藤間流のお宅でお手伝いさんとして働き、中央区新富町で青春時代を過ごしました。その後、阿佐谷の小さなガラス屋に嫁入りした母にとって、歌舞伎見物は日常を忘れる素晴らしい時間だったのでしょう。私にとっても、花道の下の階段を行ったり来たりして見た原色のきらびやかな舞台は、忘れられない思い出です。今でも赤い色が好きなのは、その時の影響だと思います。
都電のおかげで、幼い私が都心へ旅をすることができました。丸ノ内線が開通して杉並線は姿を消し、都内に残る路面電車は荒川線だけになりましたが、私の中の思い出は消えていません。」(補足3)
【補足3】
他路線の廃止により、1972(昭和47)年から東京の路面電車は都電荒川線を残すのみとなったが、昭和30年代まで、都電は郊外と都心を結ぶ交通網の主力の一つだった。都電は国鉄やバスに比べて運賃が安く、1つの路線(1系統)内で何駅乗っても均一料金だった。そのため、時間さえ気にしなければ気軽に始発駅から終点まで行けた。杉並線の場合、終点の新宿駅まで行き、乗り換えを重ねれば、都電のみを利用しながら銀座や月島、晴海ふ頭まで行くことができた。
※5 都電の大人片道運賃の推移(1系統あたり):1945(昭和20)年8月→10銭、1951(昭和26)年12月→10円、1956(昭和31)年2月→13円。なお1956(昭和31)年の営団地下鉄の初乗り料金は20円だった。2018(平成30)年7月現在、東京メトロの初乗り料金、都電荒川線の一乗車あたり運賃は、いずれも170円(IC165円)。
※6 イノシシ料理屋:新宿駅西口にあった、猪肉、熊肉などの専門料理店「栃木屋」
※7 三平食堂:新宿区角筈1丁目(現・新宿3丁目)にあった大衆食堂
【資料提供】伊藤昭久さん
世田谷区在住のアマチュアカメラマン・伊藤昭久さんは、1933(昭和8)年生まれ。切符などのコレクターだった明治生まれの父・義信さんの影響で、中学生の頃から鉄道やバスの乗車券類を集め始めたという。今回、「都電杉並線の思い出」募集案内を「広報すぎなみ」で見て、父から引き継いだコレクションを含む、昭和初期から昭和30年代の切符や記念乗車券など、貴重な資料を多数提供してくれた。
その中には、伊藤さんが20歳の時に使用していた、杉並線「荻窪ー新宿駅」区間の通学定期券もあった。「当時、すでに国鉄やバスの交通が発達していましたが、都電は何と言っても運賃の安さが魅力でした。例えば、この定期券を使っていた1953(昭和28)年頃、“荻窪-新宿駅”区間の運賃は、国鉄(中央線)20円、都バス15円に対し、都電は10円でした」と懐かしそうに語ってくれた。
▼伊藤昭久さんから提供していただいた切符類や昔の杉並を記録した写真など、貴重な資料の数々は以下に掲載
すぎなみ学倶楽部 歴史>歴史資料集
『東京都交通局100年史』東京都交通局
『よみがえる東京 都電が走った昭和の街角』三好好三(学研パブリッシング)
『東京市電・都電 宮松金次郎・鐡道趣味社 写真集』井口悦男監修(ネコ・パブリッシング)
『古地図ライブラリー別冊 古地図・現代図で歩く昭和30年代東京散歩』人文社編集部(人文社)
『目で見る懐かしい昭和の記録 昭和30年代の中野・杉並』(三冬社)
『東京都電の時代』吉川文夫(大正出版)
『都電の100年―Since1911 世紀を超えた首都軌道』イカロスMOOK(イカロス出版)
『東京オリンピック時代の都電と街角 新宿区・渋谷区・港区(西部)・中野区・杉並区編 昭和30年代~40年代の記憶』小川峯生・生田誠(アルファベータブックス)
『都電跡を歩く 東京の歴史が見えてくる』小川裕夫(祥伝社)
『大相撲杉並場所展―阿佐ヶ谷勢その活躍と栄光の歴史―』杉並区立郷土博物館
『新修 杉並区史 下』(東京都杉並区役所)
『東京都全住宅案内図帳 昭和37年度版 杉並区版』住宅協会東京支所編集局編 住宅協会東京支所
長崎電気軌道株式会社公式ホームページ http://www.naga-den.com/
みんなで作る都市観光サイトまるっと中野 https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/
ダンヘルスケア株式会社公式ホームぺージ http://www.danhc.co.jp/(「お母さんのためのシラミ講座」)
取材協力・資料提供:長崎電気軌道株式会社、西野良明さん、新川實さん、伊藤昭久さん、西村眞一さん