中央線沿線の町々は、多くの作家の創作の場となり、しばしば小説の舞台となった。この本は、そうした小説を、東中野から八王子まで町別に紹介した読書ガイドだ。町のたたずまいや空気感がどのように描かれているかを、原文を引用して解説し、併せて作家と地域の関わりなどにも触れている。60ほどの作品が登場し、読書しながら地域の魅力を再発見する楽しみを教えてくれる。
取り上げているのはほとんどが戦後の作品だ。太宰治、井伏鱒二、松本清張、有吉佐和子といった文壇の大御所の作品だけでなく、2015(平成27)年第153回芥川賞受賞のベストセラー『火花』(又吉直樹/著)や、人気のユーモアミステリー『謎解きはディナーのあとで』(東川篤哉/著)まで、幅広い年齢層への目配りが感じられる選書がされている。
著者は、東京都三鷹市の職員として長年文化事業に携わり、文学関連事業の企画・実施も数多く担当した。退職後は、中央線沿線ゆかりの文学者や作品の調査・研究を行なっている。この本は、沿線各地で開催された講演会の内容に新たな知見を加え書き下ろされた。
▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>杉並の文士たち>太宰治さん
すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>杉並の文士たち>井伏鱒二さん
本書は、ベストセラーや評価の高い小説を多数取り上げています。描かれた地域の風景に着目して再読すると作品の別の側面が現われてきます。
講演や執筆の過程で丹念に町を歩くことにより、一見普通の住宅地が重層的な奥深さを有した場所であることが実感できました。杉並区内では荻窪や西荻窪は個人的に何かと縁がありましたが、高円寺や阿佐谷周辺は、有吉佐和子の『恍惚の人』に登場する妙法寺や三浦しをんの『あの家に暮らす四人の女』の舞台である善福寺川の蛇行する辺りなど初めて訪れた場所も多く新鮮でした。本書は、文学作品を読むことを通して沿線各地の陰影のある過去と現在の風景をたどる旅の書でもあります。
▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>読書のススメ>恍惚の人
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>読書のススメ>あの家に暮らす四人の女
杉並区を含めた中央線沿線が土壌となり、豊かな小説の花が開花した。この本は、そんな想像をさせてくれる。戦前の荻窪に暮らす職業婦人の生活が垣間見える石井桃子の『幻の朱い実』、高度経済成長期前の郊外の風景に出合える松本清張の小説の数々、高円寺に住む売れない芸人の主人公を通して、町の「今」に触れることができる『火花』など、時代を異にした多彩な作品が紹介され、実際の町がどのように小説の中で息づいているか興味がかき立てられる。
登場する町の風景写真や地図が挿入されていて、特色のあるまち歩きガイドにもなっているので、お気に入りの作品の読後に、舞台の町に出掛けてもいいだろう。物語の余韻に浸りまち歩きをすれば、いつもと異なった風景が見えるかもしれない。