平野は1971(昭和46)年にオープンしたジャズ喫茶「烏山ロフト」を皮切りに、ロック・フォーク系のライブハウスを次々と開業。50年以上にわたり日本のライブハウスシーンをけん引してきた。
1970年代に杉並にあった「西荻窪ロフト」「荻窪ロフト」(※)についても詳しい記述がある。シンガー・ソングライターという言葉が生まれ、日本のロックが大きく躍進したその時代、杉並のロフトで数多くのミュージシャンが育ち、羽ばたいていった様子が描かれている。
また、当時のニュースやコンサートのチケット事情などの世相もふんだんに盛り込まれており、1970年代から1990年代の社会を知るための資料としても興味深く読むことができる。
西荻窪駅から徒歩約5分の通称女子大通りに「西荻窪ロフト」がオープンしたのは1973(昭和48)年6月。本書によれば、当時はロック・フォークの生演奏ができる場所は東京にはほぼ無く、ライブハウスという言葉さえもまだ浸透していなかった。運営は試行錯誤の連続だったという。オープニング・ライブには山下洋輔らが出演した。
平野は次いで1974(昭和49)年11月に荻窪駅から徒歩約3分の所に、大音量のライブが可能な「荻窪ロフト」をオープン。ここには荒井由実(松任谷由実)、サザンオールスターズ、愛奴(浜田省吾が参加)、RCサクセションなど、のちのビッグネームが多数出演。また、山下達郎率いるシュガー・ベイブが1976(昭和51)年3月に行った解散ライブは、ファンの間で伝説のライブといわれている。
※「西荻窪ロフト」「荻窪ロフト」は1980(昭和55)年に営業終了