歌人でアイルランド文学の翻訳者としても知られる片山廣子のエッセイ・アンソロジー。編者の早川茉莉が「ウビガンの香水(※)のような随筆」と評する珠玉の57編を収録している。
片山は1878(明治11)年に外交官の娘として麻布に生まれ、長く大森に住んだが、1944(昭和19)年に杉並区の浜田山へ転居し、晩年の13年間を過ごした。本書は、亡くなる4年前の1953(昭和28)年に出版された随筆集『燈火節』(キャンドルマス)を主な底本としており、表題作をはじめ「季節の変るごとに」「赤とピンクの世界」「乾あんず」「茄子畑」ほか、浜田山での日々を美しく清澄な筆致でつづった作品が数多く掲載されている。
「浜田山に疎開して以来、月や星をながめる気持ちではなくなつたのに、ふしぎに毎晩眠る前には北の星を仰いで何か祈りたい心になる」(「北極星」)、「越して来て六年になる今年、程近い大宮八幡におまゐりして花を見た」(「いちごの花、松山の話など」)といった暮らしの情景に加え、田んぼやナス畑、竹やぶが広がる当時の浜田山の様子がつぶさに描写されており想像をかきたてる。
なお、片山は若き日から佐佐木信綱に師事した歌人で、翻訳者としては「松村みね子」の筆名でアイルランド文学、英国やケルトの幻想文学を精力的に訳した。その文才は森鴎外、菊池寛らに高く評価され、堀辰雄の『聖家族』のモデルになったり、芥川龍之介に慕われたりと、多くの才人を引き付けた魅力ある人物だった。本書に掲載されている芥川、菊池らとの思い出を書いたエッセイからは、片山の良い意味で風変りでありながら、ゆかしい人柄の一端を知ることができる。
※ウビガンの香水:ウビガンはフランスの香水メーカーで、片山の愛用品だった。本書中「乾あんず」に登場