報新山宗延寺(ほうしんざん そうえんじ)は、⼭号・寺号(※1)に、開創時に尽力した⼩⽥原城下の郷⼠、報新宗延(あたらし そうえん)の名が使われている。「篤信(※2)の方の名がそのまま寺名となるのは珍しいことです」と47世住職の嶋⽥教要(きょうよう)さんは言う。
後北条氏滅亡の混乱を逃れ、江⼾浅草に寺を再興した後、⾝延⼭久遠寺の江⼾三⼤触頭(※3)の⼀つとなり、「特別格式の寺」として人々の尊敬を集めた。
1919(⼤正8)年に現在の杉並区堀ノ内に移転。建造物は関東大震災や第二次世界大戦で被害を受けることなく、建立当時の様子を伝えている。静かな中にも風格の漂う寺である。
宗延寺では移転当初より古代蓮を育てており、今では約80鉢が前庭にある。全ての鉢の土を掘り返さないと翌年にきれいに咲かないので、毎年、住職の家族が総出で作業する。⼿塩にかけた蓮は7、8⽉が見頃。
春は鬱⾦桜(うこんざくら)も美しく咲き誇り、初夏はクチナシが甘く⾹る。
縁に導かれるままに出掛けてみたい寺である。
宗派 日蓮宗
本尊 十界諸尊 日蓮聖人像
※1 山号・寺号:山号は寺院の名に冠する称号。寺号は寺院の名
※2 篤信(とくしん):信仰のあついこと
※3 触頭(ふれがしら):江戸時代、寺社奉行の命令を配下の寺院に伝達し、また、配下の寺院からの訴願を奉行に伝えるのを役とした寺。身延山久遠寺は日蓮宗総本山
※4 内陣:御本尊をまつるところ
※5 宗祖:日蓮聖人
『報新⼭ 宗延寺誌』報新⼭宗延寺(映像出版寺史編纂室)