藤子不二雄Ⓐさんと藤子・F・不二雄さんの漫画に登場するキャラクター「ラーメン大好き小池さん」には実在のモデルがいる。東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム(以下、SAM)の名誉館長、鈴木伸一(すずき しんいち)さんだ。
後に日本を代表する漫画家となった仲間たちとトキワ荘(※1)で過ごし、23歳の時にアニメーション(以下、アニメ)の世界に飛び込んで以来、90歳を超えた今もアニメに関わる活動を続けている。
鈴木さんに、アニメ制作の楽しさや、尊敬する先輩との思い出など、さまざまな話を伺った。
漫画との出合い
鈴木さんは1933(昭和8)年、長崎県長崎市に生まれた。「父の仕事の関係で、小学校1年生が終わると満州に引っ越しました。そこでぜんそくが起こるようになり、学校を休んでいる時に少年雑誌などを読んで過ごしたのが漫画との出合いです」。その頃に読んでいたのは『フクちゃん』『のらくろ』など。そのうち自分でも漫画を描くようになった。
終戦になり、鈴木さんは家族で満州から長崎に引き揚げた後、山口県下関市へ。母親の看病の傍ら、雑誌『漫画少年』や『少年クラブ』に漫画を投稿し始めた。「中学生の頃、かなり入選したんだよ」
やがて、東京で漫画の仕事がしたいという思いが強くなった。「満州で知り合った漫画家の中村伊助さんに手紙を書いたら、上京を勧められてね。下関の印刷工場を辞めて、22歳で東京に出てきました」
中村さんの家に居候をしている時に、『漫画少年』の版元・学童社にあいさつに行くと、トキワ荘を紹介された。「投稿漫画選者で漫画家の寺田ヒロオさんが敷金を貸してくれたので住むことができました。ガス代も払えなかったので、お茶を飲みたい時には藤子不二雄Ⓐさんの部屋に行ったなあ」。20代前半の仲間たちと映画やSFのことをワイワイ語り合ったり、合作漫画を制作したりしながら、一つ屋根の下で楽しく暮らしていたそうだ。
漫画だけでは生活できず、昼間はデザインスタジオで働き、夜に漫画を描いていた鈴木さんに、中村さんが『フクちゃん』の作者である横山隆一さんを紹介してくれた。アニメ好きだった鈴木さんは、横山さんが設立したアニメ制作会社・おとぎプロダクションに住み込みで働くことになった。
アニメ「ふくすけ」(※2)の制作などに関わり、7年間いろいろなことを勉強させてもらったが、いつまでも同じところにいると自分に甘くなってしまうと思い、1963(昭和38)年に退社。同年、トキワ荘の仲間だった、藤子さんたち、石ノ森章太郎さん、つのだじろうさんとアニメスタジオを設立する。「実際にはスタジオがないから“スタジオゼロ”と名付けたんです。会社の代表者はあみだくじで決めて僕が選ばれました」
スタジオゼロでは、アニメ「おそ松くん」や「パーマン」などを制作。だが、本業の漫画が忙しいメンバーが次第に関われなくなり、1970(昭和45)年に事実上解散。鈴木さんの個人事務所の形で継続することとなった。
鈴木さんはディズニー作品が大好き。特に、日本で初公開された時に40回も見た「白雪姫」がお気に入りとのこと。
1978(昭和53)年、東宝映画「火の鳥」のアニメパートの演出を受け持ったお礼に、手塚治虫さんに誘われて、アメリカのディズニースタジオと、「白雪姫」などのアニメーターで大ファンだったウォード・キンボールさんの自宅を訪問した。「手塚先生の“鉄腕アトム”から日本のテレビアニメは始まりました。先生の作品は、SF的なものや、大人のために制作されたのかと思うほど深い構想のものが多い。手塚先生といろんなことができたから幸せでした」
もう一人、鈴木さんのアニメ人生に影響を与えたのは、住み込みで働かせてもらった横山隆一さんだ。「入社の面接で初めてお会いした時に、“手を見せてごらん。爪が大きいからアニメに向いているよ”と言われました。横山先生が楽しい人だったから、アニメが僕の仕事になったのだと思います」。30歳でおとぎプロを退社した後も、横山隆一さんとの交流はずっと続いた。
2005(平成17)年、杉並区上荻に誕生したSAMの館長に就任。「手塚プロダクションの松谷孝征さんから“館長になってほしい”と頼まれ続けていてね(※3)。日本初のアニメに特化したミュージアム、しかも公共施設だから、オープンしてからもしばらくは失敗できないなと緊張していました」。古い建物だったので子どもが危なくないよう、建物の階段の手すりを高くすることも提案したという。
アニメを作る楽しさを一般の人にも伝えたいという思いから、特に力を入れたのはワークショップだ。「来館者とリレー式のアニメを作ったこともあります。僕が描いたアニメの最後の絵の続きを次の人がリレーのようにつなぐというアニメで100名以上が参加して、テーマソングも作りました」。こうして、SAMオリジナルアニメ「ワンダーサムのゆめ」(※4)が完成した。
2020(令和2)年に館長を退任し、名誉館長となった現在も、「アニメーションミュージアム発のアニメのワークショップを全国に広めていきたい」と鈴木さんはほほ笑む。海外からも、アニメの美術館のようなものを作りたいという相談がきているそうだ。
