北海道の北部、旭川市と稚内市を結ぶ宗谷本線の中間地点に位置する名寄市(なよろし)は、農業を基幹産業とする自然豊かな街。「名寄」はアイヌ語の「ナイ・オロ・プト(意味:川の・ところの・口)」が由来で、天塩川(てしおがわ)とその支流である名寄川が合流する地点であることを指している。
人口は約26,000人。以前は市内にある工場関係の来訪者が主軸だったが、近年は観光事業にも積極的に取り組んでいる。また、さまざまなイベントが開催されており、中でも2023(令和5)年で71回目となった「なよろ雪質日本一フェスティバル」は冬の一大イベントだ。世界中からアーティストが集まり雪の芸術作品を創作する「国際雪像彫刻大会ジャパンカップ」の注目度は高く、夜には雪像彫刻がライトアップされ街が幻想的なアート空間となる。
東京都内からのアクセスは、羽田空港から旭川空港までフライトで約1時間45分。空港からは、バスと電車だと乗車時間約1時間45分、車なら1時間40分ほどで名寄市内に着く。
1989(平成元)年、杉並区は風連町と「交流自治体協定」を締結。これが区の交流自治体事業のスタートとなった。その後、風連町と名寄市が合併して新名寄市が誕生した2006(平成18)年に、「交流自治体協定」と、1995(平成7)年に締結した「防災相互援助協定」を再締結した。
区の児童が名寄市を訪れる体験交流は1991(平成3)年に始まった。2012(平成24)年からは「小学生名寄自然体験交流事業」となり、例年約25名の児童がスノーシュートレッキングなど、区内ではできない体験をする。
イベントでの相互交流も盛んだ。「東京高円寺阿波おどり」には名寄市の風舞連(かざまいれん)が参加。「すぎなみフェスタ」では、名寄市から来た移動天文台車「ポラリス2号」が星空観望会を開催し、区民を楽しませている。一方、名寄市の「ふうれん白樺まつり」には、区の代表団のほか、「東京高円寺阿波おどり選抜連」が参加し交流を深めている。
また、自治体職員の派遣も相互に実施。派遣期間終了後も個人間での交流が続いている例もあり、双方の自治体の発展に寄与している。
北海道の中でも四季の移り変わりがはっきりしている名寄市の観光の目玉は、自ら自然に飛び込むアクティビティー体験。名寄ピヤシリスキー場でのスキーやスノーボード以外にも、季節ごとに以下のようなさまざまなアクティビティーに挑戦できる。
カヌー&サイクリング
6月下旬~10月下旬には、カヌーとサイクリングをガイド付きで楽しめる。駅前交流プラザ「よろーな」からレンタサイクルで出発。名寄川でカヌーに乗り換え、天塩川との合流地点に差し掛かる頃には、人工物が一切ない大自然が目の前に広がる。1857年に松浦武四郎(※1)が天塩川探検をした頃とほぼ変わらない風景は、歴史のロマンを感じさせる。
手ぶらで気軽に参加できるのも魅力だ。NPO法人なよろ観光まちづくり協会の山田さんは「アウトドアが苦手な人でも参加できるようにハードルを下げました」と笑顔で語る。
パウダースノーサファリ
1月下旬~3月下旬は、ピヤシリ山の雪深い林道や雪原をスノーモービルで走り抜け、氷雪をまとった巨大な樹氷「スノーモンスター」に会いに行くパウダースノーサファリを体験できる。運が良ければ、希少な自然現象「サンピラー」(※3)も見られるそうだ。
収穫体験
寒暖差の大きい気候を生かした名寄の農業に触れられる収穫体験も人気。夏季はミニトマトやアスパラガスなどでピザを作ったり、冬季は寒締めホウレンソウををしゃぶしゃぶ鍋にしたり、採れたて野菜のごちそうも味わえる。
サバイバルゲーム
夏季限定で、ピヤシリスキー場のふもとにサバイバルゲーム(通称サバゲ―)の屋外常設フィールドが設置される。約2,000坪の広い芝スペースを駆け回りながら、愛好家だけでなく、女性や子供も手ぶらで気軽にサバゲ―体験ができる。
空気の揺らぎが少ない名寄盆地は、星が良く見える星空環境が国内トップクラスで、「電気を消すと、まるで星空のスイッチを入れたみたいに星々が輝いて見えます」と語る市民もいる。
「なよろ市立天文台きたすばる」は、星空の街といわれる名寄市の中核となる天文台。1973(昭和48)年に、北海道立名寄高等学校の教諭であった故木原秀雄の私財により「木原天文台」として開設された。
北海道大学が設置したピリカ望遠鏡は、国内最大級1.6mの口径を持つ光学赤外線天体望遠鏡。大学の研究に使用されるだけでなく、週末夜は一般にも公開され、本格的な星空観測を体験できる。
