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馬越陽子さん

制作中の作品「人間の大河-生きる-」の前に立つ馬越さん(撮影:2024年5月)

制作中の作品「人間の大河-生きる-」の前に立つ馬越さん(撮影:2024年5月)

杉並の静かなアトリエで情熱的な作品を生み出す

馬越陽子(まこし ようこ)さんは日本を代表する洋画家の一人である。作品は、情熱がほとばしるような力強い筆致と鮮やかな色彩が特徴的だ。
1973(昭和48)年、文化庁芸術家在外研修制度の第6回派遣研修生に選ばれ、初の女性芸術家として1年間渡欧米。1994(平成6)年に安田火災東郷青児美術館大賞、2015(平成27)年に日本芸術院賞をはじめ、数々の賞を受賞している。
杉並区松ノ木の住居兼アトリエで、90歳を超えてもなお一層の意欲を持って創作を続ける馬越さんに話を伺った。

馬越陽子さん。2022(令和4)年に受章した旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう)を前に

馬越陽子さん。2022(令和4)年に受章した旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう)を前に

小学生からの夢をあきらめず絵の道へ

馬越さんは1934(昭和9)年、東京府東京市赤坂区青山(現東京都港区青山)で生まれた。小学生の頃から絵を描くのが大好きだったが、父の反対に遭い、絵の道に進むことは許されなかった。
高校時代はダンテやシェイクスピアに熱中し、杉並区善福寺にある東京女子大学文学部英文科に入学。しかし美術への情熱が捨てきれず、在学中に父を説得して本格的に油絵を学び始めた。「大学に通いながら、美大受験のために荻窪にあった国画会美術研究所に通いました。デッサンの練習では、紙や画材で手の指がこすれて指紋がみんな消えてしまったんですよ」と馬越さん。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 特集>杉並の大学・短期大学>東京女子大学

鮮やかな色が置かれたパレット

鮮やかな色が置かれたパレット

テーマは一貫して「人間」

馬越さんの作品テーマは、一貫して「人間」。喜びと悲しみ、善と悪など、人間についての深い思索から生まれた普遍的な人間への愛情が作品に込められている。
東京女子大学在学中、馬越さんは神田の古本屋で、イギリスの詩人で画家のウィリアム・ブレイクの本に出合った。小さな一枚の挿絵を見て「身体がガタガタ震えるほど衝撃を受けました」と『馬越陽子画文集-人間の河-』で語っている。ブレイクの思想や作品世界を深く知ったことが、画家としての道しるべになったという。
1960(昭和35)年、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻に入学を果たす。卒業後、同大大学院へと進み、本格的に画家の道を歩み始めた。

「人間の大河ー光りが暗闇を照らす時」(2020年)(写真提供:馬越陽子さん)

「人間の大河ー光りが暗闇を照らす時」(2020年)(写真提供:馬越陽子さん)

女性第1号派遣研修生として渡欧米

1973(昭和48)年、文化庁芸術家在外研修制度による女性第1号派遣研修生として、ヨーロッパとアメリカに1年間滞在した。他のジャンルも含め研修生は全部で8人という狭き門だった。出発前、当時の文化庁長官の安達健二に「あなたたちは昭和の遣唐使。日本を背負って行くんです」と言われたことをよく覚えているという。「女性第1号の私がしっかりやらないと、この後選ばれる女性が途絶えちゃうんじゃないかと思い、世界中を回る勢いであちこちに行って、いろいろ体験しました。1ドル360円の頃ですよ。パリにレジデンスを借りていましたが、他の国への移動費などは個人持ちで大変でした。でも行動に制約があまりなくて、自由でとても良かったんです」

「研修中に、北アフリカや東西ベルリンにも行きました。寝袋をかついでね」

「研修中に、北アフリカや東西ベルリンにも行きました。寝袋をかついでね」

制作の歴史を刻んだ杉並区松ノ木のアトリエ

東京藝術大学在学中から松ノ木にアトリエを構えて以来、ほぼ全ての作品がそこから生み出された。善福寺川にほど近く、周囲は静かな住宅街だ。
ダリやミロをはじめ、国内外の芸術家のアトリエを撮影した写真家・南川三治郎が1983(昭和58)年に出版した写真集『アトリエの画家たち』に、馬越さんの写真が掲載されている。「撮影したものが本になって南川先生から送られてきた時、私はそれまで他にどういう方が掲載されるか存じませんでしたので、そうそうたる方々(梅原龍三郎や岡本太郎ら)を見たら驚きで熱が出て。本当に寝込んでしまったんですよ」と馬越さんは懐かしそうに笑う。
今でも夜中や明け方まで制作することもあるという20畳ほどのアトリエは、天井が高く広々とした空間。棚や机には大量の絵の具のチューブや画材があふれ、床一面には絵の具が飛び散った跡が重なり合い、長年の制作の歴史を感じさせる。

