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宗延寺

荘厳な雰囲気の中に歴史が感じられる宗延寺。写真は観世音菩薩永代供養塔(写真提供︓宗延寺)

荘厳な雰囲気の中に歴史が感じられる宗延寺。写真は観世音菩薩永代供養塔(写真提供︓宗延寺)

寺名に人名が付いた寺院

報新山宗延寺(ほうしんざん そうえんじ)は、⼭号・寺号(※1)に、開創時に尽力した⼩⽥原城下の郷⼠、報新宗延(あたらし そうえん)の名が使われている。「篤信(※2)の方の名がそのまま寺名となるのは珍しいことです」と47世住職の嶋⽥教要(きょうよう)さんは言う。
後北条氏滅亡の混乱を逃れ、江⼾浅草に寺を再興した後、⾝延⼭久遠寺の江⼾三⼤触頭(※3)の⼀つとなり、「特別格式の寺」として人々の尊敬を集めた。
1919(⼤正8)年に現在の杉並区堀ノ内に移転。建造物は関東大震災や第二次世界大戦で被害を受けることなく、建立当時の様子を伝えている。静かな中にも風格の漂う寺である。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>杉並の寺社>堀之内妙法寺

吹き抜けの本堂内陣(※4)

吹き抜けの本堂内陣(※4)

祈祷(きとう)に用いられる鬼子母神像や妙見菩薩(みょうけんぼさつ)像

祈祷(きとう)に用いられる鬼子母神像や妙見菩薩(みょうけんぼさつ)像

声や喉に関する願いをかなえる「読経の祖師」

本堂に安置されている宗祖(※5)⽊像には、「昔⼩⽥原の農家で毎晩経を読む声が聞こえた。あるじが声の主を尋ねていくと⼟蔵の中で月光に照らされた⽊像を発⾒した」という逸話がある。そのため「読経の祖師」と呼ばれ、信⼼すれば声がよくなり、難病が治ると⾔われた。かつては、「江⼾⼗祖師」という、江戸にある著名な日蓮聖人の十像の一つとして、あつい信仰が寄せられ、江戸の歌舞伎役者や芸人の崇拝も深く、境内地には水鉢が奉納され、今に至る。
寺に宗祖木像の案内をお願いすることも可能。

本堂に安置されている「読経の祖師」。大人が抱えられるくらいの大きさで、穏やかな表情をしている

本堂に安置されている「読経の祖師」。大人が抱えられるくらいの大きさで、穏やかな表情をしている

客殿は大正天皇の御産殿を移築したもの(写真提供:宗延寺)

客殿は大正天皇の御産殿を移築したもの(写真提供:宗延寺)

四季折々の花々

宗延寺では移転当初より古代蓮を育てており、今では約80鉢が前庭にある。全ての鉢の土を掘り返さないと翌年にきれいに咲かないので、毎年、住職の家族が総出で作業する。⼿塩にかけた蓮は7、8⽉が見頃。
春は鬱⾦桜(うこんざくら)も美しく咲き誇り、初夏はクチナシが甘く⾹る。
縁に導かれるままに出掛けてみたい寺である。

宗派 日蓮宗
本尊 十界諸尊 日蓮聖人像

※1 山号・寺号:山号は寺院の名に冠する称号。寺号は寺院の名
※2 篤信(とくしん):信仰のあついこと
※3 触頭(ふれがしら):江戸時代、寺社奉行の命令を配下の寺院に伝達し、また、配下の寺院からの訴願を奉行に伝えるのを役とした寺。身延山久遠寺は日蓮宗総本山
※4 内陣:御本尊をまつるところ
※5 宗祖:日蓮聖人

非公開ではあるが、1684年に若年寄・稲葉正休が、大老・堀田正俊を刃傷した刀(初代虎徹)が寺宝として保存されている

非公開ではあるが、1684年に若年寄・稲葉正休が、大老・堀田正俊を刃傷した刀(初代虎徹)が寺宝として保存されている

DATA

  • 住所:杉並区堀ノ内3-52-19
  • 電話:03‐3315‐7800
  • 最寄駅: 東高円寺(東京メトロ丸ノ内線) 
  • 補足:東高円寺駅から徒歩約10分
  • 公式ホームページ(外部リンク):https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007998.html
  • 出典・参考文献:

    『報新⼭ 宗延寺誌』報新⼭宗延寺(映像出版寺史編纂室)

  • 取材:げんげん(区民ライター講座実習記事)
  • 撮影:げんげん
    写真提供:宗延寺
  • 掲載日:2019年09月09日