方南町駅から環状七号線を世田谷方面に進むと、右手のビルの屋上に龍の彫刻が見える。なぜこんなところに?
実はこの龍、建設業を営むテヅカ産業有限会社の看板なのだが、漆喰(※1)でできている。作者は左官職人で鏝絵の名人であった、手塚忠四郎(ちゅうしろう)氏である。
鏝絵とは、建物の壁や天井などに左官の道具である鏝を使って施す装飾のこと。材料は主に漆喰で、着色剤で着色したり、ビルの屋上の龍のような彫像、塗額(※2)などの工芸品もある。
忠四郎氏はそんな鏝絵に魅せられ、生涯で500点以上もの作品を残したという。
※1 漆喰(しっくい):日本の伝統的塗り壁材。消石灰にスサ(繊維)と海藻糊を混ぜ合わせたもの。殺菌効果が高く、防カビ性にも優れる。城の白壁などに使われている
※2 塗額(ぬりがく):鑑賞作品として額装した鏝絵。額まで漆喰でできた作品もある
かつては「鳶(とび)」「大工」と並び建築の中で重要な部分を占めていた「左官」。その歴史は古く、古墳時代にまでさかのぼるといわれている。江戸時代になると左官技術は向上。茶道が発展し、茶人たちが粋がって茶室を建てる中で、新しい技術が編み出されてきた。
鏝絵が誕生したのも同じころ。火災の多い江戸では、火に強く防水性に優れた漆喰を使った塗籠式(ぬりごめしき)の土蔵造りが盛んになり、土蔵の扉や壁などに漆喰で家紋や登り龍、七福神などを描いたのがそのはじまり。左官職人たちが技を競い合ったという。
そんな鏝絵を芸術品に高めた人物がいる。幕末から明治前期に活躍した伊豆長八(1815-1889)である。長八は伊豆松崎町出身の左官職人で、江戸で日本画を学び、鏝絵に色彩を施すことを考案。その技術は全国に広がり、発展していった。
しかし、時代とともに建築様式が変わり、左官の仕事も一変。塗り壁は乾燥に時間と手間がかかることから今では高級となり、ボードやクロスを貼る工法が主流となった。同様に鏝絵の価値も低くなってしまった。
長八が亡くなって18年後の1907(明治40)年、忠四郎氏は中野橋場町(現在の中野区中央)の左官屋に生まれる。19歳で家業の左官職に従事。結婚後、杉並区に移り、左官工事業を主とした手塚工業所(現テヅカ産業有限会社)を創業する。一方、子供のころから好きだった絵画に興味を持ち、日本画家・結城素明(※4)に師事。仕事のかたわら絵を学んでいた。
ある時、旅行先の伊豆松崎町の浄感寺で、長八の作品に出会う。深い感銘を受けた氏は「同じ左官職人が作ったのだから、自分にもできないことはない。」と一念発起。故人であったため弟子になることはかなわなかったが、長八の絵画や彫像、作品集を集め、それを手本に独学で作品を作り始める。
次第に作品が認められ、各地の左官組合や神社仏閣などからの注文を受けるようになり、50〜60歳代は作品作りで多忙に。1976(昭和51)年、69歳の時、その技術が高く評価され「現代の名工」労働大臣賞を受賞。晩年はますます作品作りに没頭した。
※4 結城素明(ゆうきそめい):1875-1957年。日本画家。東京美術学校教授ほかを歴任。伊豆長八を最初に世に紹介した人物。
いつも氏が作品を作る姿を見ていたという忠四郎氏の孫で、テヅカ産業有限会社取締役の手塚誠二さんにお話を伺った。
「僕は3人兄妹の末っ子だったこともあって、祖父にはかわいがってもらいました。友達みたいに遊んだり、現場でもどこでも連れて行ってくれました。僕には優しかったけど、現場では職人という感じでしたね。1つの作品を作るのに1ヶ月くらいかかっていました。彫像作品は、はじめに針金で形を作って、それに網みたいなものを貼って、そこにモルタルをつけて、最後に漆喰を塗って鏝で仕上げていきます。」
鏝絵には、左官の技術だけでなく絵のセンスも必要とされ、誰もが作れるわけではないという。忠四郎氏に絵の素養があったことで、これだけの作品が生み出されてきたのだ。
「作品には龍と観音様が多いですね。とにかく作るのが好きで、亡くなる直前まで作っていました。」
忠四朗氏が暮らしていた自宅には、前庭から玄関、階段のアプローチ、応接間の天井から壁一面、家中に作品が飾られており、氏の鏝絵と漆喰彫刻に対する情熱、作らずにはいられない芸術家魂が伝わってくる。
忠四郎氏の代表作の1つ「花を持つ天女」が、伊豆松崎町「伊豆の長八美術館」にある。1984(昭和59)年に開館した同館は、全国唯一の本格的漆喰芸術の美術館。日本左官業組合連合会の全面協力により建てられ、長八の作品だけでなく、全国各地の左官職人たちの伝統技術を随所に見ることができる。そんな美術館のメインともいえるドーム天井を美しく飾るのが「花を持つ天女」である。ふわりと漂うように舞う白く輝く天女は、なんとも華麗で見惚れてしまう。長八を師と仰ぐ忠四郎氏、渾身の作であったに違いない。
その他、杉並区にもいくつか作品が残されている。大宮八幡宮の本殿内にある狛犬もその1つ。漆喰に着色を施したもので、一見漆喰とはわからない立派なもの。まるまるとかわいらしく、この丸みをどうやって鏝で仕上げたのか、驚くばかりである。また、同宮、本殿前の神門には塗額「牛に引かれて善光寺参り」も飾られているので、参拝の折にぜひ鑑賞してほしい。
高温多湿の日本の風土に合った漆喰の壁。そこに装飾を施してきた職人たちの粋と技。左官の技術とともに鏝絵の芸術性が再認識され、忠四郎氏の作品を多くの方に見てもらえる日が来ることを期待している。
手塚忠四郎 プロフィール
1907年、中野区生まれ。家業の左官業に従事し、1933年より杉並に暮らす。仕事のかたわら日本画家、結城素明に師事。旅先で伊豆長八の作品に出会い、独学で鏝絵を始める。1976年、労働大臣「現代の名工」卓越技能章受章。1978年、勲六等単光旭日章受章。1989年に83歳で逝去。
主な作品
「花を持つ天女」(伊豆の長八美術館蔵)
「長寿老」(元内閣総理大臣福田赳夫氏蔵)
「白竜」(国際左官業組合ワシントン会館蔵)
「青年の像」(杉並区井草青年会館蔵)
「狛犬」「牛に引かれて善光寺参り」(杉並区大宮八幡宮蔵)
「清少納言」「吉祥天」(杉並区浴風会病院蔵)
「万霊守護平和観音」(甲府市恵運院)
<取材協力>
日本左官業組合連合会、東京都左官工業協同組合、大宮八幡宮、杉並区立郷土博物館、富沢建材、建材フォーラム、伊豆の長八美術館
『六十年の歩み』東京都左官職組合連合会
『建材フォーラム』(工文社)
『世界で一番やさしい左官』原田宗亮(エクスナレッジ)
『伊豆の長八 幕末・明治の空前絶後の鏝絵師』伊豆の長八生誕200年祭実行委員会編(平凡社)
『鏝 伊豆長八と新宿の左官たち』新宿歴史博物館編