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谷川俊太郎さん

詩を作ることを生業(なりわい)として70年

日本を代表する詩人の一人、谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう)さん。教科書で作品に触れたことがある人も多いのではないだろうか。米寿を迎えてなお、詩作や翻訳、絵本の制作等、精力的に活動を続けている谷川さんに、仕事への向き合い方や詩への思いなどを、区内にある自宅で伺った。

※谷川俊太郎さんは2024(令和6)年11月にご逝去されました。故人のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。

田んぼや畑に囲まれて育った子供時代
僕が生まれた1931(昭和6)年に、東京府豊多摩郡杉並町(現杉並区)に両親が家を定めて、そこからずっとこの場所で育ちました。小学校時代は、冬に凍った田んぼをまっすぐ突っ切って、尾崎(現杉並区成田西)の丘の上にある、杉並第二小学校(旧杉並第二尋常小学校)に通学するのが楽しかった。当時、家の周りは広々とした田んぼや畑に囲まれていて、そういう景色はやっぱり良いなと思います。戦後に阿佐ヶ谷の団地(※1)ができる前は、ここから富士山が見えていたことも、よく覚えています。

アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞など、数多くの作品を手掛けた詩人・谷川俊太郎さん(撮影:深堀瑞穂 写真提供:谷川俊太郎)

アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞など、数多くの作品を手掛けた詩人・谷川俊太郎さん(撮影:深堀瑞穂 写真提供:谷川俊太郎)

校正中の原稿。谷川さんは、漫画家チャールズ・M・シュルツの『PEANUTS』の翻訳者としても有名だ

校正中の原稿。谷川さんは、漫画家チャールズ・M・シュルツの『PEANUTS』の翻訳者としても有名だ

詩を作り始めたきっかけ

僕の豊多摩高校(旧豊多摩中学校)の同級生で、北川幸比古くん(※2)と言う文学青年が、父(※3)の本が置いてある僕の家の倉庫に遊びに来ていました。ある日彼から「同人誌を出すから、君も詩を書いてくれ」と頼まれ、それが詩を書くきっかけになったといえばそうなのかな。その後、僕は学校に行かなくなって、音楽を聴いたり本を読んだり、詩を書いたりする生活を送っていました。
ある日ノートに書き留めた詩を父に見せたら、「良い」ということになって。父が三好達治(※4)さんに見せて、1950(昭和25)年に「文学界」という文芸雑誌に詩が掲載されることになりました。
昔は、お金を稼ぐためにどうすればよいか必死だったので、脚本や演出、翻訳など、いろいろな仕事を受けていました。「詩を書く人間の立場」として、読む人のことを一番に考えていたし、「自分に何が求められているか、どうやったら喜んでもらえるか」ということを常に意識していました。

40代の頃の谷川さんと近所に住む生活評論家の吉沢久子さん。料理上手の吉沢さんは、よくおかずをおすそ分けしてくれたという(写真提供:谷川俊太郎)

40代の頃の谷川さんと近所に住む生活評論家の吉沢久子さん。料理上手の吉沢さんは、よくおかずをおすそ分けしてくれたという(写真提供:谷川俊太郎)

詩には「Art 」と 「Craft 」の要素がある

今は、ゆっくりと推敲(すいこう)するのが楽しいです。僕が捉える「詩」には、「Art(アート)」の面と「Craft(クラフト)」の面というのがあって、僕は民芸・手仕事的な「Craft」の部分に興味があります。文字をいろいろと組み合わせたりして、ピタっとはまる言葉を見つける作業ですね。日々、スマートフォンに入っている『広辞苑』を使って、マックブックで詩を推敲しています。よく意外だと言われますが、僕はだいぶ前からワープロで文字を打ち込んで詩を作っています。

