須田 杉並では昭和40年代に水田はほぼ消滅しました。高井戸田んぼが最後でした。当時人口の急激な増加で宅地化が進みました。家を建てるために田んぼを埋めなければなりませんが、その土は多摩丘陵から運ばれたそうです。
―― 多摩丘陵って多摩ニュータウンの開発ですか!?よく地下鉄丸ノ内線を掘った残土で善福寺川周辺を埋めたって聞きますが…。
須田 あれは荻窪団地と阿佐ヶ谷住宅です。丸ノ内線の土だけでは善福寺川~神田川の井の頭通り周辺の田んぼは到底埋まりません。
―― よく坂道沿いの住宅が段差になってる場所があるけどあれも道を作った土で低い場所を埋めたんですか?
須田 切り通しですね。もちろんそうです。そのように宅地を造成すると今度は各家から生活廃水がでますね。それらを川に流したので当然汚水になります。
―― そういえば昔は「どぶさらい」ってやりましたよね。「どぶ臭い」なんてもはや死語ですよね。あと「ヘドロ」なんて言葉もね。でも、宅地化が進む以前は生活廃水ってどうしてたんですか?
須田 もちろん川や田んぼに流していました。でも、昔は量が少なかったので水草が浄化してしまうんです。洗濯石鹸水なんかも養分になってね。でも田んぼを埋めて家を建てたから浄化する事が出来ないんです。自然の浄化能力を超えた水は汚水になります。
―― 排泄物は汲み取りが来てましたけど、生活排水は垂れ流しだったんですね。
須田 川や池を汚す3大元凶は(1)大雨による汚水の流入(2)コイの生息(3)増えすぎたカモなどの水鳥のフンなんです。
―― コイやカモって、人間が橋の上からパンくず投げて「あぁ、のどかだなぁ」と眺めて憩うものじゃないですか。そもそもコイって何で池や川に放流してるんですか?
須田 元々はボウフラ(蚊の幼虫)を退治するためだったのですがコイは水草も食べてしまう。そもそも水草が十分生えていれば水は浄化されるんです。
―― じゃあブラックバスと変わらないじゃないですか!人間が良かれと思ってやった事が裏目にでてる!
須田 私に言わせればブラックバスよりもひどいです。よく水草が生えると臭いとか蚊がわくから取ってくれという苦情があるんですが、それは全く逆です。水草が十分に生えていれば水は浄化されるんです。
―― でも夏になると井の頭池の緑色の水が臭ったりしますよね?
須田 あれは植物プランクトンのアオコで水草とは違います。プランクトンが大量発生すると水面を覆い、池の水草が育たず酸欠状態になるんです。本来、水草が十分に育てば水は浄化され小魚や昆虫やカエルも増えボウフラを食べるはずなんです。でも今のように下水道が発達していなかった当時、ボウフラなどの害虫の発生を防ぐためには川に蓋をしたり土管を埋設するしかなかったんです。
臭いものには蓋をせよ。汚れたものは水に流せよ。汚れた水を早く下流に流すために川幅を広げ直線化した
須田 たとえば戦前戦中の井の頭池の水量が約6万tで湧き出る水量は1日1万tありました。そうすると池の水は1週間で入れ替わるわけです。善福寺池なら3日で入れ替わるんじゃないかな?でも開発が進んで地下水脈が絶たれると川の水量も減ってしまう。そこに生活廃水が流れ込むので浄化しきれなくなる。
川が蛇行していると水がゆっくり流れるけど、生活廃水が混じった臭い水は一刻も早く流し去ってしまいたいですよね。だから次は川幅を当初の倍に広げ直線化し、護岸を固めて急いで海に流しちゃったんですよ。その頃から東京湾の汚染が問題になってますよね。隅田川なんてとても泳げる川じゃなかった。
―― あぁ、全てがそこにつながってるんですねぇ。。。
悪臭を放つ小川は蓋をされ「暗渠(あんきょ)」となって人々の記憶から消し去られた
須田 区内を歩いていると鉄パイプのU字型の柵で車両止めしている細い道がいたるところにあるでしょ。あれは「遊歩道」といって川の名残なんです。それほど杉並は川が多く水に囲まれた街だったんです。高度成長期は生活廃水や工業排水を流すため暗渠化が進みました。川の暗渠化は北部の井草川は早かったです。東京オリンピックの頃に大規模な開発が行われ宅地化も早かった。
―― そうするとトンボの数が減ったのはやはり宅地化が原因ですか?
農薬なんかの影響はありませんでしたか?
