私は子供のころから飛行機が好きで、そのことを知っていたかつての上司に「妙経寺(※)に面白いお墓があるから行ってみな。」と言われたのです。それが飯沼金太郎を知るきっかけでした。
お寺に行くと、広い外柵の中に随分大きなお墓があり、そこが飯沼家の墓所でした。「航空 飯沼金太郎の墓」とあったのですね。その「航空」の文字を見て「あっ、これだ」と思いました。
航空については、かなり知っていると自負していましたが、航空に関わっていた佐倉市出身の飯沼金太郎を知らないということは、ちょっと恥ずかしいと思いましたね。しかし、当時はインターネットが普及していなかったので簡単に調べようがなかったのです。
※妙経寺:佐倉市弥勒(みろく)町にある寺
それまでに調べたことを取りまとめた『ひとすじのヒコーキ雲』を、睦彌さんにお見せしたところ、「ここまでよく調べて書いてくれた」と大変喜んでいただけましたね。しばらくして睦彌さんのご希望で、私が以前にお贈りした絵を陶版画にしてはめ込んだ顕彰碑(けんしょうひ)を2007(平成19)年に建立することになりました。陶板画には、飯沼が東京・大阪間無着陸周回飛行に挑戦した「在米同胞号」に搭乗し、飛行する勇姿が色鮮やかに描かれています。
その後も調べを進めて取りまとめたのが、2014(平成26)年日本航空協会機関誌「航空と文化」に掲載され、講演でも発表した「空のパイオニア・飯沼金太郎と亜細亜航空学校」という論文です。その講演で、飯沼金太郎さんのご長女の大谷妙子さんにお会いできました。大谷さんとは講演を機会に貴重なお話しを聞かせていただき、また資料を見せていただき大変参考にしております。これからの調査研究に活かしたいと思っています。
千葉県千葉市在住の航空史研究家。
飯沼金太郎の研究については国内における第一人者。千葉県佐倉市勤務で、公務のかたわら航空史の研究を続けている。
2014(平成27)年5月19日開催、日本航空協会主催の航空と宇宙・第263回定例講演会『空のパイオニア・飯沼金太郎と亜細亜航空学校』の講師として講演。
著作
『ひとすじのヒコーキ雲―飯沼金太郎の生涯―』 私家版及び佐倉市教育委員会発行誌掲載 2001年
『空のパイオニア・飯沼金太郎と亜細亜航空学校』 日本航空協会機関誌AIRFORUM 航空と文化・2014夏季号