大学の卒業論文以来、一貫して江戸幕府八代将軍徳川吉宗の政治を研究している大石学(おおいしまなぶ)先生。NHK大河ドラマをはじめ、テレビ、映画、マンガ、小説など、歴史作品の時代考証を請け負い、テレビの歴史解説番組にも数多く出演している。
「指導教授の竹内誠先生(現江戸東京博物館館長)が東京学芸大学を退官されるとき、後任として名古屋の名城大学から転任しました。その時の住まいが高井戸東の国家公務員住宅でした。1996(平成8)年から15年間住みました。子供が高井戸小学校を卒業したことから、高井戸小学校の運営協議会(CS、コミュニティスクール)会長を務めたり、今も特別授業を行ったりしています。
また、東京学芸大学に赴任して最初に学生たちと調査研究したのが高家(※1)今川氏の知行所(幕府より与えられた土地)で、現在の杉並区今川にありました。その後も千川上水や高井戸宿など、杉並地域は私のゼミナールの地域史研究の重要なフィールドになっています。」
※1 高家:儀式や典礼を司る役職またはその役職に就く家
大河ドラマでは、『新選組!』『篤姫』『龍馬伝』『八重の桜』『花燃ゆ』の時代考証を担当。娯楽性を追求すると史実的には嘘になるなど、葛藤のある作業だと言う。ドラマ制作現場での秘話や、意外な史実について伺った。
「制作者やスタッフとの間で意見が異なることもあります。演出的には、この武将とあの武将を会話させたくても、場所と月日が史実的にあり得ない場合は、NGを出す場合もあります。
幕末の戦争シーンを例に挙げると、新政府側は新型の洋式銃、幕府側は旧式の火縄銃というパターンが一般的に多いのですが、これは幕府側の古さを強調したいからです。しかし、史実では幕府側も新型の洋式銃を多数持っていました。映画『るろうに剣心』では、私の提案が認められ、冒頭、旧幕府軍の新選組が洋式銃を撃つシーンが撮られました。おそらく新選組の映像としては初めてのことだと思います。」
※2 NHKエンタープライズ ファミリー倶楽部(外部リンク)にてDVD販売中
お殿様はシティボーイだった
「毎年12月になるとよく放送される忠臣蔵。吉良上野介(きらこうずけのすけ)が浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を“この田舎大名め”と罵倒するシーンがあります。しかし、浅野内匠頭は江戸鉄砲州(現中央区)の赤穂藩邸で生まれ育ったシティボーイなのです。彼に限らず、大名はほとんどが江戸生まれの江戸育ち。“参勤交代の時期になると病気という大名が多い”と、儒学者たちが嘆いたように、藩主の中には領国(所領地)に行きたがらない人も多くいたようです。」
吉宗は、ホントに『暴れん坊将軍』だった?!
