荻窪駅南口近く、仲通りの古書店竹中書店は、長年、古書好きが通う名店だ。三代目店主・竹中和雄さんに店の歩みを伺った。
「創業1943(昭和18)年としているが、伝え聞いている話では、明治時代末からなんだ」。まだ書店が普及していなかった明治時代、初代・竹中龍夫さんが牛込区岩戸町(現新宿区岩戸町)で露店を出したのが始まりだった。「近隣にたくさん出版社があり、本を譲り受けて売ったと聞いている。夏目漱石も来たというけれど、どうだか。漱石の家の近くだったから本当かもしれない」
その後、若い頃から店を手伝っていた二代目・竹中昇さんが継ぎ、商売を発展させたが、空襲で店が全焼してしまう。「なぜかドイツ語の辞書2冊だけが焼け残ったんだって。失意のさなか、懇意にしていた方が膨大な冊数の蔵書を売ってくれたんだ。それを元に店を続けることができた」
再出発の地に選んだのは荻窪だった。
1946(昭和21)年、杉並区宿町(現杉並区桃井)に転居。荻窪駅南側のバス通り沿いのバラック建築の店舗で開店した(現在の三菱UFJ銀行荻窪支店付近)。終戦後の混乱期だったが、人々は本を求め、低価格の古書を売る店は繁盛した。
荻窪駅南口周辺の古書店では、深沢書店(閉店)が草分け。ついで竹中書店が開店し、ほどなく岩森書店も移ってきた。
1962(昭和37)年、営団地下鉄荻窪線(現東京メトロ丸ノ内線)が開通し、荻窪駅南口が造り直された(※1)。道路の道幅も拡張され、1965(昭和40)年、竹中書店は立ち退きを求められて現在の場所に移転。龍夫さん夫妻が暮らしていた三軒長屋の真ん中の家を、4階建ての店舗兼住宅に建て替えた。
和雄さんは、古書店の店主になる前は船乗りだった。「東京商船大学(現東京海洋大学)を卒業し、タンカーの会社に入社した。外航路船の船員だった」
1971(昭和46)年、昇さんの長女・菊栄さんと結婚。店の近くに住んではいたが、菊栄さんともども古書店を継ぐ気はなかった。「先代も自分の代で店を閉じるとずっと言っていたんだけど、ふいに“やってみないか”と切り出された」
1979(昭和54)年に下船。古書店の下働きを始めたのは39歳の時である。先代に「店の本を覚えろ。市(※2)を見に行け」と言われ、古書業に関するノウハウを学んでいった。高円寺の都丸書店(とまるしょてん、閉店)など、古書業者の先輩たちの助けも借りた。
古書の値付けについて、「例えば定価が千円だったとしても、自分で1万円と評価したら、1万円の6掛けで6千円。評価は感覚だね」と和雄さんは言う。「感覚を養うには20年はかかるんじゃないかな」
竹中書店は代々、古書を買いに来た客と懇意になり、客から古書を仕入れることに力を入れてきた。そうした客の中には、荻窪周辺の学者や作家も数多くいた。「先代が荻窪に移転したのも、荻窪には文士が多く住んでいたから本が集まると考えたんじゃないかな」。和雄さんも、林健太郎さん、河盛好蔵さん、柴田翔さん、川本三郎さんなど、学者、評論家、小説家と懇意にしてきた。
現在、店内に並べている本は約3万冊、書庫の蔵書を合わせると2倍以上になる。永井荷風さんや井上靖さんなど、作家の自筆サイン本も所有している。希少価値のある古書も多い。数年前、とある客から感謝の手紙を受け取り、古書店冥利に尽きたという。「うちの店で、江戸末期に書かれた『環海異聞』を見つけ、物書きになる決心をしたんだって。ロシアに漂着して帰国せず、日露辞典の作成に寄与した石巻の漁民の話なんだけど、そのお客さんも石巻の人で、よほど感銘を受けたんだろうね」。手紙の差出人の著書と竹中書店の紹介記事が、岩手県の新聞紙上に掲載された。
「錠前屋、げた屋、かけはぎ屋、経師屋(きょうじや)…、1970年代初めの仲通りには職人の店がたくさんあったね。今、古くからある店は、うちと、かどやさん、カブト屋文具店さん、金寿司さん、ドライヤさん、岩森書店さん」