須田 杉並に関して言えば宅地化ですね。地方の水田地帯でしたら農薬の影響があったでしょうが、杉並はそれ以前に水田が減少してますから。
須田 人間の都合だけを押し付けてはいけないが、今さら江戸時代の生活に戻ることも出来ない。緑化は賛成というのなら自分の住んでる家も全部壊して木を植えなきゃならない。でもそんなこと反対するに決まってる。
―― 自分の家の隣が緑化されるのはいいけど自分の家を壊すのは困る。
須田 だから、今の生活を維持しつつ、少しでも緑化を促すなら屋上や壁面の緑化しかない。それだってだいぶCO2の吸収になりますよ。
―― だったら下水道の完備された今、暗渠のフタを再びはずしてしまえばいいんじゃないですか?
須田 それもいいと思いますよ。但し地域住民が自然を愛する心がけをせねばだめですね。
現在、桃園川や井草川の遊歩道はアスファルトを部分的にはがし緑道となっているが、細い路地はまだまだそのままである。水のない川を舗装して雨水を大地に帰さず海へ流すのはなんともったいないことだろう。
須田 ヤゴ救出大作戦だって40数年前、私が桃井第二小学校でやったのが最初なんですよ。
―― ということは昭和40年代じゃないですか!
須田 当時都内には約600の公立小中学校がありました。桃井第二小のプールで調べた結果、プールに多数のヤゴが生存し、一校あたりが約1000匹のヤゴがいると試算しました。1000匹×600校となると60万匹のヤゴがいる計算になります。それがプール掃除によって毎年60万匹のヤゴの命が奪われる。この命を救おうとはじめたのがヤゴ救出大作戦の事始めです。
ヤゴ救出大作戦は環境問題を考えるきっかけに過ぎない
―― ヤゴ救出大作戦はトンボの生態調査に役に立ってるのでしょうか?
須田 いや、調査という意味ではあまり役には立っていません。「ヤンマお誘いセット(注)」を作ってヤンマを呼び寄せるのでは「ペット」と変わらない。これは自然の状態ではないので「調査」とはいえないけれど、トンボを増やす工夫という点では意味があります。
ヤゴを救ってトンボばかり増やしてもヤゴのエサがなければ結局はヤゴ同士で共食いしてしまう。アゲハチョウを増やそうとカラタチの木をいっぱい植えたところで、鳥たちにエサのありかを教えてるようなものです。
―― つまり、人間が良かれと思ってやった事が裏目に出るわけですね。
須田 要はただトンボを増やすだけではダメ。トンボの飛翔能力は高いので50kmくらい平気で飛んでますよ。だから杉並にトンボが住める場所がなくなったところでトンボが困ることはありません。そうではなくもっとトンボの気持ちを考えてすべての生きものを増やさなければ意味はない。環境(水と水草とエサ)があればトンボは戻ってくるのです。実際、(ヤゴ救出大作戦をやって)川に棲む流水性のものは減っていますが田んぼなどに棲む止水性のトンボは数を増やしています。ただ、子供たちが環境問題を考えるきっかけになればそれは「意義」があります。
(注)ヤンマお誘いセット……アカトンボやシオカラトンボのように水面に直接産卵せず、水草にとまって産卵するイトトンボやギンヤンマをプールに呼び寄せる木の枝などを取り付けたイカダ。オフシーズンのプールに設置することにより生息数は増加した
田 せっかくヤゴを救っても共食いしたら意味がないというわけではありません。思い通りの結果が出なくても「次のステップ」としてその経験を活かせばいいのです。
―― でも人間はそうやって失敗ばかり繰り返していますが…。
須田 それでもやらないよりはやった方がいいです。ヤゴ救出大作戦をきっかけに各学校にビオトープが増えたことは「意義」があります。今、神田川はだいぶ水草が増えました。井の頭池の水が高井戸あたりで透明になっていますよ。
馬橋稲荷の裏手には水そのものを神様とする「水神社」がある。神社の裏手にあるこのような小さな祠は各地の湧き水や井戸に神様を奉ってあったものだ。その後開発等で邪魔になった祠を廃棄するのは忍びないと近隣の神社に合祀するようになったものだ。「弁財天」「厳島」「稲荷」なども湧き水の神様である。家の台所には区内の川の水源の神様である青梅の「御嶽神社」のお札を貼っていた。(武蔵野台地を流れる川のほとんどが多摩川水系)農民は水と共にくらし、何より水の大切さを理解していた。だからこそ人々は水源を神様として大切にまもってきたのだった。今、私たちが忘れていることは水に対する感謝の気持ちなのではないだろうか?