「それまでの将軍と異なり、初めて紀州徳川家から江戸城に乗り込んだ吉宗は、五代将軍綱吉の生類憐れみの令(※3)で絶えた鷹狩りを復活させています。鷹狩りは、軍事訓練でもあり、地域の視察でもありました。吉宗は直接社会の動向を知り、大胆に政策を実施したわけです。江戸の町人人口が約50万、日本の総人口が約3,000万人とカウントしたのも吉宗です。また“報告は書面で”と、現代にも受け継がれている文書主義も浸透させました。それまでのしきたりやしがらみを超えた政治を推し進めた異色の将軍が吉宗です。歴史研究者として特定の人物に肩入れすることはありませんが、とても魅力的な人です。」
※3 生類憐れみの令:生き物の殺生を禁じた法令
先生に杉並の歴史についても尋ねたところ、興味深い史実がわかった。
「江戸城が小田原北条氏の支城だった戦国時代末期(16世紀末)に、“江戸城普請(建築工事)のために、人足を阿佐谷から出すように”という古文書が残っています。このことは、すでに阿佐谷地域が村として成立していたことを示します。また、日本史上で注目される、生類憐れみの令により設営された犬屋敷。これは中野から高円寺に至る大規模な施設でした。
杉並地域は江戸城とも深く関わっていました。江戸城大奥へ種物(野菜の種や穀類)、蚊取り用の枯れ松葉、入浴用の桃の葉などが上納されています。さらに将軍の正室、側室や女中たちを和ませるために、ホタル、マツムシ、スズムシなどの虫も上納されていました。将軍が鷹狩りをするための鷹のエサも杉並地域から届けられています。これらは地域の農民たちが納めていました。私は杉並地域を含む江戸周辺の村々を、江戸城と一帯の土地という意味で、「江戸城城付地」と呼んでいます。」
甲州街道の重要な宿場、高井戸宿
「17世紀初頭、五街道の1つである甲州街道が整備されたとき、江戸から最初の宿場となったのが高井戸宿です。のちの元禄時代(17世紀末)に、高井戸宿は日本橋から遠いという理由で、内藤新宿(現新宿)がつくられ、最初の宿場ではなくなりますが、甲州街道の宿場としては規模が大きく、重要な宿場として機能しました。」
歴史を学ぶことは過去の出来事を知ることと思いがちだが、大石先生はそれだけにとどまらない歴史学の魅力を語る。
「何のために歴史を学ぶのか、とよく聞かれます。例えば、今日、日本社会の美徳とされる“落とし物をしても、多くは戻ってくる”ということ。外国人はとても感動しますが、私たちには当たり前のことです。では古代の日本人もそうだったかというと、必ずしもそうではありません。それ以前は“落としものは拾った人のもの”、“戦場で亡くなった人の物は勝手に取ってもかまわない”などという考えも広く存在していました。江戸時代になり、平和な暮らしと経済的な豊かさが広がるなかで、モラルがつくられ、今日に続いているのです。つまり、日本人の美徳は江戸時代に形成されたと言えるのです。
家族という制度も同じく江戸時代からのものです。それまでは一族郎党などと呼ばれる大規模な集団があり、集団内に夫婦や親子のグループが複数成立・存在していましたが、これらは安定化せず、長続きしませんでした。16世紀末頃から、豊臣秀吉によって全国的に検地(土地の調査)が行われ、土地の耕作者・所有者が認められるようになりました。その結果、今日私たちがイメージする親子を基本単位とする家族が形成されました。平和のもとで家族は安定化・永続化し、家業、家産(財産)、家風、家系、家訓などが生まれ、家代々の墓がつくられるようになったのです。
私たちが知っている美徳は、平和で豊かな暮らしがもたらしたものです。戦国時代のように、軍事費に多くのお金が使われ、毎日が生死に直面する社会では成立しません。そのことを知っているのと知らないのとでは、平和に対する思いは変わってきます。現在の私たちが持つ価値観やモラルが、いつ頃社会に広がったのかを知ることは、これから何をすべきかを考える際の重要なよりどころとなります。私たちが歴史を学ぶことは、今の私たちのことをよりよく知ることであり、より良い未来を考える基礎になるのです。」
取材を終えて
取材時間は約90分。大学の授業のちょうど1コマ分に相当する。まるで個人授業を受けているかのような、面白くてためになるひとときだった。
大石学プロフィール
1953年東京都生まれ。
1978年東京学芸大学大学院修士課程修了。1982年筑波大学大学院博士課程単位取得。
現在は東京学芸大学教授。学術研究・教育の傍ら、ドラマ、映画、小説の時代考証に多数関わり、2009年に時代考証学会を設立、同会会長に就任。
文部科学省教科用図書検定調査審議会委員、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会委員、杉並区文化財保護審議会委員、杉並区立郷土博物館運営協議会委員、杉並区戦後70年証言記録集編集委員長、杉並区立高井戸小学校学校運営協議会(CS)会長などを務める。