仲通りは車両が通行制限されており、遊歩道のように舗装され、そぞろ歩きを楽しめる。四季折々のイルミネーションや花壇などのセンスもいい。古書店としては、そぞろ歩きで若い人にも店に立ち寄ってほしいところだが、「住民層はどんどん変わっていくし、立ち寄るのも年配者が多い」と言う。「荻窪南口仲通り商店会のリーフレットを作ったり、イベントをもっとやったりしたらいいとは思うけど、言わないの。だって、自分がまとめ役にならなきゃならないでしょ。いつのまにか現役では上がいない時代になっているわけだから」
▼関連情報
荻窪南口仲通り商店会(外部リンク)
文学、歴史、芸術…、各ジャンル、通好みの古本を多くそろえているが、時代の変化に戸惑うこともある。「今は学者を志すといっても、研究の仕方が情報を集めて貼り合わせる傾向になっているでしょ。内容が浅い。以前は若い研究者がよく買いにきたんだけどね」
買い取りは、転居する人の本が多い。「マンションとかに引っ越す段になって、本人より奥さんが“なんとかしなさい”ってことで」。また、故人の遺族が蔵書を引き取ってほしいと持ってくるケースも増えている。「本人が生きているうちは手放さないけれど、亡くなっちゃうとね」
徳川夢声さんの蔵書は息子さんの申し出で、近藤富枝さんの蔵書は娘さんの申し出で買い取った。井伏鱒二さんの蔵書を買い取る話もあったが断ち消えとなった。買い取った徳川さんと近藤さんの蔵書の一部は店頭や市場に出したが、ほとんどは店の書庫に保管されている。
1985(昭和60)年ごろには、荻窪駅周辺に古書店が10軒ほどあったが減少傾向にある。しかし、古書業界全体の危機的時代を経てなお、杉並区内では、中央線の各駅周辺で複数の古書店が営業している。「古書店は1軒だけでは成り立ちにくい」。互いに共栄、共存の関係があり、仲間として付き合っている。
2000年代には、荻窪、西荻窪、吉祥寺の古書店情報のフリーペーパー「おに吉 古本案内」(※3)が書評家・岡崎武志さんの発案で発刊され、竹中書店も参加した。「皆で発行の費用を出し合った。岩森書店さんと対談したりしてね。定期的な集まりは数年前まで続いていた。しゃべったり飲んだり楽しかったね。吉祥寺の外口書店さんや、さかえ書房さんとも昔から仲がいいからね」
最後に、古書店の商売の心得を尋ねてみた。「売り買いの問題じゃなくてお客さんとのコミュニケーションが大事。どの人がどの本が好きかわからないとできない。人柄が大事だね」。杉並の古書業界の年長者らしい、含蓄のある答えが返ってきた。
※1 営団地下鉄荻窪線が開通する以前は、都電14系統(都電杉並線)の路面電車が青梅街道を走っていた。都電の荻窪駅は、現在バス通りが環状8号線方向に折れる辺りにあった。中央線の荻窪駅は、駅開業時は南口のみだったが、北口が開設され、南口と北口が跨線橋(こせんきょう)でつながった。北口周辺は住民の増加とともに発展し、終戦後には北口が荻窪駅のメインの入り口になっていた。都電の荻窪駅そばにはかつて荻窪会館(古物会館)があり、古書市も開かれにぎわった
※2 東京古書組合のある神田、東京古書組合中央線支部のある高円寺で開催される。古書業者間の交換市だが、一般の人も購入できる
※3 「おに吉 古本案内」:古書店の情報のほか、荻窪、西荻窪、吉祥寺周辺に暮らす古書好きの作家やイラストレーターのエッセイ、漫画、イラストを掲載したフリーペーパー。2001(平成13)年から2009(平成21)年まで発刊され、参加古書店や都内の古書関係各所に置かれていた。作家の角田光代、三浦しをん、山崎ナオコーラ、イラストレーターの久住卓也、スズキコージらが参加した