佐藤實(さとう みのる)さんは、1950(昭和25)年から70年以上にわたって視覚障害者のための点字・点図(コラム2参照)に関わる仕事をしてきた。
17歳で新宿区西大久保(現大久保)の社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会(以下、ヘレン・ケラー協会)に就職。来日したヘレン・ケラー本人にも会ったという。定年まで勤めた後は、杉並区の社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター(以下、センター)で点図製版師として働いている。2023(令和5)年に90歳を迎えたが、「毎日、センターまでバスを乗り継いで片道1時間かけて通勤しているんですよ」と佐藤さんは笑顔で語る。
2022(令和4)年、これまでの功績が評価され、第16回(令和4年度)塙保己一賞貢献賞(※1)を受賞した。
点図とは、指先で触れて物の形を確かめるための触図の一種。絵や図などを視覚障害者が理解できるよう、凸状の点・線・記号で表現したものだ。視覚障害者向けの教科書の図形や地図などの多くがこの技法で作られている。
佐藤さんの仕事は、点図を紙などに印刷するための原版を作ることだ。「亜鉛の板に、ポンチ(金属にくぼみを付ける道具)で裏から点や線を一つ一つ打つんです。機械も使いますが、様子を見て加減しながらなので、ほぼ手作業ですよ。点の大きさや、線の太さや長さごとに何種類もポンチがありますから、どれを使うか考えて図を作ります」。点や線の種類を一覧にした見本の版には、さまざまな点や線がぎっしりと並んでいた。
佐藤さんが製作した点字地図帳は2008(平成20)年の発売以来、現在も多くの利用者に販売されている。
作業は、平日の午前中にセンターの製版室で行う。作業場には所狭しと機械や道具類が並ぶ。「製版用の道具類は自分で作ったり、手を加えたりしたものばかり。だから日本中、ほかのどこに行ってもないんですよ」。点を打つポンチの先端も自分で削って、さまざまな図に対応できるように工夫した。「バーナーで熱して削るんです。“この図に合う点を”って作っていったら、どんどんポンチの種類が増えたので、入れ物も作りました」
取材時、佐藤さんは視覚特別支援学校で使う中学の地理と国語の教科書の点図を製作していた。センターに併設されている就労継続支援B型事業所「チャレンジ」の醤野晴代さんは、「文章はパソコンで編集したものを自動で製版できますが、図や、パソコンでできない所は佐藤さんが作っています。点と点の間など、手の感覚でしか表せないものもあるんです」と話す。
佐藤さんは1933(昭和8)年、6人兄弟の末っ子として現東京都文京区で生まれた。生後すぐから右手に障害がある。「中学校を卒業した後、夜学(定時制高校)に通いながら(ヘレン・ケラー協会で)働きました。でも、就職する前は漫画家になりたいな、と思ったりしていました」。入職した時はヘレン・ケラー協会の中で最年少だったが、離職時には最年長の66歳になっていた。
働いている間、1955(昭和30)年に来日したヘレン・ケラーに会った。帝国ホテルへの送迎などに同行した時のことだ。「まだほんの若造の頃ですよ。周囲で学生さんなど大勢の人が見ている中で、抱きしめてもらったんです」と話す佐藤さんの視線の先には、ヘレン・ケラー来日時の写真のコピーが貼ってあった。
ヘレン・ケラー協会が発行する月刊誌「点字ジャーナル」編集長の福山博さんは、「当協会は、1950(昭和25)年、その2年前にヘレン・ケラーが2度目の来日をしたことを記念して設立されました。佐藤さんの最初の仕事は協会が運営するヘレン・ケラー学院で点字の読み方を教えることでしたが、その後、協会に点字出版のための製版・印刷機が導入され、そちらの部署に異動になりました。教科書を作る仕事では、自分が良いと思うやり方については譲らずに、担当編集者と何度も話し合うこともありましたね。職人気質で飾らない人です」と懐かしそうに振り返る。
ヘレン・ケラー協会は1982(昭和57)年からネパールの盲人福祉協会(NAWB)と連携し、海外での支援活動も行っている。佐藤さんもネパールを数回訪れて、点字の製版・印刷技術や機材の保守について指導したという。
センターでは、年に1回開催される視覚障害者向け総合イベント「サイトワールド」(※3)に出展し、活動紹介のほか、点字・点図を使ったカレンダーやしおり、クリアファイルなどの販売を行っている。グッズの多くは佐藤さんが製版したものだ。「こういう製品で、鳥とか葉っぱなど、いろいろ作るようになりました。この線とこの線を組み合わせたら鳥の足に見えるとか、研究したね」と佐藤さん。漫画家志望だったこともあり、デザイン性が求められる作業も楽しくこなしているようだ。佐藤さんの技術を受け継ぐため、2023(令和5)年からは若い人たちもカレンダー製作に参加している。
グッズはセンターのオンライン・ショップから購入することが可能だ。
▼関連情報
支援総合センターヤフー店(外部リンク)
2022(令和4)年、社会的に顕著な障害者支援活動などを行った個人・団体に贈られる、塙保己一賞貢献賞を受賞した。「それまで、点字を用いて図版や地図を表現する技術は進んでいなかったが、根気強く研究と実践を重ね、円や曲線の表現、面積や高低を伝える方法など、様々な技法を開発し、二次元の触図の世界に奥行を与えた」(埼玉県ホームページ「第16回(令和4年度)塙保己一賞受賞者」)功績が評価された。
この受賞を記念した「てんじのてんじ 点図製版師 佐藤實の「しごと」と「くふう」展」が、センターの主催で杉並区などの後援を得て、2023(令和5)年4月29日から5月14日まで、無印良品 西友荻窪で開催された。佐藤さんの仕事と点字の紹介、点図・亜鉛板の展示などがあり、ワークショップも行われた。
佐藤さんの仕事が広く知られることが、視覚障害者への理解がより深まる一助になるのであれば、とても素晴らしいことだと思う。
1933年、現東京都文京区生まれ。中野区在住。17歳から社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会で点字・点図に関わる仕事に従事、点図製版師となる。定年退職後、社会福祉法人 視覚障害者支援総合センターに入職。点図製版師として盲学校用の教科書の点図やオリジナルグッズなどを作っている。2022年、第16回(令和4年度)塙保己一賞貢献賞受賞。
※1 塙保己一(はなわほきいち)賞:江戸時代後期に活躍した全盲の学者、塙保己一の出身地である埼玉県が贈呈する賞
※2「広報すぎなみ」及び「区議会だより」は、区立図書館ほか区関連施設などで配架、希望する施設や希望者に無料で配布
「広報すぎなみ」の問い合わせ:杉並区総務部広報課 電話:03-3312-2111(代表)
「区議会だより」の問い合わせ:区議会事務局 電話:03-3312-2111(代表)
※3 サイトワールド:すみだ産業会館サンライズホールで開催されるイベント。視覚障害者のための展示会、講演会などが催される
https://www.sight-world.com/
社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター ホームページ
就労継続支援B型事業所「チャレンジ」 https://www.instagram.com/challenge_5052/
社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会 https://thka.jp
第16回(令和4年度)塙保己一賞 受賞者 https://www.pref.saitama.lg.jp/a0604/hanawa/zyusyousya16.html