1953(昭和28)年に公民館は開館したが、この章では、開館に尽力した人々の思いや行動に焦点を当てて記す。
彼らが社会教育に熱い思いを抱き、行動することとなった背景には日本国憲法発布や地方自治法の制定といった戦後民主主義があった。(年表1参照)
初代公選区長 新居格(にいいたる)
地方自治法施行により、1947(昭和22)年4月30日に、杉並区でも第1回区長選挙が実施され、杉並区初代公選区長に新居格が選出された。新居は、戦後の荒廃した日本を建て直そうと、「民主主義は小さいところから始まる」と説いて区民の支持を得て、自身の考える「文化区杉並」を目指したが、持病の悪化もあり、翌年に在任一年で辞任した。しかし、その遺志は「新居格記念会」に引き継がれ、その後の貴重な礎石となった。
PDF:年表1「公民教養講座」開講直前の世界・日本・杉並の動き(255.6 KB )
第2代公選区長 高木敏雄(たかぎとしお)
1948(昭和23)年5月、行政官出身の高木敏雄が第2代公選区長になった。そして、新居の成しえなかった文化区建設の理想を一歩一歩具体化していった。高木は、区在住の文化人たちや、版画家で杉をデザイン化した区章の制作者である恩地孝四郎の協力、また新居没後すぐ遺志を実現しようと集った「新居格記念会」からの絵画、蔵書、書架などの寄付もあり、1952(昭和27)年4月、都内随一モダンな図書館を杉並区の文化センターとして新築した。
公民館は図書館に隣接してあってほしいという考えを、高木は区議会で述べている。昭和27年4月16日の『杉並区議会速記録』には「図書館は眼を通しての社会教育であり、それ以外に耳を通しての社会教育や舞踊による情操教育、映画を鑑賞する視覚教育の出来る場が隣接してあって欲しい。せいぜい4、5百人程度の収容能力でよい」とあり、これこそが高木の考えた公民館像であった。この公民館像は、図書館新築の翌年10月30日、区議会で可決された。
図書館長兼初代公民館長 安井郁(やすいかおる)
安井郁は、1952(昭和27)年5月30日の臨時区議会で、移転、新築となった図書館の館長を高木区長より依嘱された。
著書『民衆と平和-未来を創るもの』の中で安井は、「区の社会教育審議会委員長でもあり、数年前から成人学校長の役を引き受け、会場には苦慮していた。特に小学校は、机や椅子が成人には不適で、図書館に隣接して公民館が建設されれば、一日の勤労を終えてなにかを学ぼうとする熱意ある人々のために、図書館の一部をあわせると、成人学校がひらけ、一般市民の集会室を求める声が非常に多いことも知り、両館一体となって初めて杉並区の社会教育のセンターになると考えていた。」
「他区のように大きな公会堂が欲しいと言う住民の要望もあったが、図書館に隣接して公民館を優先して建設した高木区長と考え方は同じであった。公民館は1953(昭和28)年11月1日開館するが、館長を兼任するよう乞われ、快諾した。」と書いている。
安井は、1944(昭和19)年から杉並区に住み、杉並区立桃井第二国民学校後援会の一員として活動していた。『道 安井 郁-生の軌跡』には、敗戦の日である1945(昭和20)年8月15日、「生活と学問の在り方をも含めて、生涯の重要な分岐点となるであろう、いや、そうならなくてはならない、と覚悟を決めていた。戦後の生活を私は自分の居住する地域社会における社会教育から始めた。」と収録されている。
『杉並区議会速記録』 東京都杉並区議会定例会
『民衆と平和-未来を創るもの』 安井郁(大月書店)1955年
『道 安井 郁-生の軌跡』「道」刊行委員会代表細谷千博編(財)法政大学出版局 1983年