武蔵野随筆

監修:松村英一(文林堂双魚房)

1942(昭和17)年に発刊の、柳田国男(民俗学者)はじめ、14人の武蔵野についての随筆を編纂(へんさん)した本。
杉並ゆかりの人物では、田部重治(英文学者・随筆家)、水原秋櫻子(俳人)、上林暁(小説家)の文章が掲載されている。
膨大な山歩きと登山の経験を随筆として書いた田部だが、本書では、自宅から近い五日市街道(※1)徒歩行の話が書かれている。
野鳥観察が趣味だった水原は、妙正寺池、ついで善福寺池と、池巡り(※2)とその際俳句を詠んだ話で、妙正寺池ではモズ、善福寺池ではカモに注目している。
上林は、武蔵野をテーマに作品を連作しているが(※3)、本書では武蔵野文学論。国木田独歩、徳富廬花、佐藤春夫の作品を中心に論を展開している。

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『武蔵野随筆』函(はこ)と本体

『武蔵野随筆』函(はこ)と本体

おすすめポイント

本書では、野鳥の父と呼ばれた中西悟堂や、中西を中心に設立された日本野鳥の会と関係のある人たちの随筆が多く興味深い。そのうち、水原は善福寺での中西との交流についても書いている。
水原が、池巡りの後、善福寺池近くの秋櫻子門下の山谷春潮宅に寄った際、そこに、同じく善福寺池近くに暮らしていた中西を招待。野鳥談義に興じ、山谷宅近くの「枯蘆原(かれあしわら)」に野鳥観察に出かけたエピソードなどが書かれている。水原は、1934(昭和9)年に、日本野鳥の会が結成された後、先に中西に師事していた山谷を介して善福寺に中西を訪ね、以降、野鳥俳句に専心した。随筆は、5、6年前の初対面の回想と、中西への感謝の言葉で締めくくられている。

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※本書は絶版となっている。区立図書館に蔵書があるほか、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる

※1 五日市街道:江戸時代初期に開設された街道。五日市や檜原村から、木炭など、生活必需品を搬送するための道だった。区内では、現在でも成田西、宮前辺りに寺社、民間信仰石塔、樹木など、その面影を残している所がある
※2 武蔵野の池巡りは、江戸時代より、風流人の行楽だった。江戸時代後期に書かれた『江戸近郊道しるべ』でも、著者・村尾嘉陵は、水原同様、妙正寺池、善福寺池を訪ねている
※3 上林は、武蔵野を散策、瞑想(めいそう)にふけることが好きだった。武蔵野をテーマにした作品のうち、『野に出て』、『夏野』は、自宅近くの向井(現杉並区下井草)周辺が舞台になっている

DATA

  • 取材:井上直
  • 掲載日:2024年06月03日