森泰樹さん【後編】

森泰樹は井伏鱒二邸によく招かれていたそうだ。二人の出会いで、井伏文学の総集編ともいわれる自叙伝風随筆『荻窪風土記』が完成した(杉並区立郷土博物館所蔵)

森泰樹は井伏鱒二邸によく招かれていたそうだ。二人の出会いで、井伏文学の総集編ともいわれる自叙伝風随筆『荻窪風土記』が完成した(杉並区立郷土博物館所蔵)

文化財の保存活動

昭和40年代、区内では宅地化が急速に進み、かつての武蔵野の農村の面影は失われていった。茅葺(かやぶ)き民家も次々と建て替えられ、1970(昭和45)年頃には10棟が確認されていたものの、わずか3年後には5棟と急速に姿を消していた。
下井草の茅葺き民家、篠崎家主屋(しのざきけおもや)の取り壊しを人づてに聞いた泰樹は、祖先の暮らしを伝える民家の消滅を惜しみ、文化財として残そうと所有者の篠崎家と相談。1973(昭和48)年1月、区に請願書を提出し、区による保存を働きかけた。2月には泰樹を代表として「杉並の文化財を守る会」(以下「守る会」)を設立、組織として活動を強化した。
さらに「守る会」は、1974(昭和49)年3月、建物の維持が困難となっていた宮前の井口家長屋門の保存修理を区に陳情・請願するとともに、当時建設計画があった区立の郷土資料館に併設して保存活用するよう要望を行った。
区はどちらの請願も採択し、1974(昭和49)年、2棟は解体・保存され、1986(昭和61)年に杉並区の有形文化財(建造物)に指定された。そして、1989(平成元)年、杉並区立郷土博物館の開館に合わせ、敷地内に杉並の古民家「旧篠崎家住宅主屋」と長屋門「旧井口家住宅長屋門」として復原されたのである。
泰樹は、これらのほか、佐久間象山「望岳賦碑」(※1)の発見や、高井戸の「横倉家文書」(※2)の発見・保存など、数々の文化財の保存に尽力した。

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すぎなみ学倶楽部 ゆかりの人々>知られざる偉人>森泰樹さん【前編】
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象山神社(外部リンク)

自宅前で(写真提供:森敬子氏)

自宅前で(写真提供:森敬子氏)

1974(昭和49)年、解体前の旧篠崎家住宅主屋(写真提供:杉並区立郷土博物館)

1974(昭和49)年、解体前の旧篠崎家住宅主屋(写真提供:杉並区立郷土博物館)

1974(昭和49)年、解体前の旧井口家住宅長屋門(写真提供:杉並区立郷土博物館)

1974(昭和49)年、解体前の旧井口家住宅長屋門(写真提供:杉並区立郷土博物館)

五日市街道のケヤキ並木の景観を守る

文化財の保存ではないが、「五日市街道のケヤキ並木」の保存について、泰樹は『杉並郷土史会会報』第119号(1993年5月25日)トピックス欄に次のような記事を投稿している。
「(以下、要約)平成元年、成田西三丁目16番付近の五日市街道の拡張計画が発表された。この道路には樹齢200年以上のケヤキが南側に4本、北側に12本あり、計画では道路の両側を5~6m拡幅するため、16本のケヤキは全部伐採される予定であった。
筆者(泰樹)は永年東京都のみどりの推進委員で杉並地区会会長を務めているので、みどりについては深い関心を持っている。早速、工事担当の都の建設事務所に”南側の4本は切っても良いから、道路を南側に広げ、北側の12本を保存してくれ”と陳情したが、”個人の陳情は駄目”と断られた。そこで、知人の町会長、団体幹部、区内の有力者等に協力をお願いしたところ、皆さん賛成されて、都知事と杉並区長へ106団体から陳情書が提出された」
その結果、街道北側のケヤキ12本が保存されることになった。多くの人の協力を得ながら景観の保護に励んでいた泰樹の活躍がうかがえる。

