僕が「杉並」という地名を初めて意識したのは、中学生の時に聴いていたラジオのお便りコーナーでした。パーソナリティーが「東京都杉並区にお住まいの○○さんからのリクエストで…」なんて言うのを聞いていて、なんとなくいいなと思ったんです。自分も東京に住みたいと思っていたから、「住むなら杉並区」みたいな感覚がありました。
それから10年以上経って、芸人になるために東京に出てきたのですが、お笑いの養成所が東高円寺にあったので、本当に杉並に住むことになりました。その後30年、区内で5回引っ越しましたが、阿佐谷が一番長かったです。体型維持のため週に数回走っているのですが、そのコースの終点が阿佐谷パールセンターです。駅前の噴水のある広場も、品があって好きですね。ハトがいたりして穏やかな気持ちになります。
飲食店で思い出深いのは、西荻窪駅のすぐ近くにある「やきとり戎(えびす)」。ひいきの野球チームが優勝した時は、ここでバイト仲間と祝杯を挙げました。焼き鳥といえば、もう1軒。荻窪駅北口階段のすぐ横にあった「鳥もと」。朝から煙をもくもく出して、駅のホームまで来ていましたね。駅前整備で裏路地に移転したから、煙はもう見られなくなっちゃったけど、あの煙は豪快でした。
好きな食べ物はラーメンと、タイ料理のプーパッポンカリー(カニの卵とじカレー炒め)です。自分の中では、ラーメンを食べるなら荻窪、プーパッポンカリーを食べるなら阿佐谷です。自転車に乗ってわざわざ食べに行くんですよ。
「ゲッツ!」は、大ブレイクしましたが、徐々に下火になっていきました。でも、2009(平成21)年ごろから、再び仕事の状況が良くなり始めて気づいたんです。「ゲッツ!」でもう1周目のお声がかかるのなら、これを一生懸命やればいい。得意じゃない事より、得意な事を伸ばそうと思って、今に至っています。
一発屋と言われる芸人さんたちは、そう言われるのが宿命だと思った方がいい。世間が自分に求めているものを履き違えて、自分にないキャラクターや役割を演じようとすると、この世界で生きていくのが難しくなっちゃいますからね。いろいろな芸人さんがいて、それぞれ役割分担がある。自分自身をよく知っていないと、この世界は悩ましいですよ。どんどん若い人が出て来ますしね。僕の場合は「おじさん芸人、黄色い“ゲッツ!”の人、頑張ってるね」でいいんじゃないかなって。そう考えるようになってから楽になりました。
お笑いトーク中によく「目標、現状維持!」と叫んでいますが、容姿も、体力も、気持ちも、若い時のままを維持しようと、本気で努力しています。「現状維持」って、実は相当努力しないとできないんですよ。そのため、最近はダンスやドラムも習っています。体力維持の目的もありますが、自分が本当にやりたい事をやりたいと思い始めたんです。作詞作曲をし、音源を自作して、歌って、YouTubeに何曲かアップしました。この作業は、時間も手間もかかりますが、楽しいです。これからも、80年代風の楽曲を作りたいと思っています。
僕はもともと、田原俊彦さんに憧れて芸能界に入りました。田原さんみたいにはなれませんでしたが、自分が憧れた芸能活動に似た事を、プライベートで実現できているので、今は非常に充実感があります。この状態を「現状維持」できるように頑張りたいです。
これからやりたい事は、声を生かした仕事ですね。ナレーションとか、声優とか。「黄色い服のハイテンションの“ゲッツ!”の人」も、もちろん一生懸命全力でやっていきますが、55歳という年齢相応の、自分の声とスタンスでやってみたいという願望もあります。
2020(令和2)年に東京メトロの車内広告に、小島よしお君と一緒に出させてもらった「ピークを知る男。」。渋い中年紳士風に撮っていただいて、結構反響もありました。こういう仕事もやりたいですね。オファー、来ないかなぁ。
もう一つの願望は、仲間と一緒に歌を作る事です。サンミュージックは、もともと音楽プロダクションです。「お笑い班」のみんなで歌える歌を作って、できればNHK紅白歌合戦で歌いたいというのがひそかな野望です。まだ発表はできないですが、そのためにいろいろ準備中です。
『こんなに元気です。一発屋と呼ばれて』ダンディ坂野(エンターブレイン)
『芸人貧乏物語』松野大介(講談社)
「婦人公論」2021年4月27日号(中央公論新社)
「週刊新潮」2018年11月29日号(新潮社)