小田切秀人さん

「こども将棋教室 棋友館」の設立者

2001(平成13)年から阿佐谷の中杉通り沿いで「こども将棋教室 棋友館(きゆうかん)」を開いている小田切秀人(おだぎり ひでと)さん。指導棋士として教えた子供の数は1,000人を超すという。また、杉並区将棋連盟の代表を務め、杉並区総合文化祭将棋大会や夏休み杉並将棋まつりの運営に関わるなど、区内の将棋普及や技術向上に一役買っている。
小田切さんに、将棋の魅力や子供たちに教えることの大切さなどを伺った。

杉並区将棋連盟代表・小田切秀人さん

杉並区将棋連盟代表・小田切秀人さん

師匠からのスカウトで門下に

小田切さんは1970(昭和45)年、小学校1年生の時に将棋を始めた。「半年間入院したとき、看護師から将棋を教えてもらったことから興味を持ち、親から将棋の本を買ってもらいました」。熱心に学んで腕を磨き、さまざまな大会で勝ち上がっていたところ、師匠となる佐瀬勇次名誉九段(※1)からスカウトされた。「プロになる気があるなら弟子にならないかと手紙をもらいました。1977(昭和52)年に師匠の門下に入ったのですが、米長(※2)、西村(※3)の弟弟子になることにも感慨がありました」。通常、入門の際には希望者が師匠へ手紙を送るなどして許されるケースがほとんどで、スカウトされるのは非常に珍しいそうだ。「子供の将棋大会では決勝戦まで勝ち上がるとプロ棋士が大盤で解説をします。師匠が私の対局も解説していましたからおおよその実力は分かっていたんでしょうね」
中学2年生の秋にプロ棋士の養成機関である奨励会に合格した。奨励会在籍中には日本将棋連盟の「子供将棋スクール」の講師を頼まれて5年間務めた。この経験を通じて、人にものを教える楽しさを知ったという。
1984(昭和59)年に奨励会を退会し、日本将棋連盟発行の機関紙「週刊将棋」の記者をした。タイトル戦の取材や「日中友好将棋の旅」などで忙しく、1ヵ月家に帰れなかったこともあった。その後、トラベルライター兼カメラマンになり、主要な旅行雑誌で活躍。「その頃は、東京より北にある地方のほとんどに行きました」

奨励会時代、中学3年になったばかりの小田切さん。1979(昭和54)年4月5日の対局で記録係を務めた(出典:「将棋世界」1979年6月号)

奨励会時代、中学3年になったばかりの小田切さん。1979(昭和54)年4月5日の対局で記録係を務めた(出典:「将棋世界」1979年6月号)

子供たちの指導者として

結婚を機に、奥様の出身地である阿佐谷に引っ越した小田切さん。「娘が通う保育園の父親同士で話すうちに、将棋のできない人が多いことに気付きました。"教えてくれる人がいなかった"と言われ、将棋は教わらないとわからないものなのかと思いました」
子供たちに将棋の面白さを知ってもらおうと、2001(平成13)年11月に「こども将棋教室 棋友館」をオープン。教室の場所を選ぶときには、奥様から「明るい外階段があると子供が安心して通える」とアドバイスしてもらい、中杉通り沿いのビルを選んだ。現在は幼稚園年長から中学2年くらいまで約40人を指導している。教室のほか、成田・松ノ木などの児童館や、馬橋小学校、西宮中学校など区立小中学校で教えることもある。「そこでは将棋を知らなくてもできることを指導したりもしています。駒を指二本で指すプロの手つきをまねたり、王・飛車・角だけを使う実戦をやったり。その子ができることに挑戦して達成感を得て、将棋に興味を持ってもらえるといいなと思っています」
将棋の指導には「引き出しの多さ」が大事だと話す。「よく指導マニュアルを作って欲しいと言われるのですが、それは難しい。百人いればわからないところも百様です。時と場合に応じた指導をするためには、指導する側の引き出しがどれだけあるかが重要になります」。時々、将棋は強くないが教えるのがうまい子供に出会うこともある。「自分が悩んだ経験があるからこそ“何がわからないのか”を理解して教えられるのでしょう」と、小田切さん自身も指導者になって気付いた。