五日市街道成田西3丁目16番付近のケヤキ並木。ケヤキを避けるように街道が湾曲している

五日市街道成田西3丁目16番付近のケヤキ並木。ケヤキを避けるように街道が湾曲している

『荻窪風土記』誕生秘話

井伏鱒二の『荻窪風土記』には、『杉並風土記』など泰樹の著書からの引用や、泰樹から直接聞いた話が何カ所も出てくる。井伏と泰樹、この二人を引き合わせたのは、1965(昭和40)年創刊のタウン誌『荻窪百点』の編集長・松葉襄(まつば じょう)氏である。
「1973(昭和48)年に、”杉並の郷土史の会を発会したいので発起人になってほしい”といわれてお会いしたのが森さんとの最初の出会いでした。『荻窪百点』をやっていたので、荻窪界隈(かいわい)のことをよく知っていると思われたのでしょう。杉並公会堂の小会議室で開催された発起人会に参加しました」。松葉氏は、出版の経験を買われて、運営委員に任命され、会報の編集や校正などを担当。また、『杉並歴史探訪』『杉並の伝説と方言』『杉並風土記』 上・中・下巻の泰樹の5冊の著書の編集もしている。
泰樹との出会いから5年ほど後、「詩人の竹下彦一さんと一緒に『三つの神の会』の会長になっていただくお願いをしに、井伏さんのご自宅に伺ったが、あっさりと断られ、酒の席になってしまいました」。「三つの神の会」とは、西荻窪の「こけし屋」で開催されていた文化人の交遊会「カルヴァドスの会」にならって立ち上げられた、「バッカス(酒の神)、ミューズ(音楽の神)、ビーナス(美の神)の三つの神をあがめよう」という荻窪の交流会で、160人ほどの参加者があった。「会長を固辞した井伏さんも、例会には毎回楽しそうに参加されていて驚きました」。何回目かの例会の際、松葉氏が井伏に「荻窪のことを何か書いてくれませんか」とお願いすると、意外にも「荻窪のことを話してくれる人を誰か紹介してくれないか」という返事がすぐに返ってきたそうだ。そこで、当時、杉並郷土史会会長になっていた泰樹と、地元の古老を紹介したと語る。
それから間もなく、井伏の伝記「豊多摩郡井荻村」が、1981(昭和56)年2月から翌年6月まで「新潮」に連載された。その後『荻窪風土記』と改題され、11月に箱入りの単行本で上梓。今は文庫化されて多くの人に読み継がれている。

▼関連情報
すぎなみ学倶楽部 文化・雑学>読書のススメ>『荻窪風土記』

『荻窪風土記』(左)にたびたび紹介されている『杉並歴史探訪』『杉並区史探訪』『杉並風土記』上巻

『荻窪風土記』(左)にたびたび紹介されている『杉並歴史探訪』『杉並区史探訪』『杉並風土記』上巻

『荻窪百点』編集長・松葉襄氏。『荻窪百点』は今年で発刊55年を迎えたが、2020(令和2)年1月で休刊することに。「ブログで地域の情報は引き続き発信している」と語る

『荻窪百点』編集長・松葉襄氏。『荻窪百点』は今年で発刊55年を迎えたが、2020(令和2)年1月で休刊することに。「ブログで地域の情報は引き続き発信している」と語る

「三つの神の会」の井伏を囲んで。右後ろは若き日の松葉氏。1981(昭和56)年頃(写真提供:松葉襄氏)

「三つの神の会」の井伏を囲んで。右後ろは若き日の松葉氏。1981(昭和56)年頃(写真提供:松葉襄氏)

松葉氏が撮影した井伏の写真。「井伏の雰囲気がよく出ている」と自慢の一枚(写真提供:松葉襄氏)

松葉氏が撮影した井伏の写真。「井伏の雰囲気がよく出ている」と自慢の一枚(写真提供:松葉襄氏)

