文壇の事情通といわれた浅見淵(あさみふかし)が、戦争体験を挟んで戦前から戦後の文士たちの生活や文芸活動の動向をつづった貴重な随筆集。
浅見淵は1899(明治32)年、兵庫県神戸市生まれの小説家・文芸評論家。早稲田大学在学中に小説「山」を発表、卒業後も同人誌に作品を発表しながら、文芸誌に評論も執筆した。1937(昭和12)年に『早稲田文学』の編集を尾崎一雄から引き継いで2年間担当した。1938(昭和13)年頃から阿佐ヶ谷将棋会に参加して、井伏鱒二、青柳瑞穂、外村繁、木山捷平、上林暁、太宰治らと親交を深め、戦後は阿佐ヶ谷会の主要メンバーであった。
本書は、浅見が1966(昭和41)年1月から1967(昭和42)年2月まで「週刊読書人」に「昭和文壇側面史」として連載した内容をまとめて1968(昭和43)年に刊行された。
目次を追うと「「阿佐ヶ谷会」の縁起」の項が目を引く。1937(昭和12)年頃から、戦時の鬱屈した気分を晴らそうと文士たちが集まって将棋会が盛んになったとある。浅見は阿佐ヶ谷会の文士の棋風について、井伏・上林は本格派の「守成将棋」、太宰は 「早指し将棋」、木山は 「熟考型」と評している。これに関連して、「古谷サロン」の項には、1932(昭和8)年に東中野の古谷綱武邸ビールパーティで、阿佐ヶ谷の若い文士たちと知り合ったとある。また、「新宿のハモニカ横丁」の項には、1966(昭和41)年に井伏鱒二の文化勲章受章の祝いを兼ねて、青柳瑞穂宅で開かれたクリスマス会に会員17名が参加し、新宿ハモニカ横丁のなじみのマダムたちも加わって大層にぎやかだったとある。
青柳瑞穂の孫にあたる青柳いづみこ氏は阿佐ヶ谷文士たちの居住地が入った楽しい随筆を書いている。両書をひもといて、文士たちが活躍した時代を思いながら区内を散策してみるのはいかがだろう。
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ネットミュージアム兵庫文学館 兵庫ゆかりの作家 浅見淵
https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a136/
ブログ「浅見 淵の人生と作品」