▼関連情報
スギナミ・ウェブ・ミュージアム>企画展:南川三治郎写真展(外部リンク)

1982(昭和57)年、南川三治郎撮影の馬越さん(写真提供:スギナミ・ウェブ・ミュージアム)

1982(昭和57)年、南川三治郎撮影の馬越さん(写真提供:スギナミ・ウェブ・ミュージアム)

情熱的な作品が生み出され続けているアトリエ(撮影:2024年5月)

情熱的な作品が生み出され続けているアトリエ(撮影:2024年5月)

中国での個展開催

パリ、ニューヨークでの個展の開催や美術展への出品など、海外での発表の場も多く持ってきた馬越さん。2007(平成19)年11月には「日中国交正常化35周年記念 馬越陽子油画展」が北京国立中国美術館で開催された。150号(長辺が227.3㎝)から300号(長辺が291cm)までの大作を64点展示した大規模なこの個展の開幕式で、馬越さんは「アートに国境はなく、真っ直ぐに人々の心にとびこんでお互いの絆を強め、心にゆるがぬ灯をともすことが出来れば無上の幸せです」(『馬越陽子画文集-人間の河-』)と述べた。会場の一角にサイン帳を置いたところ、たくさんの熱い感想が書き込まれ、「生涯私を励ましてくれるものになると思った」(同上)という。

「絵は3本目の足」

鮮烈な色彩が強い印象を与える「人間の大河」シリーズは、馬越さんの作品の中で重要な位置を占める連作だ。2015(平成27)年、81歳の時には「人間の大河-いのち舞う・不死の愛-」で日本芸術院賞を受賞。2018(平成30)年に日本芸術院の会員となった際の推薦文には、「馬越陽子さんは一貫して人間を追求して描き続け、混沌とした現代において人々に力と勇気を与えている」とある。
2024(令和6)年1月に90歳の誕生日を迎えた馬越さんは、今もなお100号(長辺が162㎝)を超える大作に取り組んでいる。「以前は脚立に上って描いていましたが、危ないということで、電動でキャンバスが上下する仕組みにしました。これで大きな作品も描くことができます。今までいろいろ困難なこともありましたけれど、私は絵があれば、どんな苦しいことでも乗り越えられると思うんです。人間は2本の足で歩いているけれど、絵が3本目の足になるんですよ」

「人間の大河-戦争と平和・ウクライナ-」(2022年)(写真提供:馬越陽子さん)

「人間の大河-戦争と平和・ウクライナ-」(2022年)(写真提供:馬越陽子さん)

取材を終えて

馬越さんが画家として歩み始めた頃は、女性が画家として生きることがまだ難しかった時代。たくさん努力をされたのでは、と問うと、「女性は男性よりも体一つ前に出ないと認められませんでしたね。でも努力と思ったことはなかった。生きる上での酸素のように、絵が必要だったから」と、さらりと答えた。真っすぐに、絵を、人間を追い求める馬越さん。明るい笑顔がとても印象的だった。

「昨日も描いていて、気づいたら午前2時だったの」

「昨日も描いていて、気づいたら午前2時だったの」

馬越陽子(本名 瀬谷陽子) プロフィール 

1934年 東京府東京市赤坂区青山に生まれる
1964年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
1966年 東京藝術大学大学院修了
1967年 女流画家協会第21回展H夫人賞受賞
1971年 独立美術協会第39回展入選、独立賞受賞
1973~74年 文化庁芸術家在外研修制度による第6回派遣研修生として渡欧米
1980年 第23回安井賞展佳作賞受賞
1994年 第17回安田火災東郷青児美術館大賞受賞
    杉並区美術家展に出品
2015年 第71回日本芸術院賞受賞
2022年 旭日中綬章受章
日本芸術院会員、独立美術協会会員、日本美術家連盟理事、日中友好協会顧問、多摩美術大学大学院客員教授

※記事中、故人は敬称略

DATA

  • 出典・参考文献:

    『馬越陽子画文集-人間の河-』馬越陽子(美術年鑑社)
    『馬越陽子作品集 ANTHOLOGY OF YOKO MAKOSHI』馬越陽子(人文出版社)
    『アトリエの画家たち』南川三治郎(朝日新聞出版)
    「人間の大河 馬越陽子展」(三越伊勢丹)

  • 取材:仲町みどり
  • 撮影:笠峰新志、仲町みどり
    写真提供:馬越陽子さん、スギナミ・ウェブ・ミュージアム
    取材日:2024年05月10日
  • 掲載日:2024年10月07日