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輪島功一さん

ボクシングとの出会い

俺は小学校5年の時、北海道久遠村(くどおむら、現在の久遠郡せたな町)へ養子に行ったんだ。そこは漁師町で、大人と一緒に漁に出かけ、朝方に帰り、そのまま学校へ行くような生活だった。眠くて勉強どころじゃなかったな。そのころから船酔いがひどく、俺は漁師は向いてないと思い、高1で家を出て上京した。いろいろな仕事をやったけど長続しなかった。それでお金を貯めて商売をしようと思い、土木作業員をやって半年で120万円貯めた。そんな時、仕事帰りに江東区塩浜で三迫ボクシングジムを見つけたんだ。ボクシングはやったことなかったけど、何か感じるものがあった。
1968(昭和43)年1月、入門を許されたが、俺はすでに25歳、ファイティング原田さん(※)が引退した年齢になっていた。当時のジムはプロになれそうなやつが来る所で、こんな年の俺を誰も相手をしてくれない。「だったら、相手にせざるを得なくしてやる!」という気持ちで必死に頑張ったよ。そうすると会長が「おい!誰か面倒みてやれ」ということになってきた。年齢を気にして慌てちゃだめ。「慌てる」と「急ぐ」は違う。次にすべきことをちゃんと考えながらやることが大事なんだよ。

※ファイティング原田:日本人で初めて世界フライ・バンタム級の2階級制覇を成し遂げたプロボクサー

輪島功一さん(輪島功一スポーツジムにて)

輪島功一さん(輪島功一スポーツジムにて)

世界チャンピオンへの道

入門して半年後にプロデビューし、12連勝して日本ジュニアミドル級のタイトルを獲得した。次の目標の世界タイトルに挑戦するには、世界ランカーに勝たなくてはならない。そんなとき、東洋太平洋ジュニアミドル級チャンピオン、世界ランク7位の金沢英雄選手とやれるチャンスが巡ってきた。しかし、条件は何と“ファイトマネーゼロ”。思わず俺が「会長、冗談ですよね?」と聞くと、会長は「いや冗談じゃないんだ、でも相手は世界ランカーだから、お前が勝ったら世界タイトルに挑戦できる。」と言う。いつもは悩まない俺も10分くらい考えたよ。やらなければ何も変わらないし、お金はもらえないけど勝てば世界チャンピオンに挑戦できる。結局、1971(昭和46)年2月、俺は試合をやり2R(ラウンド)KO勝ちで世界ランク入りした。
同年10月、いよいよ世界ジュニアミドル級に挑戦する。相手はローマオリンピック銀メダリストのカルメロ・ボッシ。とにかく相手のペースでやったら100%勝ち目はない。試合が始まると、チャンピオンは負けなければ(引分けでも)防衛できるので、案の定パンチをもらうリスクを恐れて打ってこない。俺は困って、中盤5Rに「かえる跳び(※)」をやった。すると相手が怒っちゃってね、明らかに冷静さを失ってガンガン打ってきた。こちらも打たれるリスクはあるけど、自分のパンチが当たる確率も上がるんだよ。そうやって俺は念願の世界チャンピオンになった。

※かえる跳び:極端に身をかがめて相手の視界から消え、瞬時に跳び上がるようにパンチを繰り出す技

1971年、世界タイトル初挑戦、対カルメロ・ボッシ<br>(写真提供:輪島功一さん)

1971年、世界タイトル初挑戦、対カルメロ・ボッシ
(写真提供:輪島功一さん)

世界チャンピオンベルト<Br>(写真提供:輪島功一さん)

世界チャンピオンベルト
(写真提供:輪島功一さん)

絶対にあきらめない、やれることは何でもやって勝つ!

1974(昭和49)年6月、俺は7度目の防衛戦でオスカー・アルバラードに壮絶なKO負けを喫し、そのまま入院となった。しかし、3日後には医者が止めるのも聞かず、家に帰ってしまった。引退を勧める声も多かったが、俺は次の試合に向けて体力を回復するために、点滴よりも家でご飯を食べたかったんだ。
約半年後にアルバラードに再戦して勝ち、奇跡の王座奪回を果たすも、1975(昭和50)年6月、柳済斗にKO負けして再び王座陥落。柳は東洋チャンピオンを28回防衛して、体は大きいし、パンチも速く、本当に強かった。その柳とのリターンマッチをやる前、周りに「100%勝てない、なぜやるんだ?、そんなにお金が欲しいのか?」と言われた。「バカ野郎!負けたから勝ちたいだけだ!」と俺は心の中で叫んだ。柳に勝つためにいろいろやったよ。試合5日前の調印式にマスクして行ったんだ。本当に風邪ひいてたらマスクなんかしない。トイレに行くと相手のトレーナーが来て「輪島、どうした?」と聞くので、俺がちょっと咳しながら「大丈夫だ」と言うと、ニヤっと笑って帰った。「やったー」と思ったね。そう、試合はすでに始まっていたんだ。そして1976(昭和51)年2月、試合が始まると、俺は3Rまでとにかくパンチを打ち続けた。すると相手は始めのうちはニヤっと笑っていたが、4Rになると慌て始めた。その後は自分のペースで試合を進め、最終15RにKOで勝った。最後のパンチが柳をとらえたとき、彼は膝から落ちた。前に倒れる方が効いてるんだ。
相手のペースで試合をやると3倍、4倍のエネルギーを使う。こういうのも経験なんだ。いかにして相手のいいところを消して、自分のいいところを引き出すかだね。何事もあきらめないで、最後の最後までやることだよ。

