戦争の記録を残すべく、杉並区に残る戦争関連の施設や場所などを取材。また、広島、長崎の原爆被害者とその遺族で結成する「杉並光友会」のメンバーを始め、杉並区にお住まいの方々から戦争体験を伺った。
掲載日:2022年04月18日
1931(昭和6)年生まれの女性が卒寿を迎えてから語り出した戦争体験は、女学生のみずみずしい普通の日々だった
掲載日:2015年11月24日
疎開先から戻ってきた学童が見たのは一面の焼け野原。しかし、校庭の隅に立っていたかしの木は残っていた!
掲載日:2015年08月31日
大正期から昭和初期にかけて、文化人の別荘地または都心に近接した郊外住宅地として発展してきた面を持つ荻窪。当時は屋敷林を持つ邸宅が数多く存在していた。その1つとして、かつて近衛文麿の私邸であった荻外荘が挙げられる
掲載日:2015年08月24日
米軍の攻撃目標対象外といわれていた浴風会。そこに目を付けた陸軍はその施設のほぼ半数を接収し、任務に励んでいた
掲載日:2015年08月12日
現在も近隣住民にとって身近な神社という存在である馬橋稲荷神社。静かな敷地内には、かつての戦争に纏(まつ)わる殿と碑がある
掲載日:2015年08月10日
戦前、馬橋公園を含む軍用地に、旧陸軍が飛行場建設を計画。計画は中止されたが、その用地の一部が陸軍気象部となった。現在の社殿は、2003(平成15)年に立て直された