1957(昭和32)年8月上旬、高南商盛会(現高円寺パル商店街振興組合)に青年部が誕生した。その記念行事として、高円寺にふさわしくにぎやかで、商店街を踊りながら練り歩ける阿波踊りを行うことを決定。名称は、本場徳島の阿波ではないということなどから「高円寺ばか踊り」となった。
当時は阿波踊りの経験者がおらず、チンドン屋が演奏する「佐渡おけさ」のようなリズムに合わせて、白塗りの化粧をした男女38名が高円寺在住の日本舞踊家に習った踊りを披露するという、今とは異なるものだった。高円寺の隣駅の阿佐ケ谷で1954(昭和29)年から行われていた「阿佐谷七夕まつり」に触発され、七夕まつりを抜くという意気込みで始まったが、地元2,000人の観客を前に「恥ずかしいやらバカバカしいやらで、一刻も早く終わろうと踊るというよりは走り抜けた」(『高円寺阿波おどり三十周年記念誌』)ため、30分の予定がわずか5分で終了した。
1959(昭和34)年になると、商店街の売り上げにつながらないことや、経費がかかりすぎることから、実施について反対意見が増え始める。同年開催の第3回大会の前に、青年部で存続か中止かを決める無記名投票が行われ、10対9の1票差で存続が決まった。
1961(昭和36)年、徳島新聞社を通じて、徳島県人会で結成された「木場連(現在の天恵連(てんけいれん)、東京都江東区深川)」と出会う。1962(昭和37)年には、当時木場連の連長だった故・鴨川長二さんから指導を受け、本格的な阿波踊りの習得が始まった。
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阿波おどり天恵連(外部リンク)
生活者観測データ「生活定点1992-2022」によると、家族で共通の趣味を持っていると回答した人は23%であるが、高円寺には「阿波おどり」を共通の目標とする家族がいる。
阿波踊り歴35年の松浦りささんは、2010(平成22)年10月に結成された胡蝶蓮(こちょうれん)の立ち上げメンバーで、副連長である。現在は夫、長男、長女、次女、親戚を含む8名で「阿波おどり」に参加している。
りささんが練習する姿を小さい頃から見ていた長男は4歳で入連。母親と同じ踊り手ではなく大太鼓を選んだ。夫の将幸さんは笛、娘2人は踊りを担当している。家族でも踊りや鳴り物など、自分の好きな形で楽しめるのも阿波踊りの醍醐味の一つである。
家族で参加することについて、りささんは「始めたばかりの時は小さな太鼓をたたいていた長男が、いつの間にか大人と同じ太鼓をたたくようになったことや、長女が次女に踊りを教える姿に子供たちの成長を感じます」と笑顔で語った。
1976(昭和51)年に「アメリカ建国200年祭」に招待されたことをきっかけに、高円寺の阿波踊りは海外に活躍の場を広げた。また、外国人が入連することも増えてきた。
2022(令和4)年3月、天狗連(てんぐれん)にシクロバ・エリスカさんと萩野谷ダリヤさんが入連した。共通の趣味である三味線を人前で演奏する機会を求めてのチャレンジであった。萩野谷さんは「三味線を始めたのは、津軽三味線のコンサートで音色に聞きほれたからです。先生の言葉を理解するために、日本語も勉強するようになりました」と話す。
2022年7月、天狗連の一員として「かせい阿波踊り」でデビューしたシクロバさんは「観客の拍手が大きくて、まるで全員が応援してくれているようでした。これまで阿波踊りは憧れの一つでしたが、連員と一緒にこの伝統的なお祭りを守りたいと思うようになりました」と語る。
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高円寺阿波おどり 天狗連(外部リンク)
区は2011(平成23)年から台湾と「中学生野球交流事業」を行っていたが、文化芸術活動を通してさらに交流を深めるべく、2015(平成27)年4月に国立台湾戯曲学院と「相互交流を推進する宣言書」を取り交わし、その調印式典において「東京高円寺阿波おどり」を披露した。
阿波おどり振興協会と共に公演を企画した台湾出身の杉並区文化・交流課・林黙章(りんもくしょう)参与は「驚くほどの歓迎ぶりで、会場の一つの歴史ある松山慈祐宮には、身動きが取れないほど多くの方々が見に来てくださいました。特に華やかな女踊りが大好評でした」と話す。
その後、台湾公演は2017(平成29)年、2019(平成31)年にも実施。160名の踊り手が訪台した2019年の公演について、一般財団法人 杉並区交流協会の幸内(こうない)事務局長は「演舞終了後に台湾の方々が踊り手にサインや写真撮影を求めるなど大にぎわいでした。日本語で“ありがとう”と伝えている方も大勢おり、訪台を重ねるごとに人気が上昇していると感じました」と語る。
1977(昭和52)年、高円寺一帯の自治会、商店会、企業、有志によって高円寺阿波踊振興協会が設立された。
発足当初は情報発信が十分とは言えず、また、「阿波おどり」の抱える問題を把握していない関係者も多かったという。『「踊れ高円寺」人が創り 街が育む五十年』によると、近隣住民からは「交通規制が敷かれて車が入れない」、観客からは「会場の場所が分からない」などの声が上がっていたとある。
こうした問題に向き合うべく、2003(平成15)年から高円寺阿波おどり連協会所属連の連員が演舞場の運行や事前準備に従事。これを機に運営と踊り手の意識が共有されるようになった。
そして、2005(平成17)年3月16日、NPO法人として東京都より認可を受け、「阿波おどり」関係者が一体となって活動する組織として再生した。
2020(令和2)年8月、新型コロナウイルス感染症の拡大により、屋外での演舞は中止となった。1957(昭和32)年のスタート以来、天候悪化以外の理由による中止は初めてのことだった。だが、「阿波おどり」の火を絶やしてはいけないと、阿波おどり振興協会は2021(令和3)年に座・高円寺で「座・SAJIKI」「座・舞台」の2種類の舞台公演を計画するも、緊急事態宣言により残念ながら無観客でのオンライン配信となった。
2022(令和4)年も屋外での演舞は中止となったが、有観客での舞台公演が実施され観客を楽しませた。2023年8月、高円寺に熱い夏が戻ってくることが期待される。
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すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>杉並の景観を彩る建築物>座・高円寺
※独立連:企業や商店会のバックアップのない、踊り手が自主運営する連
・日時:2024(令和6)年8月24日(土)・25日(日)
午後5時~午後8時
・会場:JR高円寺駅、東京メトロ丸ノ内線「新高円寺」駅周辺商店街及び高南通りの8演舞場
「高円寺阿波おどり三十周年記念誌 どよめきの三十年 おどれ高円寺」(高円寺阿波踊振興協会)
「めくるめく発展の四十年 おどれ高円寺 高円寺阿波おどり四十周年記念誌」(東京阿波踊り振興協会)
「「踊れ高円寺」人が創り 街が育む五十年」(NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会)
「「おどれ高円寺」未来へつなぐ 六十年」(NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会)
「あわおどり 高円寺の十八年」(関根敏邦)
「高円寺 村から街へ」(高円寺パル史誌編集委員会)
「純情商店街 高円寺銀座商店会協同組合設立40周年」(高円寺銀座商店会協同組合)
「生活定点1992-2022」(博報堂生活総研) https://seikatsusoken.jp/teiten/