歴史や文化を楽しめる杉並区の中心地
かつて荻窪には、近衛文麿、有馬頼寧(よりやす)などの政治家、井伏鱒二、太宰治、田河水泡(すいほう)、棟方志功、与謝野晶子などの作家や芸術家が暮らし、文化の香りが漂う街が形成されていった。
駅の南側には閑静は住宅街が広がり、緑豊かで落ち着いた印象だ。文化人の居宅跡地を利用した施設も多い。戦前の内閣で首相を務めた近衛文麿が終の住処(ついのすみか)とした「荻外(てきがい)荘」は、国の史跡にも指定されている。 また、駅の北側は青梅街道が東西に走り、沿道には商業施設や商店がひしめいて活気あふれる街並みが四面道(環状八号線と青梅街道の交差点)まで続く。
街の中心となる荻窪駅は、JR中央線、東京メトロ丸ノ内線の2路線が利用でき、通勤・通学に便利だ。レトロな木造建築をリノベーションして開店する店舗など、荻窪には古いものを残しつつ新しい感覚をとりいれながら杉並区の中心として発展し続けている。
1923(大正12)年の関東大震災以降荻窪に、小説家の井伏鱒二、太宰治、与謝野鉄幹・晶子夫妻など多くの文化人が移り住んだこともあり、当時の文化的な雰囲気を残す場所もある。懐かしいレコード店や古書店があったり、古い建築物を利用した新しい店が開店したりして今もなお、文化の発信は続いている。
荻窪といえばラーメンの街として知られているが、ラーメン以外にも「荻窪ならこの店!」という名店がある。週末ともなれば、行列に遭遇することも珍しくない。スパイスを利用したカレー店の紹介ではおなじみの「トマト」も見逃せない。
駅北口から青梅街道を西荻窪方面に歩くこと約7分、「杉並公会堂」がある。ここは「日本フィルハーモニー交響楽団」の本拠地で、国内有数の音響施設や世界三大ピアノメーカーのグランドピアノを備えているなど、クラシック音楽との関わりは深い。
荻窪音楽祭では「杉並公会堂」を中心に地域のレストランやカフェでも演奏会が行われ、至るところで生演奏を聴くことができる。
2017(平成29)年からは「OGIKUBO ROCK FESTIVAL」も始まった。
駅を中心に15以上の商店街がある。魚、野菜をはじめ日常の食材や衣類、日用品、書籍までそろえられる。それぞれの店の個性を楽しむのもおすすめ。
荻窪駅北口を出て青梅街道を渡ると商店街の入り口がある。教会通りと呼ばれるのは、この通りを進むと1917(大正6)年からある天沼教会に行き着くから。懐かしい面影も多く残る通りだが、新旧交代も進んでいる。
第二次世界大戦後の1946(昭和21)年にできた新興マーケットから始まり、1981(昭和56)年の「タウンセブンビル」の完成とともに「タウンセブン商店街」として新しく生まれ変わった。1店舗3坪から始まった店の多くが、今も営業を続けている。2018(平成30)年現在では60店舗弱。
駅から青梅街道を西荻窪方面に進み環八通りを過ぎると、八丁通り商店会の商店街がある。かつては、中島飛行機荻窪工場のお膝元として、荻窪駅前以上のにぎわいがあった。
JR中央線荻窪駅は、1891(明治24)年に甲武鉄道の一駅として杉並区で最初に開業した。1日の乗降客数が約89,000人(2017年度)で区内のJRの4駅の中で最も多く、週末や祝日の休日ダイヤ運行時に快速が停車するのはここ荻窪駅だけだ。荻窪駅はJR総武線の駅でもあり、東京メトロ東西線が乗り入れ運行している。また、東京メトロ丸ノ内線の発着駅である。
電車以外にも駅の北口からは関東バスと西武バス、南口からも関東バスの路線と発着本数が多くあり、東西に走る鉄道の駅を基点に南北に走るバスは便利な交通手段である。駅の近くには幹線道路の青梅街道と環状八号線が通っており、車での移動もスムーズだ。
鉄道、地下鉄、バス、さらには自動車による移動まで、荻窪周辺の交通手段は豊富で快適だ。
荻窪という地名は「慈雲山荻寺光明院の縁起によれば、"荻を集めて堂を創る"とあるように低地に荻が群生していたがために命名されたと考えられる」と伝えられている。現在の光明院は、環状八号線とJR中央線が交わるところにある。