1940(昭和15)年創業の「清水屋」の2代目おかみ・山田重子(やまだ しげこ)さん。2代目店主(山田さんの夫)と和菓子店を営み、堀之内妙法寺名物「揚げまんじゅう」や季節の和菓子の販売に努力してきた。「お客さまが安心して食べられ、長く愛されるようにと、原料にはこだわってきました」と山田さんは当時を振り返る。3代目が継いで手打ちそば屋を始めた今も、その思いで和菓子類を販売している。
また、商店会の活性化のために始めた千日紅の栽培が、地元だけにとどまらず福島県も盛り上げる活動につながっている。千日紅繋和会(せんにちこうけいわかい)の代表として、第一線で活躍する山田さんに話を聞いてみた。
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「清水屋」に20歳で嫁いだ山田さん。その頃店舗は「環七」沿いの和田にあったが、1964(昭和39)年に杉並区堀ノ内に移転した。「私が育った家は、屋号が清水屋。名前を付けてくれたおばは山梨県の堀之内町に住んでいた。まるで“清水屋”に嫁ぐことが運命だったような話でしょ」と話す。移転先が堀之内妙法寺の隣だったため、檀家となり、寺との付き合いも深まっていった。
1990年代の初めごろから、「清水屋」のある妙法寺門前通り商店会も時代の流れには逆らえず閉店する店が増えてきた。2008(平成20)年ごろ「商店会を訪れた人の目がシャッターに行かないよう、シャッター前に花を置こうと思いました」と山田さん。ちょうど近くの店舗から、夏でも凛(りん)と咲いている千日紅の苗をもらったこと、その花の名前に妙法寺の千部会(※)の「千」が付いていたことから、千日紅の栽培に自ら資金を投じることに決めた。
「この商店会は、いつ来てもきれいな花が咲いていてすごいですね」と、ある時訪れた区職員から声をかけられた。全て山田さんが自費で賄っていたことを知った職員から、区に補助金制度があることを教えてもらい、応募して慣れないプレゼンテーションに挑戦した。補助金の申請が通ってからは、花をさらに増やしていった。
また、商店会のおかみさんや地域の女性が月1回集まる「ちいさなお茶会」を開催して手作り商品を製作し、イベントなどで販売して売上金も栽培の資金にした。
2009(平成21)年8月、商店会を盛り上げるため、山田さんが実行委員長となって第1回「夏のふれあい千日紅花まつり」を妙法寺で開催。「昔の妙法寺の千部会は8月に夏祭りのように催されていたのですが、ある時から5月に変わったのです。夏の妙法寺の縁日をもう一度復活させたいという思いがありました」。地元で協力し合い、幅広い年代が楽しめる祭りになった。
2012(平成24)年、さらに大きな活動に広げるため、山田さんが代表となり会員6名で千日紅同好会を設立。「私は思い立ったらすぐ行動に移してしまうのですが、それではだめ。講師を招き、今後の計画を立てていただき、物事を進めていく方法を教えてもらいました」
講師と一緒に、千日紅と妙法寺の縁日を核とした、学校・商店会・地域住民で地域の魅力を創造する千日紅市プロジェクトをスタートさせた。
近隣にある阿佐ヶ谷美術専門学校に、「千日紅市」をイメージしたロゴやポスター、グッズ、商品パッケージの制作を依頼し、商店会には地元ブランド商品となる「千日紅市」のグッズ開発に携わってもらった。そして、区立済美小学校をはじめとするいくつかの学校には、千日紅の栽培と花の摘み取りのボランティアをお願いした。
2014(平成26)年10月、妙法寺境内と妙法寺門前通りを会場として、第1回「千日紅市」が開催された。「“千日紅市”は“夏のふれあい千日紅花まつり”とは違い、昔流の縁日ではなく、日本の文化を継承しながら、子供や親、若い人たちにどんどん関わってもらえるような祭りにしたいと思いました」
会場では、千日紅同好会が地域住民と育てた千日紅の苗の無料配布も行った。「千日紅が自由に羽ばたいているイメージになるよう、枝が広がるように剪定(せんてい)しています」。花につく虫を一つずつ取り、剪定し、咲き終えたら摘んで種にする。いろいろな人の手を借りてきれいに咲く千日紅と同様、「千日紅市」も多くの人が集まり、力を合わせて開催されることに意味があると思っているそうだ。
2023(令和5)年の第10回「千日紅市」では、高校生が、足の具合が良くなかった山田さんの力になりたいと申し出てくれた。「こういう若い人たちが自ら手伝いたいと言ってきてくれることが本当にうれしい」
2011(平成23)年の東日本大震災後、3年間、区の交流自治体・南相馬市で千日紅の種を配布した。
震災直後は「二つの祭りは中止しよう」という声もあったが、「こんな時だからこそ私たちが元気を出して何かを成し遂げていくことが大切なのではないか」と、区立済美小学校の生徒に募金箱を作ってもらい、祭りで募金を集めた。
また、小学校の当時の守衛から「故郷の福島県双葉郡川内村でも多くの人が離散した。高齢者が多く残っていると聞き、その人たちを元気づけるため、花を咲かせてもらえないか」と話をされ、「今後、花を見た人の喜びが直接目に見えるような活動をしたい」と思い快諾した。土の質の問題なのか、なかなかうまく花が咲かず、2014(平成26)年に土作りから始めたところ、毎年少しずつ花が咲くようになっていった。2023(令和5)年現在も、ボランティアの力を借りながら、春に苗を植え、秋に刈り取る作業を続けている。
「50歳の時、店が一番忙しい時に大病し入院したのです。それまで、先頭切って自らの考えを押しつけ仕事をしてきたけれど、これからは人を応援する立場で行動したいと思うようになりました」と山田さん。店主の考えを尊重し、うまくいくようサポートに回った。
2020(令和2)年、杉並区まちづくり協議会に認定された団体組織として、千日紅同好会から千日紅繋和会に改名し、代表に就任した。これまでの千日紅の活動に加え、すべての人が過ごしやすい商店会を目指して活動していくという。
また、千日紅繋和会のメンバーと、陰で支えてくれた仲間や地域へのお礼として、今まで撮りためた祭りの写真を妙法寺で展示できないか検討しているそうだ。「いろいろな記録をまとめて書き残し、それを読んで共鳴してくれた人が、この思いを引き継いでくれるとうれしい」
これからも、地元を盛り上げる活動は千日紅の枝のようにどんどん広がっていきそうだ。
山田さんの周囲を巻き込むバイタリティーとボランティア精神には、頭が下がる。根底にあるのはただ一つ、「商店会がこれからも安泰であること」。今後企画されているさまざまな催しにも注目していきたい。
山田重子 プロフィール
1947年生まれ。堀ノ内の「清水屋」2代目おかみ。千日紅繋和会代表。「夏のふれあい千日紅花まつり」「千日紅市」実行委員長。
※千部会(せんぶえ):祈願・追善・報恩などのために読誦(どくじゅ)する法会