昭和30年代後半から40年代後半にかけて急激に都市化が進んでいった首都東京、杉並。森泰樹(もり やすじ 改名前 森安二 1919-2007)は杉並の各地域の失われていく歴史を後世に伝えるために、郷土史研究と文化財保護に情熱を注いだ。大作『杉並風土記』など6冊の本を書き残すとともに、都内屈指の規模を誇る郷土史研究会「杉並郷土史会」の初代会長を務めるなど、杉並の郷土史研究を牽引(けんいん)した人物の足跡をたどってみたい。
長女の森敬子氏に、泰樹の生い立ちと経歴について伺った。以下は、その話による。
安二(やすじ)は1919(大正8)年、富山県下新川郡松倉村稗畠(現富山県魚津市稗畠(ひえばたけ))に、森家の次男として生まれた。1歳の頃、当時流行していたポリオウイルスに感染し、小児麻痺(まひ)を発症。先に幼い長男を亡くしていた父・六次は、安二に最新の治療を受けさせるため、東京帝国大学医学部附属医院(現東京大学医学部附属病院)に入院させた。3年後に退院したものの、右手に後遺症が残り終生麻痺したままであった。
1933(昭和8)年頃、一家で上京。都内を何度か転居したあと現在の杉並区成田東3丁目に居を構え、自宅の敷地で春雨(はるさめ)の製造を始めた。そして1939(昭和14)年、安二は20歳で父の経営する「合資会社 森はるさめ製造所」を引き継ぐ。
戦前は軍の指定業者として、戦後は食糧難を背景に業績を伸ばし、1958(昭和33)年には「全国はるさめ工業協同組合」の専務理事に就任するなど業界で一目置かれる存在となった。さらに1965(昭和40)年頃から春雨製法の特許と実用新案を取得するとともに、埼玉県入間市の工業団地に工場を新設するなど事業を拡大していった。
「安二」から「泰樹」に
敬子氏によれば、事業が軌道に乗った1955(昭和30)年頃から、安二は骨董(こっとう)に興味を持つようになったそうである。特に、刀剣収集に熱心だった。そして、収集だけでは飽き足らず、当時、阿佐ヶ谷南本通商店街(現阿佐谷パールセンター商店街)にあった「倉田屋」という骨董屋(本業は質屋)の主人に師事し、目利きについて学んでいた。
安二はこの師匠からもらった目利きの号「泰樹(たいじゅ)」が気に入り、「泰樹(やすじ)」を本名に当てて名乗っていた。その後、1998(平成10)年に東京家庭裁判所に改名を申し立てて許可された。
「人生五十年、余生は自分のやりたいことをして過ごそう」
泰樹は1970(昭和45)年、50歳となったのを機に、家業の「合資会社 森はるさめ製造所」をきっぱり解散して、念願の杉並の郷土史研究を本格的に始めた。
初めは石仏調査と区内の古老からの聞き取りだった。その資料を元に1971(昭和46)年2月からは杉並新聞(※1)に「石仏をたずねて」「杉並今昔」を連載し、続いて1973(昭和48)年9月からは「杉並風土記・高円寺の巻」を連載した。泰樹は『杉並風土記』下巻のあとがきで「この連載はたいへんな好評で、(中略)杉並全体を網羅した杉並風土記を書く自信となり、以後、史料の掘り起こしと採集に励み、五十二年に『杉並風土記・上巻』を発行しました」と回想している。
『杉並風土記』は、杉並の旧20ヶ村(※2)を上・中・下の3巻に分け、各村の古代から現代までの歴史・伝説・民俗・神社仏閣などを解説した本である。江戸時代に編さんされた『新編武蔵風土記稿』(※3)や『武蔵名勝図会』(※4)が、今なお貴重な資料として活用されているように、後世の人々が杉並を研究する上で必要な資料として残したいという泰樹の思いから企画制作されたものといわれている。
だが、『杉並風土記』全巻の完成には、1977(昭和52)年の上巻の出版から12年を要することになる。その主な原因は、高円寺村、阿佐ヶ谷村に古文書類が極めて少なく、資料探しに足踏みをしているところに、蚕糸試験場跡地問題が持ち上がり、蚕糸試験場本館保存運動に熱中したため原稿執筆がおろそかになったからだと、10年ぶりに出版した『杉並風土記』中巻のあとがきで述べている。
しかし、1984(昭和59)年に病に倒れた時、「『杉並風土記』を未完成のままでは死にきれない」と痛切に感じ、退院後は杉並郷土史会会長以外の要職はすべて返上して著述に励み、1987(昭和62)年に中巻、1989(平成元)年に下巻を出版。泰樹が草稿を書き始めてから足掛け20年をかけて完結した。
「森さんのノートは“宝の山”」
泰樹の著書と、古老の話を記録した取材ノートや収集された資料は、2002(平成14)年に杉並区立郷土博物館に一括して寄贈された。郷土博物館の前館長・寺田史朗氏は、「中でも特に貴重なのは取材ノートだ」と語る。このノートには、森さんの出版物などに載っていない重要なことも多数書かれているという。「だから、当時の人たちから聞き書きをしたということが、森さんの一番大きな功績だったと思う。町の古老たちは自分で文章を書かないですからね。彼の本だけでなく、これから先の研究にも生かせるのだから、学芸員たちに“森さんのノートは宝の山だから、じっくり読めよ”と話していました」