長女が語る 父・泰樹の思い出

泰樹の妻・美津江と一緒に『杉並風土記』の校正等を担当した長女、森敬子氏に、当時の思い出を語ってもらった。
「父は古老からの聞き取りにはテープレコーダーを持って出掛けていました。右手が不自由なので、話を録音してきて、家に帰って母の協力のもとテープを起こしていました。聞き取りは一回では済まないので何回も足を運んでいました。最初は見ず知らずの父が訪ねて行っても会ってもらえなかったようですが、何回も足を運んでやっと家に上がらせてもらったと言ってました。本を2冊ほど出した頃から、向こうから“調べてほしい”と声を掛けてくれるようになったそうです」
美津江は夫を手助けするため、古文書や和綴(と)じ、古地図などの勉強もして、製図台を買って地図も描いていたという。「郷土史会でも、発足以来、母は裏方に徹して、文字どおり父と二人三脚で会を盛り立てていました。明るい性格で会の皆さんからも慕われて、自慢の母でした」。ところが1997(平成9)年10月、美津江はがんの治療中に急逝。「父は平静を装っていましたが、最愛の伴侶を失ったショックは大きく、一時は鬱(うつ)状態に陥っていました」
翌年9月、泰樹は体調を崩し、区内の河北総合病院に入院。その後、伊豆韮山(にらやま)温泉病院でリハビリを続けたが回復せず、1999(平成11)年12月に杉並郷土史会会長を辞任した。
2000(平成12)年4月、泰樹は区内の特別養護老人ホーム「和田堀ホーム」に入所。2007(平成19)年9月に88歳で亡くなるまでこのホームで暮らした。この間、2000(平成12)年11月には杉並区文化功労者表彰を、2002(平成14)年10月には東京都文化功労者表彰を受けた。
杉並を愛し、杉並の郷土史研究に第二の人生をささげた泰樹の戒名は、「愛杉院泰安明歴居士(あいさんいんたいあんめいれきこじ)」と菩提寺(ぼだいじ)の天桂寺(てんけいじ)より授けられた。

「両親は“二人三脚”という言葉が本当にぴったりな夫婦でした」と語る森敬子氏

「両親は“二人三脚”という言葉が本当にぴったりな夫婦でした」と語る森敬子氏

在りし日の泰樹と美津江。いつも二人で郷土史会の見学会に参加していた(写真提供:森敬子氏)

在りし日の泰樹と美津江。いつも二人で郷土史会の見学会に参加していた(写真提供:森敬子氏)

ついのすみかとなった特別養護老人ホーム「和田堀ホーム」

ついのすみかとなった特別養護老人ホーム「和田堀ホーム」

いつも笑顔で

泰樹は杉並郷土史会会長や東京都みどりの推進委員・杉並地区会会長のほか、民生委員、町会長、白寿会(老人会)会長、阿佐谷地域集会施設運営協議会(現阿佐谷地域区民センター協議会)会長など、多くの要職にも就いていた。敬子氏は「それも、名ばかりの会長ではなく、積極的に会員を募集するなど実践的な会長でした。だから父がいたときはどの会も盛大で勢いがありました。“人から頼まれることは名誉なことだから引き受ける”というのが父の身上でした。父が写っている写真を見ると、どの写真を見ても中央でニコニコとほほ笑んでいます。歩けなくなり、車いすに乗っても、いつも“ありがとうね”と言って笑みを絶やさない人でした。人当たりが良く、父は本当の大人でした」と懐かしそうに語ってくれた。

