荒川好夫(あらかわ よしお)さんは、杉並区高井戸在住の鉄道写真家だ。昭和の時代、日本国有鉄道(国鉄)広報部の専属カメラマンとして全国の鉄道を撮影。鉄道の日常を追う中で、新関門トンネルの開通、国鉄分割民営化、青函連絡船の廃止など、数々の歴史的瞬間をフィルムに収めてきた。また荒川さんは蒸気機関車撮影の第一人者でもある。2020(令和2)年に北海道立釧路芸術館で「急行「ニセコ」1971年冬~蒸気機関車C62栄光の記録~ 荒川好夫写真展」が開かれるなど、煙と車両の造形美や蒸気機関車に関わる人々の情景を記録した写真群は、美術界でも高い評価を得ている。
荒川さんが仲間と共にセシオン杉並で開催した「Club銀燕(ぎんつばめ)チャリティー鉄道写真展2020」の会場を訪れ、作品を鑑賞しながら話を伺った。
「最初に手に入れた自分のカメラは紅梅キャラメル(※)の当たりくじでもらった子供向けカメラだったかな」。そう語る荒川さんは、1946(昭和21)年生まれ。高井戸でポンプ店を営む両親の元で育ち、幼い頃からカメラ好きの少年だった。高井戸小学校に通っていた頃、病気でしばらく運動を禁じられたことがきっかけで鉄道模型に没頭。中高生になると、自分で模型の部品を作るため実際の車両の細部を撮影して確認したいと、父に買ってもらったカメラを持って何度か国鉄・八王子機関区に足を運んだ。「機関庫でED15形電気機関車を撮影していたとき、突然、外で汽笛が鳴り、窓越しにモクモクと美しい煙を上げてD51形蒸気機関車が走り出すのが見えたのです。その瞬間、僕は煙の作る造形美に強く引かれ、この雄姿を写真にとどめておきたい、と心に決めました」。全国で蒸気運転の廃止が進んでいた1963(昭和38)年3月のことだった。
津々浦々で蒸気機関車を撮影した荒川さんに、一番好きな車両を聞くと「C62形ですね。日本で最高スピードの記録を持つ最大の蒸気機関車です。あとはC55形。C55は、自転車の車輪のようなスポーク型の動輪を持ち、シルエットとして浮かび上がったときの形態美は格別です」と教えてくれた。
東京写真短期大学(現東京工芸大学)写真工業科を卒業後、1年間、アルバイトで機材購入費や旅費をためては、蒸気機関車の撮影に出掛けていた。「できれば鉄道写真家になりたい。でも、なれるかどうかは神様しか知る由もないと思いながら、1カ月間も北海道で大好きな蒸気機関車を追いかけていました」。そんな時、荒川さんの撮影を見ていた写真業界の人から、国鉄の写真を撮る仕事をしないかと、いきなりスカウトされた。以来、国鉄本社広報部の専属カメラマンとして、1968(昭和43)年からJR発足翌年の1988(昭和63)年まで、国鉄の激動期をファインダーを通して見つめ続けた。
「撮影対象は鉄道ばかりではありませんでした。プロ野球チーム国鉄スワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)の試合を撮りに球場に行ったり、国鉄職員が連を作って参加していた徳島の阿波踊りを取材したりと、依頼を受ければ、それこそ“新幹線から野球まで”を撮影したんですよ」。1972(昭和47)年10月14日、天皇、皇后両陛下が臨席された「第100回鉄道記念式典」の代表撮影取材を務めるなど、絶対に失敗が許されない取材を任される場面も多々あった。
2017(平成29)年出版の著書『国鉄広報部専属カメラマンの光跡―レンズの奥の国鉄時代』には、室蘭本線(旧線)礼文―大岸駅間の岩場でカメラを波にさらわれたり、湿度100%の新関門トンネル掘削現場で撮影したりと、自身とカメラの限界に挑戦しつつ全国を飛び回ったエピソードの数々が紹介されている。