また、キャンプ場「森の休暇村」が隣接しており、「小学生名寄自然体験交流事業」にも利用されている。「きたすばる」での天文学習に参加した児童が、星空の素晴らしさに感動して後日家族と再訪したエピソードを、台長の村上さんがうれしそうに教えてくれた。
名寄市北国博物館の野外に展示されているのが、SL排雪列車「キマロキ」編成。全国で名寄市だけにしかない貴重な展示で、JR北海道の準鉄道記念物に指定されている。
開拓期の北海道で厳しい冬を克服し、1903(明治36)年に宗谷本線が名寄駅まで開通した頃から活躍。1975(昭和50)年に全国でSLが役目を終えた翌年から展示保存され、キマロキ保存会が丁寧に維持管理している。4月から10月の展示期間中の日曜・祝日には、保存会会員による解説も実施され、汽笛を鳴らす体験も可能だ。
地元で育った市民に伺うと「そこにSLがあるのが当たり前」という感覚とのこと。子供たちの遊び場として、街のシンボルとして、「キマロキ」は愛され続けている。
名寄市は、もち米の作付面積日本一。約9割の水田でもち米が作られ、北海道で3分の1、全国で10分の1の生産量を誇る。やわらかく硬くなりにくい品種「はくちょうもち」は、伊勢名物「赤福」をはじめ、ファストフード店のおしるこやコンビニエンスストアの赤飯など、多くのもち米製品に使用されている。
道の駅「もち米の里☆なよろ」などで買えるソフト大福は、地元のもち米生産者たちが工夫を重ねて作り上げたもの。なめらかな餅生地と、バリエーション豊富なあんが人気の秘密だ。「株式会社もち米の里 ふうれん特産館」代表取締役の堀江さんは、「それまで冬は出稼ぎに行っていたが、冬でも地元できる仕事をということで、1989(平成元)年ごろから餅加工品を作るようになりました」と話す。当初は切り餅などの冬季販売が中心だったが、通年でも販売できる商品として開発したのが、このソフト大福。年間150万個以上の売り上げを誇る大ヒット商品は、作り手の思いが詰まる名寄の名物だ。
もち大使
2023(令和5)年に15代目が誕生した「なよろもち大使」。例年8月の「なよろ産業まつり~もち米日本一フェスタ~」で開催される「もちつきチャンピオン決定戦」の優勝者が大使となり、名寄もち米のPRを行っている。各種イベント、小学校や町内会の行事などで開催される餅つき大会において、餅つきの極意などを市民に伝授するのが主な活動だ。
中でも5~8代目の大使で、今では「なよろ名誉もち大使」となった水間さんは、道内外のイベントやメディアに引っ張りだこの人気者。餅つきの技術だけでなく、軽妙なトークが人気の秘訣(ひけつ)で、宴会の余興から小中学生の地域学習まで幅広く声が掛かるという。水間さんにおいしい餅の食べ方を伺ったところ、「つきたてをバターしょうゆで食べるのが一番」とのこと。
煮込みジンギスカン
ジンギスカンは北海道民のソウルフード。名寄市では以前から、焼くのではなく漬けダレで煮込むタイプが主流で、家庭料理として親しまれてきた。1937(昭和12)年に地元の「めん羊組合」の関係者が、羊肉料理実習でタレに漬け込んだジンギスカンの料理方法を習得し、農家に普及したのがルーツだという。
近年のご当地グルメブームなどを受け、他地域とは違うスタイルに注目が集まり、あらためて「煮込みジンギスカン」と命名。市内のレストランや居酒屋、道の駅などで食べることができる。もともとは家庭料理だったことから、野菜たっぷりで、老若男女に愛される優しい味わい。名寄市を訪ねたら一度は食べたい名物メニューだ。
朝方に杉並を出発し、羽田空港~旭川空港を経て昼ごろに名寄市着。そこから午後一には、サイクリングとカヌーで北海道の高い空の下、天塩川を下って体中に自然を浴びている、というなんとも鮮烈な体験になった。出会った名寄の人たちの人柄が素晴らしく、皆さん和やかで話が面白い!すっかり名寄ファンになったので、ぜひまた訪れたいと思う。「サンピラー」見たいぞ。
※1 松浦武四郎:江戸時代の探検家。北海道の名付け親。天塩川探検の記録は1862年刊行の『天塩日誌』にまとめられている
※2 地域おこし協力隊:都市地域から過疎地域などに住民票を異動し、地域おこし支援や地域協力活動を行いながら、その地域への定住・定着を図る地方公共団体の取り組み
※3 サンピラー:ダイヤモンドダストに太陽の光が当たって柱のように見える自然現象