「芸術監督」という職業はなじみの薄いものだが、どのような職業なのだろうか。
単純に言えば、どんな施設にするのか、そこで何をやるかを構想する人。この劇場ではどんなことをやっていくのか、ひとつの価値観にそって自分の責任において決めていく人が「芸術監督」なのですね。
僕は座・高円寺で、ジャッジをする役割をしようと思っています。最初はなるべく広い範囲の人たちに劇場を使ってもらい、お客さんの反応を見ながら、少しずつ丁寧にこの劇場にふさわしい出し物や使い手を見つけていこうと思っています。最初から良いとか悪いとか決めつけずに、多角的に見て判断していきたいですね。普通のお客さんよりも少しだけ多く芝居や舞踊を見てきた経験をふまえながら、先入観を持たずに作品を見る。それと、お客さんの反応をお客さんと一緒に舞台を見ながら受け止めていく。
ここでの僕の役割は、作り手代表ではなく、この劇場に最も多く通う観客代表であること、だと思っています。
芸術監督である佐藤さんが2009年5月オープンの杉並区立杉並芸術会館【座・高円寺】(以下「座・高円寺」)に携わって5年目になる。以前は世田谷パブリックシアターも手掛けていた佐藤さん。座・高円寺にはどのような構想をお持ちなのだろうか。
一言で言うと「広場」にしたい、ということでしょうか。劇場というと、非常に限定されたものと考えられるかもしれませんが、簡単に言えば「人が集まる場所」ですよね。今回この公共の劇場(座・高円寺)でやりたいと思っているのは、お芝居をする場所に人が集まるのではなくて、「人が集まっている場所でお芝居をやっている」ということです。
お芝居を見に来る人は、この劇場でいえば一度にせいぜい200~300人ぐらい。お芝居をやっている2~3時間のとき以外は劇場を閉めておくなんて、立派な建物なのにとてももったいない。
座・高円寺は、普通のホールと違ってロビーがないんです。建物の中で色々な人が交ざりあう。おいしいメニューのカフェがあり、「劇場創造アカデミー」という学校もあり、フリーマーケットをやっている日もあれば、音楽や踊りやお芝居をやっている日もある。観劇目的の人だけでなく、カフェに通ううちにちょっと芝居も覗いてみようかなんて思う人もいる、そんなふうにしたいですね。この施設を、人が集まる仕掛けがいろいろある、高円寺の町にあたらしく出来た「広場」として使いたいと思っているのです。
座・高円寺は劇場という顔と共に「公共施設」でもある。この役割を佐藤さんはどう考えているのだろうか。
公共施設は、稼働させる時にイニシャルコスト(施設等への初期投資)をどう消化していくかをいちばん考えます。なにしろ、大きな金額の税金を使ってつくられた建物ですからね。きめ細かな企画や方法を考えて、とにかくまず、建物をとことん使っていく工夫をしないともったいない。従来のような使用時間や使用目的を限定した管理は、比較的簡単なんです。でも、それだけでは絶対に足りない。区民の財産である建物を、きちんと適切に使い切っていく工夫、それが公共ホールが果たすべきサービスだと思うのです。劇場ですから、もちろんお芝居でも使うけれど、24時間お芝居することは当然できないし、来る人も観客としてだけでは人数も時間も限られます。もしカフェが気に入れば、観劇の前後に食事をして過ごせるわけだし、食事目的だけで来ることもあるでしょう。たとえば、カフェには沢山の絵本を集めていつでも手軽に読んでいただく工夫をしています。
この劇場は、土曜と日曜の午前中は、子どもたちが来ればかならず何かやっています。絵を描いたり本を読んだり、とにかく自由に遊んでほしい。もし劇場がお芝居しかしないところだと、表から建物を眺めて帰ってしまう人の方が絶対に多い。でも、オープニング企画の「旅する絵本カーニバル+びっくり大道芸」のように、中に入れば誰でもタダで1時間は楽しんで参加できるものがあれば、人が集まる。この施設は利用者が利用していくうちに使われ方が決まっていけばいい、と思っています。
あまり厳密にプログラムを組むのではなく、可能な限り規制を緩め、何をしたいか、何をやってほしいかを来て下さった方々から聞きながら、施設の形を一緒に作っていきたいと考えています。
佐藤さんの言葉には「子ども」という言葉がキーワードとして登場する。佐藤さんにとって、劇場や芝居、子どもとはどのような関係を持つのだろう。
座・高円寺では、子どもたちのためにオリジナルのお芝居を作り、毎年、杉並区立の小学校の4年生全員を招待しています。これを10年続けていけば、杉並区の子どもたちの中から、お芝居を見るのが好きな人、自分でお芝居をつくろうと思う人がきっと大勢育ってくると思っています。