森泰樹 プロフィール
1919年3月24日 富山県下新川郡松倉村稗畠(現富山県魚津市稗畠)に誕生
1920年頃 ポリオ(小児麻痺)を発症。東京帝国大学医学部附属病院
(現東京大学医学部附属病院)に入院
1933年頃 一家で上京後、現在の杉並区成田東3丁目に居を構え、自宅の敷地内で春雨の製造を始める
1944年 山尾美津江と結婚
1965-1970年 春雨製法特許2件、実用新案2件を取得
1970年 「合資会社森はるさめ製造所」を廃業し、郷土史研究を始める
1973年 気楽に郷土史を語り合える会の顔合わせ会に参加、自宅を会事務局に提供
1974年 『杉並区史探訪』出版
1975年 『杉並歴史探訪』出版
1977年 『杉並風土記』上巻出版
1980年 杉並郷土史会初代会長に就任。『杉並の伝説と方言』出版
1987年 『杉並風土記』中巻出版
1989年 『杉並風土記』下巻出版
1998年 体調を崩し区内の河北総合病院に入院、リハビリのため伊豆韮山温泉病院に転院
1999年 杉並郷土史会会長辞任
2000年 杉並郷土史会名誉会長に就任、特別養護老人ホーム「和田堀ホーム」に入所、杉並区文化功労者表彰
2002年 東京都文化功労者表彰
2007年9月26日 88歳で死去

※記事内、故人は敬称略
※1 望岳賦碑:佐久間象山の名作「望岳賦(ぼうがくふ)」を刻んだ石碑。戦後、行方不明となり幻の碑と称されたが、1972(昭和47)年に泰樹が高円寺のメルセス会修道院の庭内で発見。現在は、象山の生まれ故郷・長野市の象山神社に保存されている
※2 横倉家文書:高井戸の旧家「横倉善次郎家」の土蔵にあった385点の文書群。幕末から昭和にわたる商業活動を記録した経営文書が大半を占める。1985(昭和60)年、改築のため土蔵を取り壊す際、泰樹が文書整理を行う中で発見した

成田東の天桂寺の生前墓の前で(写真提供:森敬子氏)

成田東の天桂寺の生前墓の前で(写真提供:森敬子氏)

特別養護老人ホーム体験記『私の住家は五つ星?』を書き上げたが、出版には至らなかった

特別養護老人ホーム体験記『私の住家は五つ星?』を書き上げたが、出版には至らなかった

DATA

  • 出典・参考文献:

    『杉並区史探訪』森泰樹(杉並郷土史会)
    『杉並歴史探訪』森泰樹(杉並郷土史会)
    『杉並風土記』上・中・下巻 森泰樹(杉並郷土史会)
    『杉並の伝説と方言』森泰樹(杉並郷土史会)
    『杉並区の歴史』杉並郷土史会(名著出版)
    「杉並郷土史会会報合冊」第1巻~第5巻(杉並郷土史会)
    「杉並区立郷土博物館研究紀要・年報」第12号(杉並区立郷土博物館)
    「杉並区立郷土博物館常設展示図録」(杉並区立郷土博物館)
    「平成22年度杉並区文化財年報・研究紀要」(杉並区教育委員会)
    「杉並区文化財保護条例施行30周年記念誌 杉並区の指定登録文化財」(杉並区教育委員会)
    「すぎなみ郷土史物語」企画展展示解説リーフレット(杉並区立郷土博物館)
    『杉並の民家その1(旧篠崎家住宅)』(杉並区教育委員会)
    『杉並の民家その2(旧井口家長屋門)』(杉並区教育委員会)
    『荻窪風土記』井伏鱒二(新潮社)
    『井伏鱒二と『荻窪風土記』の世界』(杉並区立郷土博物館)
    『荻窪百点』第323号 松葉襄(明るい生活社)
    「読売新聞」1987年5月29日付 都民版
    「東京新聞」2020年6月6日付 編集長が撮った街と人
    「杉並新聞」1948年12月5日号、1973年1月1日号、同月14日号、同年6月14日号、同年9月16日号(西東京新聞社)

  • 取材:進藤鴻一郎
  • 撮影:進藤鴻一郎
  • 掲載日:2020年12月28日

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