コンパクトな商店街と閑静な住宅地
西永福
NISHI EIFUKU
西永福は、街並みがゆったりとして歩きやすい閑静な住宅地である。北に善福寺川緑地、南に神田川遊歩道があり豊かな緑に恵まれている。交通の中心となる京王井の頭線西永福駅は、1933(昭和8)年に開業した。2007(平成19)年には駅舎と改札を橋上化して、住民が切望していた南北の自由通路が駅構内に設置され、利便性が向上した。 駅北側は、くの字に曲がって見通せないが、井ノ頭通りまで続く商店街は車の往来も少ないので快適に買い物を楽しめる。その商店街を抜けた交差点から、井ノ頭通りを東に約20メートルの場所に西永福駅前バス停があり、鍋屋横丁を経由する中野駅行き、吉祥寺駅を経由する武蔵境駅行きのバスのアクセスがある。
杉並区大宮2丁目にある大宮八幡宮の南参道まで徒歩約7分と、ほかの最寄り駅に比べて最短で行ける西永福駅は、大宮八幡宮が推奨する「おすすめ参詣道」の起点になっている。 大宮八幡宮は、源頼義が鎮守府将軍として奥州を平定して凱旋(がいせん)した1063年に京都の石清水(いわしみず)八幡宮から分霊して創建されたとされる。
大宮八幡宮の西には高千穂大学が隣接する。1914(大正3)年に私学初の高等商業学校として高千穂高等商業学校が開校。1950(昭和25)年の学制改革により高千穂商科大学になり、2001(平成13)年には名称を高千穂大学に変更した。敷地内には、高千穂学園武道場があり、区内最古の木造学校建築として杉並区指定有形文化財に指定されている。 西永福駅から南へ約10分、神田川に架かる八幡橋を渡ったところに下高井戸浜田山八幡神社がある。太田道灌が江戸城築城の際に災難除けを祈願し、鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請(かんじょう)して1457年に創建したと伝えられている。
西永福駅北口の商店街でひときわ存在感のある理性寺(りしょうじ)は、1654年に四谷大木戸(現在の新宿区新宿1丁目付近)に創立され、1914(大正3)年に現在地に移転した。境内の大黒殿には「火伏せの大黒天」と呼ばれる高さ約12cmの木彫りの大黒天が安置され、火伏せの守り神として現在も甲子(きのえね)の日に「大黒天甲子祭」が催される。
西永福駅の北側を東西に走る井ノ頭通り沿いには、スーパーマーケットのサミット株式会社本部がある。サミット本部から永福町に向かって200メートルほどのところにはサミットストア西永福店があり、ここで扱うご当地カレー「THE井ノ頭カレー」(レトルト)は手土産として利用できる。
西永福には、駅の北口と南口にまたがる「西永福協栄会」と、井ノ頭通り沿いの「西永福睦会」の2つの商店会がある。
駅の南北と、駅北口から井ノ頭通りまで約100メートルの間にある商店街である。一軒一軒の規模は小さいが長く続く店も多く、近隣住民から親しまれている。商店街を抜けると井ノ頭通りとの交差点に出る。
井ノ頭通りと方南通りに広がる商店街である。
西永福駅は、ほかの多くの井の頭線の駅間距離が1キロメートル未満であるのと同様、東隣の永福町駅と約700メートル、西隣の浜田山駅と約800メートルの距離にあり、両駅とも買い物圏内にある。
理性寺の墓地には、戯作者伊庭可笑(いばかしょう)、初代杵屋三五郎(きねやさんごろう)、浜田山の地名の由来とされる浜田屋弥兵衛(はまだややへえ)らが眠る。