太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどっていた1944(昭和19)年11月、27歳の吉沢久子さんは、秘書を務めていた文芸評論家の古谷綱武さんが応召されたため、杉並区成田にある古谷邸の留守を任された。会社勤めと留守宅の管理に加え、予期せずして同居することとなった綱武さんの弟とその同僚の身辺の世話で多忙な中、彼女は綱武さんの依頼に応じ、ほぼ1年間日記を書き続けた。
本書は、94歳になった著者が、その一部をまとめて解説を付けたもの。空襲がもたらす恐怖と惨状、悪化する食糧事情下での料理の工夫、知人(※1)との交流のほか、交通機関のダメージによる通勤難という勤め人ゆえの苦労まで、戦時下の東京で体験し感じたことが市民目線で描かれている。生活の細部にまで目配りされた詳細な記録からは、日常のささやかな幸せまでが戦争に浸食されていった時代が鮮明に浮かび上がり、読者に平和のかけがえのなさを語りかける。「あの頃のこと」を伝えておかねばと、「限られた持ち時間」を意識し始めた著者の思いが込められた作品だ。
吉沢さんは、1951(昭和26)年に綱武さんと結婚し、2019(平成31)年に101歳で亡くなるまで成田に暮らした。家事全般やシニアライフの評論家として活躍し、ほぼ生涯現役を貫き多数の著書を残している。
同僚から天沼陸橋が落ちた話を聞き(※2)、空襲による被害を身近に感じ始めた吉沢さん。日記の全編を通して描かれるのは、空襲が杉並の暮らしに暗い影を投げかけ、日常を破壊していく様だ。火災で阿佐ケ谷駅北口方面が赤く染まるのを目の当たりにし、1945(昭和20)年5月25日の山手大空襲(※3)時には、同居の男性たちが火災を防ぐため屋根に上り、降り注ぐ火の粉を振り払った。記載される数々のエピソードから、身近な町の受難の時が見えてくるだろう。戦時下の杉並を知るためにも、ぜひ手にとってほしい一冊だ。
※1 そのうちの一人で、隣人の谷川徹三さん(綱武さんが師事していた哲学者)の夫人との交流が度々書かれている。親しい付き合いは、長男の谷川俊太郎さんの代になっても続いた
※2 天沼陸橋:戦局悪化により1942(昭和17)年に設置工事が中断、1944(昭和19)年12月に爆撃により破壊された。戦後に工事が再開され、1948(昭和23)年に開通
※3:山手大空襲:1945(昭和20)年5月24日未明、5月25日夜間から5月26日にかけて行われた東京の山手地区への大規模空襲。杉並は、5月25日の空襲で被害を受けた
「戦後70年事業 区民の戦争戦災証言記録集」杉並区区民生活部管理課