「酒ノみつや」(以下、「みつや」)は、JR阿佐ケ谷駅南口のパールセンター商店街入り口より徒歩約8分。この地に店を構えて98年の老舗だ(2022年現在)。店頭には、ビール、ワイン、日本酒が所狭しと並べられ、通行人の目を引く。多くの客が、現店主で三代目の三矢治(みつや おさむ)さんがセレクトしたこだわりの酒を求めて、店を訪れる。商品には、実際に味わった印象や合う料理などを記したポップが添えられており、自分の体験を通して酒のおいしさを伝えたいという治さんのメッセージが伝わってくる。
さまざまな事情で店じまいする小売店が多い中、地元に密着し、創業時の職種のまま現在に至る「みつや」の歩みを、二代目・三矢博さんと治さんの二代にわたって伺った。
商店街の黎明(れいめい)期に開業し、戦火をくぐりぬける
博さんの父で、創業者の三矢要之助さんは、1902(明治35)年に現在の愛知県西尾市に生まれた。15歳で上京し、呉服屋で奉公した後で、親戚が開業した酒屋で働いた。そこで酒販売のノウハウを学び、1924(大正13)年阿佐谷に土地を購入して独立し、酒屋「三矢商店」を創業した。阿佐谷に開業したのは、土地が安かったためだろうと博さんは推測する。購入地は沼地で、道路沿いに店舗は5軒ほどしかなく、店から駅まで見通せる状態だったとのこと。開業当時は、酒以外の食品も取り扱い、各家庭を回り注文をとり配達する御用聞きの商売形態をとっていた。
1931(昭和6)年には次男の博さんが生まれ、「みつや」は順調に商売を続けていたが、1941(昭和16)年に太平洋戦争が始まり、戦況悪化とともに配給制度が強化され、酒の販売量は月単位で厳しく決められるようになった。単独では売るものに事欠いていた商店街の酒屋(当時10軒ほどあったとのこと)は、窮余の一策として、一つの場所に集まり共同で配給していたという。戦後もしばらく戦中以上の物不足と配給制度が続いたが、何とか乗り切ることができたそうだ。
「名から味へ」の転換
博さんは、1964(昭和39)年に勤務していた銀行をやめ、店を引き継いだ。戦後、発展を続けた商店街は1960(昭和35)年に「パールセンター商店街」と命名され、にぎわっていた。当時は酒屋が5~6軒あり、店舗間の競争が激しかったそうだ。他の店から抜きん出るために、博さんは要之助さんに反対されながらも「名から味へ」と、無名でもおいしい酒の販売への方針転換を図った。各地の酒を試飲できる施設に足しげく通ったり、これと思ったメーカーとは問屋を通さない直取引を行ったりして、銘柄にこだわらない商品選びに心を砕いた。新路線は、味にこだわりを持つ酒愛好家の支持を受け、固定客も付き、博さんの経営努力が実を結ぶことになった。
博さんの長男の治さんが1993(平成5)年に経営に参加してから、「みつや」に第二の転機が訪れた。治さんは1962(昭和37)年生まれ。アメリカの大学に留学し、卒業後は現地の企業で働いていた。「家業には興味が無く、後を継ぐ気もなかったんです。ところが、父が病気になり、店じまいの準備をするために帰国することになりました」と治さん。しかし、アメリカで規制緩和が進み、量販店が小売店の経営を圧迫する様を見てきた治さんは、日本もアメリカと同じ状況になることを危惧し、積極的に商売に関わるようになった。
1994(平成6)年に店を建て替え、消費者の日本酒離れに伴い主軸の商品を外国産を中心にしたワインとビールにシフトした。量販店との違いを打ち出すために商品のセレクトにこだわり、国産ワインは舌で確かめた特別な銘柄のみを扱った。博さんは、新しい商品展開に必ずしも同意していたわけではなかったそうだが、個性的で多様な商品は店の売りとなっていった。
現在はビール250銘柄、ワイン200銘柄と充実した品ぞろえが自慢である。日本酒についても、全国を回り地酒の発見に努め、銘柄にこだわらずおいしい酒を求める人にアピールする商品をそろえている。多彩な商品ラインナップは、外国人にも好評だ。英語に堪能な治さんは外国人の友人が多く、口コミも手伝って客の1割は外国人とのこと。
治さんは、店頭で生産者を招いて試飲会を開催したり、阿佐谷七夕まつりで初めてパエリアを提供し人気メニューにしたりと、さまざまなイベントを通して客とのコミュニケーションを図ってきた。2015(平成27)年5月には、新しい交流の場として、店舗の奥の倉庫を改装して立ち飲みスタンド「角打ち処 裏の部屋」を開設した。戦後から昭和後期ぐらいまでは、飲むスペースが併設された酒屋は珍しくなかったが、規制が厳しくなるとともにほとんど姿を消したそうだ。「子供の頃に見ていた風景を再現したくて始めました。ビールは店内で選んだ商品を持ち込むことができ、ワインと日本酒は10種類くらいのメニューを用意し、瓶が空くタイミングで銘柄を入れ替えています」と治さん。個性的な酒をその場で味わえると、酒好きの人気を呼んでいるそうだ。月に一回、寿司職人を招いて握りたての寿司をつまみに酒を味わう予約制のイベントも好評だ。店と客の距離の近さは「みつや」ならではで、個人客への販売が売り上げの中心になっていることもうなずける。
治さんによると、2021(令和3)年現在、阿佐谷南界隈の酒小売店は「みつや」を含み数店舗となり、商環境は厳しさを増しているとのこと。「将来何が起こるかわからない時代だからこそ、新しい発想を取り入れて、顧客に発信を続けていきたいと思っています」と治さんは、抱負を語ってくれた。サステイナブル(持続可能)な活動に関する勉強会に参加した縁で、小規模農家のワイン造りに関わったり、酒造メーカーとコラボしてオリジナル清酒を作ったりと、治さんのフットワークは軽い。チェーン店が目立つ昨今の商店街にあって、老舗ながら新しい表情を見せ進化していく「みつや」は、貴重な存在だ。今後もパールセンター商店街の要として、存在感を発揮してほしい。