お芝居が嫌いという人は、「一番最初に見たお芝居が嫌い」だからだったりします。だから、お芝居嫌いな人の中には、本当はお芝居を見る力がすごくある人が案外多いんじゃないでしょうか。もしも早い時期に2つの芝居を見られれば、お芝居は1つのものと決めつけずに、こっちは好き、こっちは面白い、というように選びながら広がっていくと思うんです。
僕にとっては「子どもたちへ」ではなく「子どもたちから」なんです。子どもたちが考えていること、子どもたちの視点から学んでやっていかないと、たぶん未来に向かってなにも作れない。子どもは、私たちのそばにいる未来人の元。子どもの世界にとって、たとえば高円寺という町は全世界です。逆に言えば、子どもはその世界をとても濃密に見ているし、生きているんです。彼らこそ実際に未来に生きる人たちなのだから、彼らに直接話を聞いて、彼等がいま見ていること、感じていることをきちんとつかまなくては、といつも思います。
僕は9年間東京学芸大学で教鞭をとり今年退官したのですが、モチベーションは「演劇と教育」でした。その頃から子どもという存在は視野に入っていたのですが、特にこの3年ほど、沖縄での子どもの演劇プロジェクトに実際に関わって視点がかなり変わりました。最初はやはり教育という側面から入り「子どもへ」という視点だったのが、実際に子どもたちと作品を作りながら「子どもから」こそが本当なんだな、と実感したわけです。子どもにいいものを見せるなんて傲慢なのですね。子どもから学ぶ、これが演劇の持つ役割だとつくづく思います。
僕は過去に20年間黒テント(劇団)で全国を旅していましたし、散歩も大好きで、いろいろなまちに行くのですが、高円寺は何の当てもなくても、30分くらい、ことさら何があるというのではないけれど、飽きず歩けてしまう。世代や性別関係なく、どんな人もお気に入りの一軒を見つけられるまちだと思います。まず安いし(笑)、本当に多様な店がある。骨董や伝統文化的なものからサブカルチャーまで、さまざまなものがある。その魅力、つまり劇場にとってまちが面白くなれば人が来る、これは相関関係なんです。高円寺に行ってみようか、という気持ちが人にあればこの劇場にもかならず人がやってくる。劇場に出し物で人を呼ぼうとすると、偏りが起きる。集客目的の有名人のキャスティングばかりでは演目も限られるし、子どものためのお芝居や実験的なものなどをやる余地も限られてしまう。反対に芸術性が高いものばかりを気取ってやっているだけでは、まちが持つ雰囲気を壊してしまうことだってあるでしょう。高円寺のまちが面白くなることに力を貸すことができないと、この劇場の意味がないし、劇場自身も成長していかない。施設だけの運営ではなく、まちと協力しながら何ができるかをいつも考えていなければならないと思います。
「座・高円寺」に一度来て下さい。来て下さった方から直接話が聞きたい、と思っています。最初から「できない」という返事をするのをよそう、といつもスタッフとも話しているのです。お互いに検討してみて結果としてできないことはあるかもしれないけれど、何もやらないうちから「できない」ということはやめようと思っています。あらかじめ決めている規則があっても、予測していないものが来たとき、本当にできないのかどうかは分からないのです。
この劇場は、最低限の間仕切りのほかは、大きな階段でつながった区切りのない自由な空間になっています。「広場」というか、「空き地」という自由さや開放感をもってふらっと立ち寄ってみる。そんな空間になるといい、そう思っています。
-ゆったりとした語り口ながら、そこには情熱と未来人である子どもへの愛情が溢れる。佐藤さんの言葉から、座・高円寺で何か面白いことが起きるという期待が膨らんだ。杉並区の芸術施設として誕生する「座・高円寺」へぜひ足を運んでみたいものだ。
佐藤信 プロフィール
杉並区立杉並芸術会館「座・高円寺」芸術監督。
座・高円寺ホームページ
昭和18(1943)年生まれ。劇作家、演出家。杉並区文化協会理事。杉並区在住。 昭和41(1966)年に劇団「自由劇場」を設立。昭和43年(1968)年に「演劇センター68」(現在、劇団黒テント)の結成に加わり、以後20年間、大型テントでの全国移動公演を継続。1980年代より東南アジアを中心に海外の現代演劇との交流を深める。劇団を中心にした演劇活動のほかに、オペラ、舞踊、結城座の糸操り人形芝居、ショーやレビューと、さまざまな分野の舞台作りに参加。世田谷パブリックシアターの劇場監督(1997~2002年)。現在、座・高円寺の芸術監督、個人劇団「鴎座」を主宰。