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定本 ライブハウス「ロフト」青春記

著:平野悠(世界書院)

RCサクセション、THE ALFEE、BOØWY、坂本龍一、サザンオールスターズ、スピッツ、竹内まりや、浜田省吾、松任谷由実、山下達郎…。日本のロック・フォーク界のスーパースターを育てた「聖地」ともいえるライブハウス「ロフト」。本書はその創立者である平野悠がロフトの歴史を貴重な資料と共にまとめた一冊である。その軽妙な文章や、平野の破天荒な生き方(店をのれん分けしバックパッカーとして8年も世界放浪の旅に出る、など)に、引き込まれること請け合いだ。

おすすめポイント

平野は1971(昭和46)年にオープンしたジャズ喫茶「烏山ロフト」を皮切りに、ロック・フォーク系のライブハウスを次々と開業。50年以上にわたり日本のライブハウスシーンをけん引してきた。
1970年代に杉並にあった「西荻窪ロフト」「荻窪ロフト」(※)についても詳しい記述がある。シンガー・ソングライターという言葉が生まれ、日本のロックが大きく躍進したその時代、杉並のロフトで数多くのミュージシャンが育ち、羽ばたいていった様子が描かれている。
また、当時のニュースやコンサートのチケット事情などの世相もふんだんに盛り込まれており、1970年代から1990年代の社会を知るための資料としても興味深く読むことができる。

荻窪ロフトオープン時のチラシ(写真提供:ロフトプロジェクト)

荻窪ロフトオープン時のチラシ(写真提供:ロフトプロジェクト)

日本のロック史を語る上で欠かせないミュージシャンが多数出演した(写真提供:ロフトプロジェクト)

日本のロック史を語る上で欠かせないミュージシャンが多数出演した(写真提供:ロフトプロジェクト)

杉並にあった2軒のロフト

西荻窪駅から徒歩約5分の通称女子大通りに「西荻窪ロフト」がオープンしたのは1973(昭和48)年6月。本書によれば、当時はロック・フォークの生演奏ができる場所は東京にはほぼ無く、ライブハウスという言葉さえもまだ浸透していなかった。運営は試行錯誤の連続だったという。オープニング・ライブには山下洋輔らが出演した。
平野は次いで1974(昭和49)年11月に荻窪駅から徒歩約3分の所に、大音量のライブが可能な「荻窪ロフト」をオープン。ここには荒井由実(松任谷由実)、サザンオールスターズ、愛奴(浜田省吾が参加)、RCサクセションなど、のちのビッグネームが多数出演。また、山下達郎率いるシュガー・ベイブが1976(昭和51)年3月に行った解散ライブは、ファンの間で伝説のライブといわれている。

※「西荻窪ロフト」「荻窪ロフト」は1980(昭和55)年に営業終了

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>著名人に聞く 私と杉並>山下洋輔さん

荻窪ロフトは荻窪南口仲通り商店会から左折する路地の半ばにあった(写真提供:ロフトプロジェクト)

荻窪ロフトは荻窪南口仲通り商店会から左折する路地の半ばにあった(写真提供:ロフトプロジェクト)

荻窪ロフト店内。巨大な「アルテックA7」スピーカーが見える(写真提供:ロフトプロジェクト)

荻窪ロフト店内。巨大な「アルテックA7」スピーカーが見える(写真提供:ロフトプロジェクト)

DATA

  • 取材:仲町みどり
  • 撮影:写真提供:ロフトプロジェクト
  • 掲載日:2023年04月24日