コロナ禍で気づいたリモートの良さ
コロナ禍では、インターネットで詩の朗読を見ることの良さに気が付きました。大きな会場で朗読会をすると、詩を読む当人の表情が見えないこともありますが、インターネットの動画で僕以外の詩人の朗読をアップで見ると、口の動きや表情もよくわかるし、活字で読むよりも言葉がすんなり頭に入ってきます。

言葉の無い世界を感じられる趣味
クラシック音楽を聴くことが昔から好きです。ベートーベン、モーツァルト、バッハと、いろいろ聴きましたが、今はハイドンをよく聴いています。古いレコードを僕の部屋にある手巻きの蓄音機で聴くと、昔ながらの音がするので、懐かしさを楽しんでいます。

愛用のマックブック。新しい物好きな一面を見せてくれた

愛用のマックブック。新しい物好きな一面を見せてくれた

「音楽は、すごくいいの。だって、言葉で表せない感動を与えてくれるんですよ」と、温かな笑みを浮かべる谷川さん

「音楽は、すごくいいの。だって、言葉で表せない感動を与えてくれるんですよ」と、温かな笑みを浮かべる谷川さん

米寿を迎えて出版した『ベージュ』

家の庭の木を見ていたら生まれた「にわに木が」という詩を、『ベージュ』に書き下ろしとして収録してあります。この詩集には、20歳の時に書いた未発表の詩も入れましたが、僕の詩、全然進歩してないでしょ。「今、僕が書いたものだ」と言っても違和感が無いことに自分でも驚きました。詩はその時の一瞬を切り取って書いているから、「進歩する」ということはないんですよね。
僕は若い頃から詩というものに、ひいては言葉というものに、「これでいいのかな」みたいな疑問がありました。現実やその実態を、ほんの何パーセントしか言葉で表現できていないとずっと感じていました。『ベージュ』にも、最後の方にまとめて、自分が詩というものに向き合った詩を入れてみました。

最新刊は、ひらがなあそびのえほん『あ』
絵本『あ』の中には「かなちゃん」という女の子が出てきます。これを考えてくれたのは、「弦ちゃん」こと広瀬弦さん(※5)です。弦ちゃんとは仕事をする上で「ツーカーの仲」で、お互いに堤防がないのでとてもやりやすい。彼はいつも僕が期待している以上のことをしてくれます。佐野洋子(※6)とは違う才能だけれど、彼には佐野洋子の子供だな、と感じるところがあります。

2020(令和2)年7月、88歳で刊行した詩集『ベージュ』。1951(昭和26)年に書いた未発表の作品「香しい午前」も収録されている

2020(令和2)年7月、88歳で刊行した詩集『ベージュ』。1951(昭和26)年に書いた未発表の作品「香しい午前」も収録されている

2020(令和2)年8月に、ひらがなあそびのえほん『あ』を書き下ろした。やさしさあふれる絵と文字は、広瀬弦さんが描いている

2020(令和2)年8月に、ひらがなあそびのえほん『あ』を書き下ろした。やさしさあふれる絵と文字は、広瀬弦さんが描いている

息子が還暦を過ぎたって言うんだもん、ショックでしたよ

普段は朝7時過ぎに起きます。普通の年寄りの生活ですよ。朝食はトマトジュースとサプリメントで、昼食もトースト1枚とコーヒーなどを飲んで、軽く済ませています。仕事は執筆のほかに本の帯書き、DVDの感想を求められたり、取材や打ち合わせが入ったりしています。
息子の賢作(けんさく)は音楽家です。詩の朗読会だとか、コンサートを一緒にやっています。ある時、息子がもう還暦だという話になって、自分が年を取ったことよりもそっちの方がショックでした。ひ孫もいるんですよ。「僕、そんなに長生きしてんのかしら」と、他人事みたいに感じました。
会う人は僕より若い人ばかりだから難しいかもしれないけれど、僕は先生扱いされると困るんです。常に人とは1対1でしっかり向き合いたい。15歳の子が相手でも対等に話したいと思っているの。