鉄道写真家として、荒川さんが撮影と同じくらい力を入れてきたのが、膨大な鉄道写真の整理・保管だ。1971(昭和46)年、高井戸の環八と井ノ頭通り交差点近くに有限会社レイルウエイズグラフィック(RGG)を設立。約60万点に及ぶ鉄道写真をデータベース化し、書籍、雑誌、テレビなど各種メディアに貸し出している。「ある時代の日常を記録した写真が、時を経た現在、図らずも非日常の情趣を伝えるものとなる場合があります。良い写真か悪い写真かは、時間が過ぎてみないとわからない。だから散逸させずにデータベース化して後の世に提供できるようにしておきたい。特にフィルム写真は」
今では非日常となった国鉄の走っていた時代の記録写真を「J‐train」をはじめ主要な鉄道雑誌で紹介。鉄道の魅力を写真と共に伝える自著は30冊を超え、『のりものだいすき①しんかんせん』など絵本も手掛けた。昭和時代の鉄道に関する各種書籍の奥付を見ると、その多くに写真提供者として「RGG」が名を連ねている。
2020(令和2)年には、仲間の鉄道写真家と連携し、全国47都道府県の桜と鉄道の絶景スポットを紹介した『絶景!さくら鉄道』を出版。現在の鉄道の日常もリアルタイムで大切に記録し続けている。
「好きな鉄道写真の道で食べてこられたのは、僕にとってこの上ない幸せ。そのことに感謝して、生まれ育った杉並区に何か恩返しができれば」と語る荒川さん。高井戸地域区民センター協議会が発行する広報紙「たかいどだより」に鉄道写真記事の連載を持つなど、キャリアを生かして地元に貢献している。
2014(平成26)年からは、主宰する鉄道写真家グループ「Club銀燕」の仲間と毎年セシオン杉並でチャリティー鉄道写真展を開催。7回目となった2020(令和2)年は、35名のプロ・アマ写真家が135点の写真を提供し、展示写真やグッズの売り上げを杉並区社会福祉協議会や「杉並区次世代青少年育成基金」に寄付してきた。鉄道写真界の第一線で活躍するカメラマンによる日本と世界の鉄道の姿を写した展示作品は見応えがあり、毎年楽しみにしているファンも多い。
また、「Club銀燕」のメンバーは交代で、杉並区立児童青少年センター「ゆう杉並」の「Official鉄の会」に所属する中高生に写真撮影のレクチャーもしており、同写真展には中高生の作品展示コーナーもあった。「子供時代に鉄道模型を作っていた僕は、そのままの気持ちで大人になり、夢中で鉄道写真を追求してきた気がする。中高生のみんなも自分の好みを大切にしてたくさん撮り続け、作風を築いていってほしい」と、優しい笑顔を見せた。
▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>杉並のさまざまな施設>ゆう杉並(杉並区立児童青少年センター)
取材を終えて
モノクロの蒸気機関車の写真から走り去る車体や煙の音が聞こえてくるような臨場感が伝わってきて、当時の情景を追体験できた。
一つ一つの出来事が目の前に広がるような語り口に、長年、一瞬に賭けてシャッターボタンを押してきた鉄道写真家の視点の鋭さを感じた。身が引き締まるような撮影現場の緊迫したエピソードに聞き入っていると、緊張をほぐすように荒川さんから冗談が飛び出し、思わずクスッと。いたずらっ子のような表情に、鉄道好きの少年の面影があった。
荒川好夫 プロフィール
1946年、杉並区高井戸生まれ。1967年に東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒業。1968年から国鉄分割民営化の翌年1988年まで国鉄・JR本社広報部専属カメラマンとして、広報紙「つばめ」「R」、ポスター等、広報、宣伝用写真撮影に従事。1971年、高井戸に有限会社レイルウエイズグラフィック(RGG)を設立。『国鉄 上野駅24時間記』をはじめ、著書多数。
※紅梅キャラメル:昭和20年代後半、東京近郊で販売されていたおまけ付きのキャラメル
『国鉄広報部専属カメラマンの光跡―レンズの奥の国鉄時代』荒川好夫(交通新聞社)
『絶景!さくら鉄道』レイルウエイズグラフィック(グラフィック社)
『写真集 昭和の鉄道』写真・荒川好夫、文・芦原伸(講談社)