生徒はまず小田切さんの指導を受ける

生徒はまず小田切さんの指導を受ける

王・飛車・角だけを使う実戦。シンプルで初心者も挑戦しやすい

王・飛車・角だけを使う実戦。シンプルで初心者も挑戦しやすい

杉並区将棋連盟と大会運営

杉並区将棋連盟は、幅広い年代の区民が将棋を通じて交流を深めている団体だ。50年以上活動が続いており、現在は小田切さんが代表を務めている。「田中区長が都議会議員だった頃に、夏に将棋の大会をやりたいと思い立ち、当時天沼に住んでいた原田泰夫九段(※4)に相談に行ったことがきっかけで連盟が活性化しました。初期には、漫談家の徳川夢声さん(※5)が運営に携わっていたそうです」。連盟では杉並区総合文化祭将棋大会や夏休み杉並将棋まつりなどを開催しており、小田切さんは2010(平成22)年から大会の運営にも関わっている。「杉並区総合文化祭将棋大会は毎年70人前後の参加者がいますが、他の将棋大会と比べて子供と女性が多くにぎわいます。これからもできる限り続けていきたいですね」

教室を見守る原田九段の揮毫(きごう)、「礼儀作法も実力のうち」

教室を見守る原田九段の揮毫(きごう)、「礼儀作法も実力のうち」

コロナ禍での将棋教室と、これからのこと

2020(令和2)年の新型コロナウイルス感染拡大の影響で、どのようにすれば安全に将棋教室を運営できるか悩んだ。将棋は対面で行うので、飛まつ防止のためにラップを仕切りにするなど対策に余念がない。「ネット上での対局も人気ですが、将棋はやはり対面で指してこそ面白いゲーム。相手が目の前にいるから感じることも多い」と小田切さん。一方で、インターネットを使い、広い地域や年代に向けて将棋の指導を配信することも考えている。2020(令和2)年は中止になった杉並区総合文化祭将棋大会などのイベントも、また再開したいと話す。小田切さんの希望は、習いたいと思ったときに近所に将棋教室があるような環境。気軽に人と会い、将棋を指せる日常を望んでいる。

取材を終えて
「週刊将棋」の記者やトラベルライターをしていたこともある小田切さん。取材時に、棋士の名前を紙に書いてくださるなど気づかいをいただき、ありがたかった。指導が始まる前に話を伺ったが、明るい教室で子供たちが熱心に将棋を指す姿が目に浮かぶようだった。

小田切秀人 プロフィール
1964(昭和39)年3月17日、東京都昭島市生まれ。故佐瀬勇次名誉九段門下、1977(昭和52)年秋関東奨励会入会。「こども将棋教室 棋友館」ほか、近隣の保育園、児童館、小中学校で将棋を指導。杉並区将棋連盟会長。著書に『勝つための“受け”―積極果敢な「受けの達人」になろう!』(主婦と生活社)、『将棋の教え方学び方―指導のプロの実践テクニック』(毎日コミュニケーションズ)がある。

※1 佐瀬勇次(させ ゆうじ)名誉九段:1919-1994。米長邦雄永世棋聖と丸山忠久九段の名人経験者二人の師匠。高橋道雄九段や木村一基九段などタイトルを獲得した弟子も多い
※2 米長:米長邦雄(よねなが くにお)永世棋聖。1943-2012。1993(平成5)年第51期名人、2005(平成17)年から2012(平成24)年まで日本将棋連盟会長
※3 西村:西村一義(にしむら かずよし)九段。1974(昭和49)年から1992(平成4)年まで日本将棋連盟理事、2005(平成17)年から専任理事
※4 原田泰夫(はらだ やすお)九段:1923-2004。戦後の将棋界復興に尽力した。1961(昭和36)年から1966(昭和41)年まで日本将棋連盟会長
※5 徳川夢声(とくがわ むせい):1894-1971。本名、福原駿雄。弁士、漫談家、作家、俳優。1927(昭和2)年から荻窪に住んだ

中杉通りに面した「こども将棋教室 棋友館」。午後になると子供たちが集まってくる

中杉通りに面した「こども将棋教室 棋友館」。午後になると子供たちが集まってくる

将棋の本がたくさん並ぶ明るい教室

将棋の本がたくさん並ぶ明るい教室

DATA

  • 公式ホームページ(外部リンク):http://www.kiyuukan.net/
  • 出典・参考文献:

    「将棋世界」1979年6月号

  • 取材:みすみほ
  • 撮影:みすみほ
    取材日:2020年12月02日
  • 掲載日:2021年03月08日