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1973(昭和48)年春、杉並古代文化研究会の安藤幸吉、尾藤さき子が発起人となり、同時期に郷土史の研究を行っていた泰樹らに「専門的ではなく、気軽に郷土史を語り合える会を作ろう」と呼びかけ、新たな会設立の計画を進めた。5月に成田西にある尾﨑(おさき)熊野神社の社務所において、同志6名(※5)による顔合わせ会を開催。発起人を募り、6月に第1回例会として準備会を杉並公会堂小会議室で行い、14名が参加した。11月23日には「杉並郷土史会創立記念会」を兼ねた例会が成田東の天桂寺(てんけいじ)にて盛大に行われ、本格的に会が動き出した。会の運営は、当面は会長を置かない運営委員会形式とし、運営委員代表には発起人の安藤幸吉が就任した。
1978(昭和53)年4月、泰樹が運営委員代表に就任。1980(昭和55)年、杉並郷土史会は会長制に移行し、泰樹が初代の会長に選任された。その後、会の活動の一環として、閉鎖された蚕糸試験場本館などを保存し、郷土資料館に再利用する運動を展開していく。だが、蚕糸試験場跡地の防災公園化や小学校移転などの案と競合し、1983(昭和58)年7月に区の国有地対策委員会で請願が不採択となり、郷土資料館としての再利用案は消えた。
その間、郷土史会の会員数は、創立の1973(昭和48)年の101名から、10周年には390名、20周年には521名となり、都内屈指の歴史研究団体に成長。講演会や見学会も定員をオーバーする盛況ぶりであった。代表就任以来、泰樹は妻の美津江と二人三脚で会を盛り立て、1999(平成11)年12月に会長を退くまで、郷土史会の顔として活躍した。
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杉並郷土史会現会長・新村康敏氏は、「森さんは郷土史を執筆するプレーヤーとしても活躍されましたが、組織をまとめるすごい力をお持ちの方だったと思います。組織を維持し拡大していくためには、ある程度の資金力も必要なことから、個人的なお金も相当つぎ込まれたのではないでしょうか」と語る。また、蚕糸試験場本館の保存活動を振り返り「2万人の署名を集め、区に請願し、都に請願し、国に請願している。これはすごいパワーです。今の会員数は280名前後ですが、あの頃が、郷土史会としても一番締まっていた時だったのではないかと思います」と話してくれた。
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杉並郷土史会(外部リンク)、
※記事内、故人は敬称略
※1 杉並新聞:1948(昭和23)年12月創刊の杉並の地域紙。西東京新聞社が旬刊で発行、1974(昭和49)年休刊。1975(昭和50)年以降は杉並新聞社が旬刊で発行、2006(平成18)年廃刊
※2 杉並の旧20ヶ村:現在の杉並区の区域は江戸時代は武蔵国多摩郡に属し、20村があった。1889(明治22)年の市制・町村制施行により合併され、杉並村、和田堀内村、井荻村、高井戸村の4村となった。合併による4村を旧4村、市制・町村制施行以前の20村を旧20ヶ村と称する
※3 新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう):江戸時代後期(1810~1828)に編まれた武蔵国の地誌。昌平坂学問所地理局による事業で総裁林述斎(じゅっさい)、間宮士信(ことのぶ)らにより編さんされた。全265巻。武蔵国の地理・歴史に関する諸事項につき、各郡村里の詳細に至るまで解説。絵図・古文書などの史料も収め、利用価値は高い
※4 武蔵名勝図会:江戸時代後期、多摩郡の名所・旧跡が挿絵入りでまとめられた地誌。著者は八王子千人同心の出である植田孟縉(うえだ もうしん)。全12巻
※5 安藤幸吉、井口大吉、森田金蔵、赤間倭子(しづこ)、尾藤さき子、森泰樹の6名
『杉並区史探訪』森泰樹(杉並郷土史会)
『杉並歴史探訪』森泰樹(杉並郷土史会)
『杉並風土記』上・中・下巻 森泰樹(杉並郷土史会)
『杉並の伝説と方言』森泰樹(杉並郷土史会)
『杉並区の歴史』杉並郷土史会(名著出版)
「杉並郷土史会会報合冊」第1巻~第5巻(杉並郷土史会)
「杉並区立郷土博物館研究紀要・年報」第12号(杉並区立郷土博物館)
「杉並区立郷土博物館常設展示図録」(杉並区立郷土博物館)
「平成22年度杉並区文化財年報・研究紀要」(杉並区教育委員会)
「杉並区文化財保護条例施行30周年記念誌 杉並区の指定登録文化財」(杉並区教育委員会)
「すぎなみ郷土史物語」企画展展示解説リーフレット(杉並区立郷土博物館)
『杉並の民家その1(旧篠崎家住宅)』(杉並区教育委員会)
『杉並の民家その2(旧井口家長屋門)』(杉並区教育委員会)
『荻窪風土記』井伏鱒二(新潮社)
『井伏鱒二と『荻窪風土記』の世界』(杉並区立郷土博物館)
『荻窪百点』第323号 松葉襄(明るい生活社)
「読売新聞」1987年5月29日付 都民版
「東京新聞」2020年6月6日付 編集長が撮った街と人
「杉並新聞」1948年12月5日号、1973年1月1日号、同月14日号、同年6月14日号、同年9月16日号(西東京新聞社)