instagram

5.区民企画・運営の講座活動についてとまとめ

第Ⅲ期の活動

第Ⅲ期の活動の特徴は、「区民の自発的な企画運営」と言える。当時の参加者から次のような話を聞いた。
「1973(昭和48)年、読書会、PTAなどで活躍していた母親たちが、図書館長であった大谷益宏と話し合いを持った。それがきっかけとなって、1975(昭和50)年から2年間、成人学級の昼の時間帯の1つを教養講座として開講することになった。その後、講座の名称こそ「公民館教養講座」、「公民館講座」と変わっていったが、1988(昭和63)年まで脈々と実施された。講座のつくり手と受け手が共に学ぶという意識が活動を支え続けたのだろう。平和、人権、教育、環境、原子力発電といった一個人ではどうにもならない、社会に暮らす人々の命を守る問題を語り合い、有意義だったと思う。」

公民館講座の特記すべき内容
1.区民の積極的参加と企画による講座、映画会、見学会、合宿等の活動が、公民館を主な拠点として繰り広げられ、行政が会場整備、広報等でバックアップした。
2.会場が公民館の場合は、毎年度初めに、保育担当企画運営委員が決定され、その年度に子どもを預けたい母親たちと、保育について細かい話し合いをもった。それは若い母親たちに安心して講座に参加することを促した。この自主保育は1979(昭和54)年から1989(平成元)年まで毎年実施された。
3.障害児をもった親たちの参加があって、障害児問題の話し合いが深まった。その結果1977(昭和52)年以降毎年、区立秋川荘での合宿が実施されるようになり、健常児も障害児も2日間を共に過ごした。これは公民館閉館後も継続されていった。
4.1970(昭和45)年-1980(昭和55)年前後、区内に様々な問題に関わる運動※があった。これらに関わる区民にとって、講座は学びの場となり、地域へと運動を広げる基盤となった。
5.講師助手料である区予算を講師と交渉に行く交通費、講師昼食費、文書タイプ代、保育教材費やおやつ代、映画上映のフィルム代等、自主会計として、活動を膨らませることができた。
6.当初公民館のみでの講座だったが、高井戸青年館、和田堀会館、東邦信用金庫、高円寺会館等でも講座が開かれ多くの地域の人々の参加が得られた。
7.午前10時からの公民館での講座終了後、当日の講師を囲む昼食会がもたれ、講師との質疑応答で、講座内容の理解が深められた。
8.企画運営委員の一人が昼食会のため、食材に無農薬無添加のものを使った弁当を準備してくれたが、彼女はその後、荻窪駅近くに自然食のレストランを開店し、講座出身の企業家第1号となった。
9.阿佐谷に障害者の働く場所「魔法陣」が企画運営委員や障害児をもつ親たちの協力でできた。
10.講座を聴くことから実践へと歩んだ例は「公民館ひろば」を初めとした自主グループの結成がある。

※『つながる―杉並の社会教育・市民活動』より。富士見ヶ丘小学校の高速道路問題、高校増設運動、教科書問題、内申書裁判等

PDF:年表3:第Ⅲ期 教養講座、公民館教養講座、公民館講座年表
(1975年-1988年)
(347.6 KB )

第Ⅲ期講座資料

第Ⅲ期講座資料

第Ⅲ期開催の秋川合宿『平和-私たちのくらしと経済から- 公民館講座No.7 』公民館講座企画運営委員会 杉並区立公民館 1981年

第Ⅲ期開催の秋川合宿『平和-私たちのくらしと経済から- 公民館講座No.7 』公民館講座企画運営委員会 杉並区立公民館 1981年

第Ⅲ期受講者の声

・間違った教育の恐しさをまざまざと教えられた……真相というものは知らないことが多いので一人一人がしっかりと世の中、ものを見る努力をしなければ、と痛感した。(「私の昭和史」(家永三郎)1979(昭和54)年9月13日を聴いて)
・石油問題、原発事故等難しい内容を具体的にわかりやすく説明され、原子力・核エネルギー問題、少し自分の問題ととらえるきっかけになった。(「石油文明を問い直す」(槌田敦)1981(昭和56)年6月4日を聴いて)
―年度シリーズ終了後の話し合いから―
・民間教育産業の盛んなとき、杉並の誇りとすべき講座だ。地域に根ざして文化を掘り起こし、輪を広げている。
・草の根の社会教育大学として大いに期待している。主体性を失わないこと。
・「平和の問題」それが私個人に身近かに影響があることを痛切に感じた。
・障害を負った弱い立場の子が、健康な子と共に幸福に生きられる社会こそ平和な文化国家。

公民館での活動を次の世代へつなげるために

1989(平成元)年、公民館は約35年間の歴史を閉じた。また、社会教育センター設立からも、すでに四半世紀が過ぎている。しかし公民館で培われた数々の「学び」は、今の社会に息づいている。
2002(平成14)年、社会教育センターに区民の参画と協働による杉並区社会教育事業推進委員会(愛称 車座委員会)が組織される際には、「以前の公民館企画運営委員会のようなものを作ろう」という声が挙がり、多様化する一方の区民の要望に答えようと、新たに組織される委員会の一つのお手本となったのである。また、かつて公民館で学んだ人々などが「すぎなみ社会教育の会」を立ち上げ、杉並の様々な取り組みや、活動を記録。2013(平成25)年には、今後の活動に活かして欲しいと、『つながる―杉並の社会教育・市民活動』を発行した。
都市における生活は、人々の共同意識や地域の連帯感を喪失させていっている。日本の今日を築いた人々と、これからの日本を担う若者たちが学び合い、コミュニケーションをはかり、つながりを育てる場づくりが、一層いまの社会教育や市民活動には求められているのではないだろうか。
人の生命が軽んじられ、すべてが金銭に換算されてしまうような現代社会。その中で、生きる意味を問い、働くことの意義を考え、他者と共にあることの喜びと責任を担うことが希求されている今、社会教育や市民活動の果たす役割はかつてより大きいと考えられる。

DATA

  • 最寄駅: 荻窪(東京メトロ丸ノ内線)  荻窪(JR中央線/総武線) 
  • 出典・参考文献:

    <出典>
    『つながる―杉並の社会教育・市民活動』編すぎなみ社会教育の会(エイデル研究所) 2013年


    <参考文献>
    『戦後における東京の社会教育のあゆみⅠ』通巻10「東京23区の公民館-資料解題的に―」小林 文人(東京都立多摩社会教育会館発行)1997年
    『学びて生きる-杉並区立公民館50年(資料編)』杉並の社会教育を記録する会編(杉並区教育委員会社会教育センター)2004年
    『世界史年表・地図』 編者 亀井高孝 三上次男 林健太郎 堀米庸三(吉川弘文館) 2011年
    『公民館の歴史をたどる-1954年-1989年-』-35年間の記録- 編集 発行 杉並区立公民館 1989年
    『新修杉並区史 下巻』(杉並区役所) 杉並区立中央図書館資料室所蔵 1982年
    『杉並区区政概要』-1952-55年-(杉並区役所) 杉並区立中央図書館資料室所蔵
    『杉並区教育史 下巻』(杉並区役所)杉並区立中央図書館資料室所蔵 1966年
    『公民館閉館記念行事案内』(杉並区教育委員会)杉並区立公民館 1989年
    『区長日記』新居 格 (学芸通信社)
    『遺稿 新居 格 杉並区長日記』新居 格 (波書房) 1975年

  • 取材:林美紀子・森内和子・安井節子(五十音順)
  • 撮影:写影堂・TFF
  • 掲載日:2015年03月23日