「ラーメン好きの小池さんは、藤子不二雄さん(藤子不二雄Ⓐさんと藤子・F・不二雄さん)の遊び心が生んだキャラクター。ある時、漫画『オバケのQ太郎』に、突然私の似顔が描かれていたんだ」。鈴木さんは当時、鎌倉の小池さん宅に下宿をしており、そのラーメンを食べているキャラクターの家の表札にも「小池」と描かれていた。以来、鈴木さんの似顔キャラクターは「小池さん」と呼ばれるようになった。
鈴木さん自身も、ラーメンをはじめ麺好きだが、漫画のようにいつも食べていたわけではないとのこと。「職場と家の往復で杉並区内を探索する余裕はなかったけれど、区内のうまいラーメン店は知っていますよ。特に、SAMの通勤時に利用した荻窪の味噌っ子ふっくが気に入っています。それから、荻窪駅の近くにおいしいステーキ店を見つけて、ミュージアムのスタッフたちにも紹介して、ことあるごとに通ってます」
2004(平成16)年には、ベテランのアニメーション作家9人で、自主アニメーション制作と上映活動を行うグループ「G9+1(ジーナインプラスワン)」を結成。「今年で結成20年になります。アニメの打ち合わせで集まっては、最後は必ず飲み会で終わる、遊びのようなグループです。昔からの友人である電通映画社(現電通テック)の和田敏克さんがグループをまとめてくれています。ちなみに“G9”のGは“じいさん”のジーで、和田さんだけ60歳以下なので“+1”を付けたんだよ(笑)」。作品は、ミニシアターや日本アニメーション協会のイベントなどで披露しており、鈴木さんがシンボルキャラクターをデザインした鳥取県の「わらべ館」でも公開イベントを行ったこともある。2024(令和6)年9月には、結成20周年記念イベントを杉並公会堂で開催した。
「僕はもうすぐ(2024年12月で)91歳だから、アニメはもう制作していないんです。今はデイサービスでマージャンをするのが楽しくて仕方ない。そういえば昔も、人形美術家の川本喜八郎さんやムツゴロウ(畑正憲)さんたちとも、よくマージャンをしたなあ」。現在の暮らしぶりからも、みんなと楽しく過ごすことが好きな鈴木さんの様子が垣間見える。
今までに制作した作品の中で一番印象に残っているのは、「ふくすけ」などおとぎプロ時代に横山隆一さんと作ったアニメだという。「やはり、本当にアニメの仕事の場に入ったという思いがありました。今振り返ると技術的にはそれほどではないのですが。その後、東映動画ができて、宮崎駿さんらが入ってきて大きな仕事をやってくれて。時代によって、アニメもどんどん進歩していきますね」
アニメのワークショップも、今後もどんどん日本や世界に広がってほしいと鈴木さんは目を細める。「ワークショップはSAMからスタートしたのですから。アニメ制作は本当に面白いので、皆さんどうぞ杉並アニメーションミュージアムに遊びに来てください」
1933年、長崎県生まれ。
1956年、おとぎプロダクションに入りアニメーターの道へ。
1963年、トキワ荘の仲間とスタジオゼロを設立。その後スタジオゼロは解散するも、ゼロの会社を引き継ぐ。
「おそ松くん」「パーマン」などのアニメシリーズの他に、数々のコマーシャルフィルム、自主作品の制作、学習雑誌の漫画など幅広い分野で活躍。他に「火の鳥」「パーマン バードマンがやって来た!!」「森の伝説 PART1」にも参加。ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)では、マレーシアの漫画家ラット氏と「ミナの笑顔」「ミナの村と川」などを共同監督。また、アニメ創作集団「G9+1」を結成して、2005年に「TOKYOファンタジア」を発表。
2つの国際アニメ選考委員(広島・上海)、毎日映画コンクール大藤賞・アニメーション賞の選定委員、文化庁メディア芸術祭アニメ審査委員を経て、現在日本アニメーション協会名誉会員。平成12年度文化庁長官表彰、東京アニメアワードフェスティバル2016功労賞受賞。東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム名誉館長。
※1 トキワ荘:東京都豊島区に1952(昭和27)年から1982(昭和57)年にかけて存在した木造2階建てアパート。手塚治虫さん、藤子不二雄Ⓐさん、藤子・F・不二雄さん、石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんら著名な漫画家が居住していたことから、「漫画の聖地」となった
※2 「ふくすけ」:横山隆一さんが主宰するおとぎプロダクション製作による短編アニメーション。1957(昭和32)年公開。1957年度キネマ旬報短編映画ベストテン第8位入賞、毎日映画コンクール教育文化映画賞などを受賞
※3 SAMの運営を委託された一般社団法人日本動画協会で理事長をしていた手塚プロダクション社長・松谷孝征さんから、館長就任のオファーを受けていた
※4 「ワンダーサムのゆめ」:鈴木さんが描いたアニメの最後の絵を次の人が引き継いでアニメを描き、またその人の最後の絵を次の人が引き継ぐという制作方式のアニメ。「ワンダーサムのゆめ」では103名の参加者がリレー形式でつなぎ、約6分のアニメとなった。アニメーションミュージアムのライブラリーで見ることができる
『アニメが世界をつなぐ』鈴木伸一(岩波書店)
『アニメと漫画と楽しい仲間』鈴木伸一(玄光社)
取材協力:東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム、カフェ・ド・シュロ