約100年前の杉並では、大根製品、とりわけたくあんは特筆すべき産物だった。『杉並風土記』によると、区内の農家は、江戸時代から練馬大根を栽培するようになり、生大根、または干し大根を江戸に出荷していた。やがて明治の半ば頃からたくあんを作り始め、大きな現金収入を得ていた。中でも井荻村は、大正4年には13,000樽(22,750円)、昭和2年には60,000樽(300,000円)を出荷。杉並のほかの村を倍近く上回っている。
当時の井荻村の村長は内田秀五郎氏であった。明治40年の就任以来、私欲を捨てて井荻村の繁栄のために取り組んだ名村長と評される人物である。その内田氏が挙げた農業指導の一つに、“干し大根ではなく、たくわん漬けにして売る”という案があった。たくあんの粗利益は生大根の約3倍(昭和2年当時)。井荻村の農家はこぞってたくあん作りに精を出した。村には産地問屋もできて、荻窪駅を積み込み駅に利用しながら出荷数を増やしていく。たくあんが軍隊食に採用されたことも繁盛に繋がったようだ。
だが、このように盛んであったたくあん作りも、農家の減少とともに衰退していった。現在は、材料に使用されていた練馬大根も杉並区内の農家では作られていない。
井荻村の繁栄に一役買ったというたくあん、さぞかし美味しいものだったに違いない。その味に興味を持った杉並名品復活プロジェクトは、当時の手法でたくあんを漬けてみることにした。
作り方は『杉並歴史探訪』に次のように書かれている。
「たくわん漬けに最適とされている11月から12月にかけて収穫された直径三寸(10cm)、長さ二尺(60cm)位の練馬大根を、善福寺川の水と鮫皮でよく洗います。(中略)洗った大根を、5本位藁縄で編みます。」
干す期間は4、5日ほどで、出荷時期によって塩の量を調節した塩糠を漬け込みに使う。このように干し大根を塩糠に漬けて作った物は、「ひねたくあん」と呼ばれていたそうだ。また同書には、「昭和3年に西荻窪駅前の多摩川堂薬局の菱山万三郎さんの提案で、色付けにオーラミン(黄色色素)、甘味付けにサッカリン(合成甘味料)の使用するようになると、見栄えが良い甘いたくわんとなり主流となった。」との記述もある。色素で黄色に着色し、高価な砂糖の代わりにサッカリンを使用していたのも、ひねたくあんの特徴と言えよう。
以上を再現するにあたり、毎年たくあんを作っている杉並区食育推進ボランティアの吉田千穂さんにご協力いただいた。
■2014年11月15日(土) 1日目 練馬大根を購入
まずは練馬大根の入手からスタート。市場に流通することが少ないため、練馬区の農業祭で販売されていたものを15本購入した。
■11月16日(日) 2日目 大根干し
たくあん作り開始。葉の付け根の中心部分を取ることで、大根が乾燥しやすくなる。大根を洗う時に、吉田さんから「たわしでごしごし洗うと乾燥が早まる」とのアドバイスを受ける。洗った大根は2本まとめて葉をひもで結び、物干しざおに跨がせて干す。残りの5本は『杉並歴史探訪』に書かれていたとおり、横にして吊るすタチアミ手法で干した。大根を干すと、でんぷんが糖化して甘みが増すとのこと。(大根の長さ:平均63.7cm 重さ:平均3000g)
■11月18日(火) 4日目
乾燥した天気が続き、少しずつ水分が抜けてきている。葉はカサカサになった。
■11月25日(火) 11日目
雨が降りそうだったので室内に移す。干し大根が雨にぬれるとシミができてしまうそうだ。大根を曲げてみると「へ」の字になるほどやわらかかった。だが、太い大根はまだ芯が固いので、干す期間を延長する。(大根の重さ:平均1500g)
■11月26日(水) 12日目 干し大根完成、漬込み材料の調達
吉田さんに干し大根のでき具合をチェックしてもらう。細い大根は「の」の字、太めの大根は「つ」の字に曲がるまでやわらかくなったため、今週末に漬け込むことにする。そのための材料を調達。オーラミンは販売禁止になっているのでウコンで代用、サッカリンは漬物屋の通販で購入した。
■11月27日(木) 13日目 樽の購入
