もともと地元の札幌でバンド怒髪天をやっていたんだけど、ライブに300人くらいお客さんが入るようになって。バンドの数も限られているから対バン(※)するのも同じメンツばっかりだし、なんか面白くなくなっちゃって。そしたら友達が「ツアーで東京行ったら面白い、すごいバンドいっぱいいるよ。」と。うちは実家が建設会社をやってたんで、最初は札幌にいながら半分仕事をして、半分バンドをやっていこうと思っていた。でも、友達がみんな「東京に行く」って言うから、「しょうがねえな自分も行くか」って西荻窪(以下、西荻)に来たんで、あんまり「ひと旗あげてやる」みたいなふうに思って来たわけじゃなかった。7,8バンドまとまって来たかな。その友達とか彼女とか50人くらいで来たから、もう村みたいですよね(笑)。全然寂しくなかったし、全然北海道弁はぬけなかったね。
※複数のグループが出演するライブイベント
1990(平成2)年に西荻に来たとき、温泉街みたいだと思った。規模感というか昭和感というか。札幌は意外と近代的だから。西荻はすごいいい街。最初に住んだのは善福寺公園の方で、バイトに行かないで公園行ってボート乗ったりしてたね。本当に昔は下町っぽいっていうか、いわゆるチェーン店とかがなかったと思うからね。駅も古かったし。便利になって年々住みやすくなってるんじゃないかな。でも、どこも同じような画一的なものにはなってほしくないよね。どこ行っても駅ビルがあって、ってなっちゃうと、その土地土地のカラーがなくなって、もったいないからさ。
同じ中央線沿線でも高円寺や吉祥寺は人が多すぎて、家賃が高い!西荻は安いから。それに吉祥寺って街がデカいから駅から住宅地まで距離があるでしょ。西荻はすぐだから。新宿や渋谷に行くにも近いし、バスが意外と縦ラインで走っているから池袋とか練馬などの北の方へも行きやすい。まして土日は快速が止まらないおかげで静かでいいよね。北口の「おりも」っていう居酒屋によく行くんだけど、ほぼ若者いないから静かで気をつかわなくていい。駅前であれって最高だよね。友達に「東京のどこら辺住んだらいい?」って聞かれたら絶対この辺すすめるんで。
中学生くらいの時に世の中にパンクムーブメントがきて、バンドを始めたのは高校生になってからだね。フラストレーションのはけ口というか、それに近い気持ちからね。パンクの花形ってベースだから、最初はベースを買ったんだけど、全然弾けなくて。しかも組んでたバンドのボーカルが抜けちゃったんで、しょうがねえ自分がやるかって。全然歌うつもりもなかったんだけどね。
怒髪天というバンド名は「怒髪天を衝く」という言葉から。パンクを日本語で表わすとそうなるだろうって、高校生らしいよね。
自分たちの音楽は「ジャパニーズR&E(リズムアンド演歌)」。もともとR&B(リズムアンドブルース)やソウルミュージックがすごい好きで聴いてたんだけど、1999(平成11)年くらいに日本で「ジャパニーズR&B」っていうのが出たとき、これ全然違うだろうって。ブルースっていうのは生活の苦しさを紛らわしたり心情を吐露する歌で、もっと土着的で生活に密着しているものじゃなきゃいけない。つまり、日本でいうところの「演歌」なんだと。でも、日本のロックは、いかに洋楽に近いかというところからスタートしちゃって、ロックに演歌の要素が入るとかっこ悪いって認識がずっとあった。そこをひっくりかえしたいなって。世界中のどこの国を見ても自分たちの国のルーツミュージックを大事にしていない国はないからね。
去年バンドが30周年で、31年目にして自分が住んでいるところに立ち返って、なんかできたらなと。毎年ハロー西荻(※)は見に行っていたから、ダメもとで聞いてみたら「出ていい」って言われて。お客さん1000人も来てくれて。そんなに来るとは思ってなかった。やってみて楽しかった。なかなか小学校の校庭でやることなんてないでしょ。自分らのやっている音楽っていわゆるライブハウスに来るお客さんだけに向けたものだけではなく、誰が聞いても楽しめる間口の広いものだって思ってるから、小さい子からおじいさんまで楽しんでもらえて嬉しかったな。西荻に25年住んでいるから、よく街をぷらぷらしているけど、「あのおじさん何しているのかな」って思っている人に、「あ、バンドやってる人なんだな」ってわかってもらえたらな、っていうのがあって。近所の人は面と向かって聞きづらいでしょ、長年ぷらぷらしてるからね(笑)。
※西荻窪駅周辺がさまざまな催しで盛りあがる恒例のイベント。毎年5月に開催
ライブは楽しいね。そりゃもう疲れるけど。緊張はしないかな。自分の思ってることを曲にして見に来てくれた人に手渡して、それをどう思ったかってことを返してもらう場所なんで。うまいことやろうと思うと緊張したりするんだろうけど、失敗したって特にないもんね。演奏間違えたらもう1回やればいいし。
今後は健康でけがなく仲良くメンバー4人で続けられればそれで十分かな。借金しない程度でそこそこ食っていければ。本当、それだけ。楽しくなかったら辞めちゃうかもしれないけど、やっぱり曲作って4人で演奏して、ってずーっとやってきてずーっと楽しいし。まだまだやりたいことも山ほどあるんでね。昔できなかったことが今できるようになってきたりとかしてるんで。
面白いよ、バンドは。すごく面白い。悩んだりしている人はみんなバンドやったほうがいいと思う。結構いろんなことが解消されると思う。1人じゃバンドってできないから。人とのコミュニケーションもそうだし、信頼関係もそうだし。自分ができないことをできる人がいるってことが、それがこう、合わさって何かになるっていう感動っていうか、ミラクルっていうか。ハモるっていうこと自体がもう、すごい。絶対人間1人じゃハモれないから。感動するからね。
取材を終えて
西荻歴25年という増子さん。撮影のため駅まで歩いているときも「ここには昔、鮨屋があって~」「ここのマスターは気さくな人で~」「ここのラーメン屋が美味しくて~」と、なんでも知っているんじゃないかと思うくらい西荻に詳しくてびっくりしました。最近のおすすめはラーメン屋「麺尊 RAGE」とのこと。すぎなみフェスタではゆるキャラたちと写真をたくさん撮ったり、ハロー西荻でフリーマーケットに出店したり、地域のお祭りにもよく遊びに行っているそうです。また西荻でライブをやりたいとおっしゃっていました。
増子直純 プロフィール
1984年ロックバンド怒髪天を結成、ボーカルを務める。気さくなキャラクターで「兄ィ」の愛称で親しまれている。実力に裏打ちされたライブパフォーマンスで観客を魅了し、2014年1月に行なった結成30周年の日本武道館公演はチケットが完売。企業コマーシャルの出演やテレビ番組でMCを務めるなど多方面で活躍中。
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