杉並は僕の「ねじろ」
昔は杉並のことを「ふるさと」だとか、そんなこと全然思っていなかった。そういう感覚が無かったですね。でも、長く住んでいるとだんだんと居心地がよくなってきました。最近は、ここで詩を書くことが本当に楽しくて生きがいみたいになっています。今となっては、この場所は「ねじろ」っていうのかな。もう、杉並から動きたくないって思っています。

取材を終えて
丁寧に、ときにはユーモアを交えてお話しくださった谷川俊太郎さん。年齢を感じさせないお話しぶりと、柔らかな笑顔に、詩人として多くのファンを魅了してきた生き方がにじみ出ていた。私も谷川さんの詩集で心を整えている。

谷川俊太郎プロフィール
1931年12月15日、東京で生まれ、杉並区で育つ。
詩人。1950年、19歳の時に「文学界」に「ネロ」他5編が掲載される。1952年、第一詩集の『二十億光年の孤独』を刊行。以来、多くの詩を創作し、著書多数。
映画『ハウルの動く城』の主題歌「世界の約束」の作詞、スヌーピーが登場する漫画『PEANUTS』の翻訳、1965年に公開された記録映画『東京オリンピック』にも脚本家として携わるなど、活動は多岐にわたる。
1962年「月火水木金土日のうた」第4回日本レコード大賞作詞賞
1975年『マザー・グースのうた』日本翻訳文化賞
1993年『世間知ラズ』萩原朔太郎賞
2005年『シャガールと木の葉』毎日芸術賞
2016年『詩に就いて』三好達治賞
その他多くの賞を受賞。海外でも作品が翻訳されている。

※1 成田東にあった集合住宅「阿佐ヶ谷住宅」。1958(昭和33)年に竣工、2013(平成25)年に解体
※2 北川幸比古(きたがわ さちひこ):1930年、東京生まれ。児童文学作家・翻訳家・編さん家
※3 谷川徹三(たにかわ てつぞう)。1895-1989。哲学者。地域の文士が集った「阿佐ヶ谷文士村」のメンバーの一人
※4 三好達治(みよし たつじ):1900-1964。昭和期の詩人・翻訳家
※5 広瀬弦(ひろせ げん):1968年、東京都生まれ。荻窪在住の絵本作家・イラストレーター
※6 佐野洋子(さの ようこ):1938-2010。絵本作家・エッセイスト。代表作は『100万回生きたねこ』。谷川俊太郎さんとは1990年から1996年まで婚姻関係にあった

息子の賢作さんと開催しているイベントでは、賢作さんの奏でる美しいピアノと谷川さんの詩の朗読を聞ける(撮影:深堀瑞穂、写真提供:谷川俊太郎)

息子の賢作さんと開催しているイベントでは、賢作さんの奏でる美しいピアノと谷川さんの詩の朗読を聞ける(撮影:深堀瑞穂、写真提供:谷川俊太郎)

善福寺川緑地にて。谷川さんの作品には、杉並の風景が描かれているものもある(撮影:川島小鳥、写真提供:谷川俊太郎)

善福寺川緑地にて。谷川さんの作品には、杉並の風景が描かれているものもある(撮影:川島小鳥、写真提供:谷川俊太郎)

2010(平成22)年のトークイベントで配布した記念品

2010(平成22)年のトークイベントで配布した記念品

お気に入りの「びっくりするくらい軽い」イタリア製の椅子に座って、庭の草木を眺めながら言葉が湧いて来るのを待つ谷川さん

お気に入りの「びっくりするくらい軽い」イタリア製の椅子に座って、庭の草木を眺めながら言葉が湧いて来るのを待つ谷川さん

DATA

  • 取材:加藤智子
  • 撮影:TFF
    写真提供:谷川俊太郎
    取材日:2020年10月08日
  • 掲載日:2020年11月09日
  • 情報更新日:2024年11月19日