万歳山永福寺(ばんぜいさん えいふくじ)は、永福という町名のもとになった寺である。永福町駅から徒歩約7分、永福稲荷神社の隣にある。
寺伝によれば1522年の開創で、北条氏康が1559年に作成した『小田原衆所領役帳』にも永福寺の名が記載されている。かつては「ようふくじ」と称されていたと伝わり、西門脇にある正保三年銘の五輪塔形式の庚申塔には「養福寺」と刻まれている。参考までに、源頼朝が1194年頃に鎌倉に建立した永福寺も「ようふくじ」といわれていた。
墓域を一巡すると「安藤家」と刻まれた墓を多く見掛ける。小田原北条氏の検地奉行であった安藤兵部丞が、北条氏が滅亡した1590年頃当地に帰農し、永福寺の檀家(だんか)となったことに由来するといわれる。
また、寺は1593年に火災で焼失して存続の危機に陥ったが、江戸幕府の御家人・加藤重勝が下高井戸村に拝領地を与えられたことを契機に、永福寺を菩提寺(ぼだいじ)と定め復興に尽力した。
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『新修杉並区史』中巻 東京都杉並区
『新修杉並区史』資料編 東京都杉並区
「杉並の指定登録文化財」杉並区教育委員会生涯学習推進課文化財課
「曹洞宗 萬歳山永福寺小史」西照寺住職嗣永芳照