横山健さん

高井戸で過ごした子ども時代

「僕が子どもの頃は高井戸にも空き地が多かったんですよ。そこで友達と野球ばかりやっていましたね。浜田山小学校(4年生までは高井戸小学校)、高井戸中学校の出身なのですが、小学生の時には杉並イーグルスという野球チームに入っていて、ポジションは内外野どこでもやっていました。和田堀公園も近かったのでよく友達とひょうたん池(和田堀池)に行ってクチボソっていう魚を釣ったりしていましたね。
中学校では野球部は坊主にしないといけなかったのでバレーボール部に入りました。1年生の時には生徒会の役員もやっていたんですよ。学校の友達もみんな音楽に興味がでてきた頃で全米TOP40(※1)とかベストヒットUSA(※2)を見ていて、僕は特にヘヴィメタルが好きでオジー・オズボーン(※3)やアイアン・メイデン(※4)を聴いていました。
高校に入ってエレキギターを買ってからはギター三昧で、高校には軽音楽部がなかったので地元の友達とバンドを組んでヘヴィメタルのカバーをやっていました。高校生の頃はスケートボードもやっていて高井戸地域区民センターの横にある焼却炉近くの広いスペースを溜まり場にして友達と遊んでいました。」

※1 全米TOP40:1983年から放送の洋楽ランキング専門の音楽番組
※2 ベストヒットUSA:1981年から放送の小林克也が司会の音楽番組
※3 オジー・オズボーン:イングランド出身のヘヴィメタルミュージシャン
※4 アイアン・メイデン:1975年に結成されたヘヴィメタル・バンド

音楽人生の始まり

「高校の終わりにパンクロックと出会っていっきに心を持っていかれました。開放的な感じがしたんですよね。洋楽のパンクバンドを中心に聴いていたのですが、一番衝撃だったのはザ・ブルーハーツ(※1) の出現。すごくのめりこみました。
美術系の大学を受験したのですが落ちてしまい、浪人中にアルバイトをしながらバンドを組んでからは音楽が中心の生活になっていきました。Hi-STANDARDの結成は21歳の時。今までアルバイトしながらバンドをやっていた、ただのアマチュアミュージシャンが全国ツアーにでて、CDを出して、メジャーのレコード会社と契約して、海外でもCDをリリースしてツアーをして、大きなフェスティバルを開いて・・・本当に刺激的な体験をした10年間でした。」
Hi-STANDARDは1991年に結成されたバンドで、日本のパンクロックを代表する存在となり海外でも活躍。当時ではめずらしい大規模な音楽フェスティバルを開催するなどしていたが2000年に活動休止(2011年に活動再開)。その後ソロでKen Yokoyama名義のアルバムを5枚発表(2013年8月現在)、日本武道館や幕張メッセなど大規模な会場でのライブも行った。

※1 ザ・ブルーハーツ:1987年にメジャーデビューした日本のロックバンド

想いを持つには距離が大切

そんな活躍の中で複雑な思いを持っていたこともあるそうだ。「音楽をやるにはハングリー精神が必要なんです。そういったものは地方の人のほうが持ちやすいよ、ずるいよ、と思っていた時期がありました。杉並は変わった地域で、特に高井戸辺りは2、30分で都会に出られる便利な街だけれども、のんびりしていて田舎。地方から野心をもって東京にやってきている人には本当にやる気をださないと負けるって危機感がありました。若い人は東京はいいな、と思うかもしれないけれども、必ずしも便利なことはいいことだけではない。強い想いを持つには距離は大切なんです。」

親になって知ったこと
「子どもが生まれてからは地域に対する捉え方が変わってきました。子どもを育てる時は誰の助けもないと思われがちだけど、保健所の方が妻の相談にのってくれたり、検診のお知らせをくれたり、ケアしてくれることを知りましたし、子育て応援券も助かりました。杉並は子育てがしやすいということがわかり、そこはすごく嬉しかったです。」

東北ライブハウス大作戦に参加

横山さんは2011年3月に起こった東日本大震災直後から積極的に東北と関わる活動をしている。「音楽仲間たちが岩手県宮古市と大船渡市、宮城県石巻市にライブハウスをつくる活動をしていて、その中心になっている人のバックアップをしています。『東北ライブハウス大作戦』というんですけれども」とリストバンドを見せてくれた。「現地の人たちの居場所をつくりたい、人々が想いを持って集まれる場所をつくりたい、そういった場所は僕達にとってライブハウスなんです。今はライブハウスが建ったので現地のご縁があった方に運営してもらっているのですが、なるべくいろんなバンドにそこの街にライブをしにいってくれと呼びかけをしています。東北はすごくいいんです。励まそうと思って行った僕らが励まされ、あたたかいものをもらって帰れる。何度もライブをしに行きたくなります。」

東北ライブハウス大作戦

東北ライブハウス大作戦

この世の中を生きていくためのパワーを音楽は与えられる

「震災直後はミュージシャンにできることはないっていう無力感がありました。音楽は衣食住から外れた嗜好品で、僕はそこで生きているんだなと痛切に感じさせられました。ただ、これからみなさんが勇気をもってこの世の中を生きていくためのパワーを音楽は与えられる。今は発信塔として震災を風化させないように、あと支援をしたいと思っている人に『いつでも人としてやれることをできる範囲でやればいいんだよ』っていうことを伝えていきたい。政治とは違った、ちょっと注目を浴びている一般人として呼びかけをしていきたいです。」
▼ピザ・オブ・デス・レコーズ
▼東北ライブハウス大作戦

取材を終えて
精力的な音楽活動で幅広い年齢の人から支持されている横山さん。ひとつひとつの質問に丁寧に、真剣に答えていただき誠実な人柄が感じられました。地方出身者からすると東京生まれ・東京育ちは羨ましいな、と思いがちですが音楽をやる上ではマイナスになることもあるというお話が大変興味深かったです。故郷・杉並に自身を還元したいという気持ちが常にあるそうで「杉並のためなら何でもします!」と笑っていた姿が印象的でした。

横山健 プロフィール
1969年東京都杉並区生まれ。1991年にHi-STANDARDを結成、ギタリストとして活躍。1999年にレーベ ル「PIZZA OF DEATH RECORDS」を設立、社長を務める。Hi-STANDARD活動休止後の2004年にKen Yokoyamaとしてソロ活動を開始。2008年の日本武道館ライブで12000人、2010年の東西アリーナ公演では14000人を動員する。 2011年9月に横浜スタジアムにて11年ぶりに活動を再開させたHi-STANDARD主催のロック・フェス『AIR JAM 2011』を、12年には念願の東北で『AIR JAM 2012』を開催。自身の主宰するレーベル “PIZZA OF DEATH RECORDS”でも精力的に活動し国内外のバンドを輩出しており、音楽シーンにおいて常に第一線で活躍している。

2011年6月12日に岩手県宮古市で行われた「POWERSTOCK IN 宮古」(「SLANG」という横山健さんの仲間バンドが主催した音楽イベント) 写真提供:Teppei Kishida

2011年6月12日に岩手県宮古市で行われた「POWERSTOCK IN 宮古」(「SLANG」という横山健さんの仲間バンドが主催した音楽イベント) 写真提供:Teppei Kishida

DATA

  • 取材:みやうちえいこ
  • 撮影:チューニング・フォー・ザ・フューチャー
  • 掲載日:2013年09月23日