世界タイトル奪取!<BR>(写真提供:輪島功一さん)

世界タイトル奪取!
(写真提供:輪島功一さん)

数々のトロフィー<br>(写真提供:輪島功一さん)

数々のトロフィー
(写真提供:輪島功一さん)

引退後は団子屋の店主

1977(昭和52)年6月、最後となったエディ・ガソとの試合では、パンチをもらってないのに足にきて、結局11RにKO負けした。試合後、体がついていけなくなったことが分かり、自分で引退を決意した。やっと納得したんだよ。
引退後、俺は「人間はお金があってヒマになると、面白い、楽しい方にいってしまう」と思い、何か商売をやろうと考えた。飲み屋であれば、すぐに世話をしてくれる人もいたけど、酔ったお客に絡まれたら困るなと思った。そこで酒に関連のない仕事を探していると、知り合いに団子屋さんがいたので、女房と一緒に修業に行ったんだ。
半年の修業後、自分の店の名前を考えたとき、「和菓子製造販売 輪島功一」がいいと言う人もいたけど、俺は「輪島のだんご」でもおこがましいので「だんごの輪島」にして、所沢の狭山ヶ丘に出店した。当時は1本30円で売ってたからほとんど儲からなかったが、暇な時間を作らないことが目的だったから、それでいいと思っていた。それでも、世界チャンピオンから何十円の商売に鞍替えするのは相当の覚悟が必要だったよ。当時、“あの輪島が団子屋”ということでテレビにも取り上げてもらってね、ありがたかった。商売はまじめでなきゃだめだね、ぼろいもうけは必ず大きな損があるんだよ。世界チャンピオン時代の1973(昭和48)年に結婚した女房は、引退後、俺がやることに何も言わなかったけど「何やるんだろう」と思ってたろうなぁ。

国分寺駅前の「だんごの輪島」

国分寺駅前の「だんごの輪島」

みたらし団子

みたらし団子

西荻窪にスポーツジムを開設

10年くらい狭山ヶ丘で団子屋を頑張ってたけど、義弟が店をやりたいと言うので、国分寺に移って任せることにした。次に俺はジムをやろうかという気になってね。1987(昭和62)年、吉祥寺に場所を借りてジムを開いた。しかし4年後にそこが道路拡張ということで、立ち退きすることになり、西荻窪のビルを借金して買って、今の「輪島功一スポーツジム」を開いた。その当時、この辺りは人通りも今ほどじゃなくて、人が集まらなくて困ったよ。でも最近はジムで体を使い、ストレス解消して“スピードの筋肉”をつけたいという人も増えてきた。今の西荻窪はいろいろなお店ができて人も増えて、楽しい街になってきたね。
現在、ここには14~15人くらいのプロがいるけど、ボクシングだけでは食っていけない。日本チャンピオンになっても難しい。俺も日本チャンピオン時代、会社にも籍を置いて働いていたよ。
最近ジムに来る人は、現役時代の輪島功一なんか知らないねぇ。でも俺はジムに来てくれた人に“挨拶”とか“礼儀”をうるさく言うんだよ。すると親御さんから「息子がちゃんと家で挨拶するようになりました。」と御礼を言われることもある。人間として学校の勉強よりも大事なものがあるんだよ。“絶対にあきらめない”という気持ちを持つことも大事だね。
そろそろジムも息子に譲ろうと思ってるんだ。1つの会社に2人の社長はいらないからね。でもね、コーチや選手に対しても俺のような怖いものがいないとだめなんだよなぁ。

取材を終えて
輪島功一と言えば現役時代「炎の男」と呼ばれ、絶対にあきらめない試合で感動を与えてくれた。現在もジムには「練習は根性、試合は勇気」などの標語が並び、輪島さんは若い人に遠慮なく“あきらめない心と礼儀”を教える。取材後、奥様に苦労話を聞きながら「よくボクサーと一緒になりましたね?」と言うと、「輪島功一と結婚したら、ボクサーだったのよ。」と笑いながら答えてくれた。この奥様がいてこその「輪島功一」だったかもしれないと思った。

輪島功一 プロフィール
1943年樺太生まれ。後に北海道士別市に移住。
1968年6月プロデビュー。1971年10月カルメロ・ボッシを破り、日本人で初めて重量級であるWBA/WBC世界ジュニアミドル級を奪取。6度の防衛に成功した後、2度のリターンマッチで同じ相手から王座奪還に成功する。生涯戦績は38戦31勝6敗1分け。
引退後は解説者、テレビ出演で活躍するかたわら、団子屋を経営。現在は西荻窪に「輪島功一スポーツジム」を設立し、会長として後進の育成やボクシングエクササイズなどの振興に励む。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 スポーツ>格闘技>ボクシング

西荻窪の輪島功一スポーツジム

西荻窪の輪島功一スポーツジム

ジム内練習風景

ジム内練習風景

「挨拶は大事なんだよ!」

「挨拶は大事なんだよ!」

DATA

  • 取材:すぎなみ呑み助
  • 撮影:すぎなみ呑み助、TFF  写真提供:輪島功一さん
  • 掲載日:2015年11月09日