堀之内妙法寺(ほりのうちみょうほうじ、以下、妙法寺)は、江戸時代から参詣者でにぎわい、「堀之内のおそっさま」の名で親しまれている。
「おそっさま」(お祖師さま)とは日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)を指す。元和(1615-1623)の頃は真言宗の尼寺だったが、日蓮宗に改宗し、寺号を妙法寺とした。元禄時代に身延山久遠寺の直末(※1)となり、目黒碑文谷の法華寺より祖師像が移されると、災難除けに霊験あらたかと人々の信仰を集めたという。妙法寺参詣道も整備され、「東の浅草寺、西の妙法寺」といわれる江戸の名所となった。慌て者が粗忽(そこつ)を治すために願掛けに行く古典落語「堀之内」の舞台でもある。
現在も厄除けをはじめ、家内安全・病気平癒・事業繁栄などを願う人々に高い人気を誇る。
妙法寺で一番大きなお堂は、東京都指定有形文化財の祖師堂である。日蓮大聖人42歳の厄年にちなんで42本のケヤキの丸柱が使われており、緞帳(どんちょう)の奥に祖師像が奉安されている。祖師堂正面の躍動感ある龍の彫刻は、初代・波の伊八(※2)の作品である。
1787年に再建した仁王門は、華麗な彫刻の施された二層造り。左右の迫力ある仁王像は、徳川四代将軍・家綱が日吉山王社に寄進したもので、1868(明治元)年に妙法寺に移された。
国指定重要文化財の鉄門は、1878(明治11)年にジョサイア・コンドル博士(※3)の設計により作られた。文明開化の時代の和洋折衷様式の端正な門で、美しい色彩の鳳凰(ほうおう)が目を引く。鉄門の先にある大玄関は、特別行事の時に使う正式な玄関である。
妙法寺は、事前に問い合わせをすれば、祖師堂、御成の間(おなりのま)、日朝堂(にっちょうどう)などの内部の見学が可能だ。各堂は渡り廊下でつながっており、移動の途中で鉄門を裏側から眺めたり、庭園を観賞したりもできる(堂内の写真撮影は不可)。
祖師堂内は、金箔(きんぱく)で覆われた天井や壁、豪華な彫り物、四天王の像など見どころが多い。御成の間は、徳川将軍家が鷹(たか)狩りの時に休憩した部屋で、床の間や天井などに描かれた狩野派の水墨画が圧巻だ。
境内の奥にある日朝堂は、眼病を患うほど勉学に励んだという日朝上人を奉り、「学問と眼病平癒」の信仰を集めている。妙法寺の3種類ある御朱印の一つが、「日朝堂」の御朱印である(※4)。
よく手入れされた庭園には、織部型燈籠が置かれている。戦国時代に活躍した古田織部の創案とされ、丸く左右に張り出した部分が十字架のように見えることから「キリシタン燈籠」とも呼ばれる。
妙法寺は東京のハナショウブの名所の一つにもなっている。見ハナショウブとアジサイに「梅雨の季節もいいものだな」と思わせてくれる。
春は由緒ある建物とソメイヨシノの共演が楽しめ、秋の紅葉も風情があり、四季を通してさまざまな景色を堪能できる。
▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 特集>お花見ポイント>堀之内妙法寺
※1 直末(じきまつ):総本山直属の末寺のこと
※2 武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)、通称・波の伊八(なみのいはち)。房総を中心に5代にわたって活躍した宮彫り師一族の初代。寺社の欄間などにその技を残している。特に初代は天才的な作風で広く知られた
※3 ジョサイア・コンドル博士:日本の建築学会の恩師といわれる、明治時代に活躍したイギリス人。鹿鳴館・ニコライ堂などを設計した
※4 妙法寺の御朱印は「除厄祖師」「日朝堂」と、二十三夜堂が開帳する毎月23日にいただける「二十三夜堂」がある
「杉並区史跡散歩地図」杉並区教育委員会
「すぎなみ景観ある区マップ 和田・堀ノ内編」杉並区都市整備部みどり公園課
『すぎなみの地域史Ⅰ 和田堀』杉並区立郷土博物館
『江戸近郊道しるべ』村尾嘉陵(平凡社)
『杉並風土記 下巻』森泰樹(杉並郷土史会)
「霊宝開帳と妙法寺の文化財展」杉並区立郷土博物館
『小金井名所図会 風俗画報第三百三十七号臨時増刊』橋本繁・山下重民(東陽堂支店)