ピアニストにして文筆家の青柳いづみこさんが、阿佐谷への限りない愛情を込めて描く阿佐谷今昔物語。
昭和初期から40年代頃までの阿佐谷は、文士たちが多く居住しており、いづみこさんの祖父でフランス文学者の青柳瑞穂(※1)もその一人だった。彼らは、「阿佐ヶ谷会」(※2)と称して集い、大いに語り、飲み明かした。いづみこさんは、彼らの知られざるエピソードをつづり、その悲喜こもごもの生活を通して、文士たちが闊歩(かっぽ)した昔日の町の様を、鮮やかによみがえらせている。
併せて描かれるのが、いづみこさん自身の思い出が詰まった阿佐谷だ。変わりゆく町の様子や、音楽・執筆活動で出会った人々との交流の場、行きつけの店などが紹介される。
なお、印象的な題名は、井伏鱒二(※3)が翻訳した漢詩の一節からとられている。
3歳半の年に引っ越してきた阿佐谷。隣に住む祖父の青柳瑞穂の家にはたくさんの著名な文学者が集っていた。阿佐谷は相撲の町でもあり、杉七小の前は花籠部屋で、たくさんの力士を見て育った。初代若乃花が優勝すると、パレードが通るパールセンターは人でいっぱいになった。本の担当編集者との打ち合わせに使う喫茶店、音楽仲間と飲みに行くスターロードや一番街。コロナで七夕まつりと神明宮の秋祭りが中止になった2020(令和2)年、昔ながらの阿佐谷を記憶にとどめ、行きつけのお店たちを応援したい一心で書いた本です。
カフェでさっぱりもてなかった20代の太宰治や、彼の結婚相手探しに奔走した井伏鱒二など、披露される文士のエピソードはどれも興味深く、彼らが近しい存在に思えてくる。関心を持った文士の作品に触れて読書体験を広げてみるのもいいだろう。文学に興味が無い人でも、いづみこ流阿佐谷案内書として楽しめるのが、この本のもう一つの魅力だ。おすすめの店を訪ねれば、新しい阿佐谷体験ができるかもしれない。
※文中、故人は敬称略
※1 青柳瑞穂(あおやぎ みずほ):1899-1971。フランス文学者。いづみこさんの著書に『青柳瑞穂の生涯』がある
※2 阿佐ヶ谷会:中央線沿線の文士たちの親睦を目的とした会。1938(昭和13)年頃に「阿佐ヶ谷将棋会」として発足し、1972(昭和47)年まで続いた。主なメンバーは、井伏鱒二、青柳瑞穂、太宰治、木山捷平、外村繁、小田嶽夫、河盛好蔵など。戦後は主に青柳瑞穂邸を会場として開催された
※3 井伏鱒二(いぶせ ますじ):1898-1993。小説家。代表作に荻窪での生活をユーモラスにつづった『荻窪風土記』、『ジョン万次郎漂流記』、『黒い雨』など
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『「阿佐ヶ谷会」文学アルバム』青柳いずみこ・川本三郎(幻戯書房)
『文士にゃんと學ぶ阿佐ヶ谷文士村』杉並区立阿佐谷図書館