神﨑建設は1974(昭和49)年、現社長・神﨑隆馬さんの父、隆洋さんが設立した。コンピューター関連の企業に勤めていた隆洋さんは、隆馬さんが産まれたとき、出産という偉大なイベントに感動し「自分も命を懸けた仕事をしたい」と独立を決意。隆馬さん誕生の翌日には退職届を提出し、建築に詳しい人との出会いや、もともとの手先の器用さなどを生かして店舗のリフォーム業を始めることにした。
その後、1978(昭和53)年ごろから新築住宅事業にも進出。きっかけは知人夫婦からの相談だった。当初は経験も知識もなかったが、住宅の構造を猛勉強し1週間後には「やります」と引き受けた。「一見無鉄砲なようですが、父の根底には仕事仲間への信頼があったのだと思います。自分自身の多少の経験不足は、職人らの豊富な経験で補えると考えていたのではないでしょうか」と、隆馬さんは父の姿を振り返る。
「父は家づくりの経験を重ねる中で、次第に自然素材に魅力を感じるようになっていきました。当時、多くの建設会社が一般的に採用していた建材は品質も耐久力も低く、人体に有害な可能性のある化学素材も一部で使われていたことに疑問を抱いたからです」と隆馬さん。隆洋さんは、パンと木片をビンに密閉し木材の抗菌力を調査したり、自然乾燥と人工乾燥とで木材の耐久力にどのように差が出るかを調査したりと、独自の検証を行った。それにより自然素材の頑丈さや抗菌作用を確信した隆洋さんは、「自然素材の家の良さをもっと世の中に広めたい」という願いのもと、無垢材と漆喰の「カンザキの家」を次々と世に生み出していった。
建築業界での常識や先入観にとらわれず、丁寧に実証を積み上げていった過程は、『いい家は無垢の木と漆喰で建てる』など、隆洋さんの著書に詳しく記録されている(参考文献参照)。
神﨑建設は全国で住宅の建築実績があるが、杉並区在住の顧客が最も多いという。他の地域と比べて社の認知度も高く、建設現場で社の看板を見た近隣の住民から応援の声がかかることもあるそうだ。
西荻窪在住のMさんも神﨑建設で家を建てた一人だ。2000年代前半に子供のアトピーとぜんそくの症状に悩んでいたMさんは、新聞記事で神﨑建設の存在を知り、「ここで建てる家なら子供の体調も良くなるかもしれない」と感じた。「20年近く住んでいますが、家に流れる空気が清々しく、森の中にいるような気分になります。今でも、玄関を開けたお客様が一言目に”ヒノキの香りがする“とおっしゃることもあります」とMさん。
創業50年の節目である2023(令和5)年9月、神﨑建設の哲学が詰まった資料館「桜匠館」(おうしょうかん)が杉並区浜田山にオープンする予定。一般向けのモデルルームとしてだけでなく、建築に興味のある若い世代の学びの場となることを期待して建てられた。名前には日本伝統の高い建築技術と、その担い手である職人らへの敬意が込められている。
骨組みには天然のヒノキや青森ひばを使い、「追掛け大栓継ぎ」(おいかけだいせんつぎ)など、今では寺社でしか見られないような日本古来の建築技法が随所に見られる。建物そのものが伝統技法の実例となっているだけでなく、あえて建築の過程を残した内装にして、来訪者に自然素材と伝統技法の魅力を伝える工夫をしているそうだ。「天然の木材は本来、曲がり方も節のつき方も1本1本違う。その個性を理解し、生かしながら家を建てるのが職人の仕事。工場で加工された木材が増えてきた今、これだけの自然素材を使って旧来の技法で建てているのは、知る限りではここだけ」と棟梁(とうりょう)の本村さんは語る。
「カンザキの家」は決して自分たちだけでは建てられない、と隆馬さんは語る。「当社の理念に共感してくれるお客様、理念を形にしてくれる職人たち、そしてスタッフたち。その誰も欠かすことはできません」
ちなみに先代社長はクラシックに傾倒して、自宅にパイプオルガンを作ったほどの音楽好き。隆馬さんも学生の頃はバンドのボーカリストとして多くのライブハウスをにぎわせた。「家づくりも音楽も、メンバーの長所を生かしながら一つのものを作り上げていく点が似ていますね。スタッフや職人、さらには素材もそれぞれが光る個性を持っています。それらの長所を掛け合わせながら、良い家を建てていきたいですね」
先代社長の「自然素材の家の魅力を広めたい」という願いは今、隆馬さんや職人など多くの人の思いと重なり合い、一つの音楽を奏でている。
『いい家は無垢の木と漆喰で建てる』神﨑隆洋(ダイヤモンド社)
『続 いい家は無垢の木と漆喰で建てる』神﨑隆洋(ダイヤモンド社)
『自然乾燥の無垢の木と漆喰で家をつくる―家を選ぶことは人生を選ぶこと』神﨑隆洋・神﨑隆馬(さくら舎)