ホームセンターにて漬物に必要な道具を探す。『杉並歴史探訪』には、大きさが「斗」「升」「合」で表わされていたため、現在の量に直して選ぶ。プラスチックの20リットル樽と、干し大根の重量の3倍ある重石を購入。木の樽を使うと通気性が良く、よりおいしい漬物ができるそうだが、値段が高く入手しづらかったため断念した。糠は米屋で買う。
■11月29日(土) 15日目 漬け込み
吉田さんと昔ながらの方法で漬け込む。大根は約70%の水分が抜けていた。(大根の重さ:840g)
【材料】
・干し大根10本 ・糠1610g ・塩540g ・サッカリン1.4g ・ウコン適宜
【漬け方】
1.糠床用の材料を混ぜ合わせる。
2.干し大根の葉を切り取り、塩の浸透をよくするために、まな板上でゴロゴロころがしながらもむ。
3.樽の底に1で混ぜ合わせた糠床を底が隠れるほど詰める。
4.糠床の上に干し大根を隙間なく「へ」の字に並べる。樽の外側には太い大根を、内側には細い大根を敷き詰める。カビ防止のため、隙間には乾かした葉を詰める。
5.一段目に3本の大根を並べたら、その上にビニールシートを引いて、うどん作りのように足で踏み固める。これは、大根どうしを密着させて空気を押し出すためである。
6.5の大根が隠れるぐらいに塩糠を敷き詰め、2段目には1段目と逆向きに大根を入れる。同じ要領で3段目を作る。最後に大根が見えなくなるほど塩糠をかぶせ、仕上げに乾燥した大根の葉をのせて押しぶたをする。
7・大根総重量8.4kgの3倍の重さの重石23kgをのせて、風通しの良い場所に置く。
また、今回は味の比較のために吉田さんのいつものレシピでも漬けた。こちらは干し大根5本に対し、糠床の材料は糠500g、塩300g、昆布50cm、ザラメ砂糖400g、唐辛子少々。これに、杉並区産の柿とミカンの乾燥させた皮(1個分)をよく混ぜ合わせておく。材料が異なるだけで作り方は同じである。
■12月2日(火) 18日目
吉田さんのたくあんは、中ふたの下まで液汁が上がってきた。塩分が強いと干し大根から液汁として水分が出てくる。もう食べても大丈夫というサインだそうだ。ひねたくわんは液汁が出ておらず糠が湿っている程度である。塩分量を減らしたので、液汁が出にくいのだろう。
■12月9日(火) 25日目
依然としてひねたくあんの水が上がってこないのを心配して吉田さんに伺うと、「4%の塩分だから水が上がってこなくても糠が湿っていれば大丈夫」と言われひと安心。引き続き様子を見ることに。
■12月14日(日) 30日目
漬けはじめから15日目。微量だか水が上がってきたので、翌日取り出すことに決める。
作業開始から約1か月経った12月15日、いよいよ試食のため糠床から大根を出す。思わず鼻をつまんでしまいそうな、糠の酸っぱい匂いが漂ってきた。
完成したひねたくあんは、ウコンで淡く色づいており、自然な色合いである。甘塩で漬けたが、砂糖を加えていないので、味はかなり塩辛く感じた。一切れをおかずにご飯1杯食べられそうなほどである。歯ごたえは天下一品だ。ポリポリという音が心地よく響き、噛むほどに塩辛さの中から大根本来の優しい味がジワ~と広がってくる。今回は短期間の漬け込みであったが、吉田さんによると、「2~3か月漬け込めば、大根に含まれている酵素と糠の酵素が発酵して、独特の香りとまろやかな甘味が生まれる」そうだ。
吉田さんのレシピで作られた方は、柿やミカンの乾燥させた皮で色付けされているため黄色が濃く、食べ慣れたおふくろの味がした。
たくあん作りを体験して
たくあんを漬けるのは初めてだったが、吉田さんの協力のもと、昔ながらの味を再現できて貴重な体験となった。パッケージを作り、区民ライター仲間に配ったところ、完成からしばらく経って味がなじんだこともあり大好評。「塩辛いと聞いていたが適度な塩味」「噛みごたえがあり懐かしい味」「炒め物の材料にも使えそう」との感想があった。
明治・大正時代の杉並で作られていたひねたくあんを再現し、食べてみたことで、次世代に伝えていきたい伝統食品の一つであると認識した。今後も機会をつくり、たくあん漬けに挑戦してみたい。
『杉並風土記 上巻』森泰樹(杉並郷土史会)
『杉並区の歴史』杉並郷土史会
『杉並区史探訪』森泰樹(杉並郷土史会)
『杉並歴史探訪』森泰樹(杉並郷土史会)
『米寿秀五郎翁』鈴木市太郎(内田秀五郎翁米寿祝賀会)