作家・太宰治は1933(昭和8)年から1938(昭和13)年にかけて、杉並区の荻窪かいわいに住んでいた(※1)。太宰が住み、歩いたであろう場所を訪ねて、当時に思いをはせ、息遣いを感じてみたい。
2023(令和5)年4月、『太宰治 青春の終焉~無名の若者は荻窪で作家になった』や『伊馬春部 戦前編「桐の木横町」と井伏鱒二、太宰治との出会い』などの論考を執筆し、太宰について研究している萩原茂さんの案内で、太宰が住んだ5カ所の旧居跡のうち4カ所と、同時代の文化人のゆかりの地を巡った。
荻窪駅から散歩に出発
日本女子大学文学部教授・山口俊雄さんにも同行いただき、荻窪駅北口から歩き始めた。「駅北側の天沼2丁目には、『秋津温泉』の作者の藤原審爾や、「夕焼小焼」を作曲した草川信の旧居などもあります」と萩原さん。
青梅街道を渡った北側の路地にある杉並区立荻窪北第一自転車駐車場。この辺りで太宰は、1933(昭和8)年5月から1935(昭和10)年6月まで、同郷の先輩・飛島定城一家と借りた家の2階に住んだ。
そこから歩いて2分ほどの路地には太宰の友人・伊馬春部(旧筆名・鵜平。戦後、春部に改名)が住んでおり、路地は桐の木横町と呼ばれていた。井伏鱒二の著書『荻窪風土記』に「新宿ムーラン・ルージュで大当たりをとった伊馬鵜平の芝居「桐の木横丁」に因んで出来た名前」との記述がある。萩原さんは「伊馬の妹さんを取材したことがあり、太宰がよく家に遊びに来ていた話などを聞きました。伊馬によると、当時の太宰は毎日小説を書くか読書をしていたといいます。破滅型のイメージがある太宰ですが、真剣に文学に向かわなければ、あれだけの作品は残せません」と話す。
また、桐の木横町は、弁士の徳川夢声の住居の裏側にあった。夢声の本名「福原駿雄」と、かつてそこにあった安田火災の頭文字を取ったといわれるFY荻窪共同ビルが青梅街道側に立っており、その歴史をとどめている。
荻窪教会通り商店街を通って「セブンスデー・アドベンチスト 天沼教会」に向かう。太宰と師弟関係というだけではなく生活全般にわたって関わりがあった井伏の葬儀が行われた教会だ。「太宰や井伏が歩いていた頃の教会通りは、弁天通りという名前でした。通りの中ほどに、井伏の御用達のピカ一(いち)というすし屋がありましたが、もう店が変わって数軒目になりますね」
教会に併設している病院の東側には、日本画家の石山太柏がかつて居を構えており、画家を志したこともある井伏が訪問した時の様子が『荻窪風土記』に記されている。
次の目的地の区立天沼弁天池公園に行く途中、童謡詩人で小児科医だった都築益世の旧居跡の横を通った。「益世の父は、かっけの原因究明と治療薬の開発に貢献した医師の都築甚之助です」
天沼弁天池公園が開園する前、この場所には直径約35mの大きな天沼弁天池が存在した。「かつてここには、池畔亭という料亭がありました。公園の看板にある地図の原画は、荻窪の今昔を描き残した矢嶋又次の作品です」
公園からさらに北上し、日大二高通りへ。太宰は、この通り付近にあった下宿・碧雲荘(へきうんそう)に1936(昭和11)年11月から1937(昭和12)年6月まで住んでいた。2016(平成28)年に解体され、現在、跡地にはウェルファーム杉並複合施設棟が立っている。解体される前に碧雲荘に入ったことがあるという山口さんは「太宰は2階の一番いい部屋に住んでいて、床の間もありました。太宰の『富嶽百景』の中の便所の窓から富士山が見えたという描写も、ここから見えるかな?という感じでしたね。小説はフィクションですから、現実そのままではなかったのでしょう。窓の下にアスファルトの道があるように書いているのも明らかに創作です」と話す。
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次に訪れたのは、日大二高通りと青梅街道との間にある鎌滝旧居跡。鎌滝のあった場所は、今は現代的な集合住宅になっている。「鎌滝時代の太宰の部屋には太宰文学を愛好する文学青年が入り浸り、故郷の青森県の金木村(現五所川原市金木町)からの仕送りはほとんどその飲食代に消えたそうです」(※2)
鎌滝時代は、発表された作品の数が少ないため「太宰の沈黙期」ともいわれる。しかし1939(昭和14)年以降には、せきを切ったように短編作品が多く発表されたことなどから、萩原さんは著書『太宰治 青春の終焉~無名の若者は荻窪で作家になった~』で、「太宰は作家として一本立ちすべく先を見据えていたに違いない。鎌滝時代を「沈黙期」ではなく、私は「胎動期」と呼びたい」と述べている。
鎌滝旧居跡から青梅街道に出る。太宰が荻窪に住んでいた頃は、環状8号線(環八)や天沼陸橋はまだ無く、荻窪駅前(南口)から新宿方面に、後の通称「都電杉並線」が走っていた時代だ。その風景を想像しつつ、青梅街道の北側の歩道を駅に向かうと、JTB荻窪北口店がある公生堂ビルに着いた。「ここは以前、平野屋酒店(平野屋)でした。2階には井伏が住んでいました」
平野屋酒店には太宰も酒を頼んでいた。井伏の著書『太宰治』に、「酒は平野屋といふ酒屋から帳面で取り寄せてゐた。食事は下宿でつくる客膳といふのを持つて来させ、酒の肴にはタラコだとかウニだとか花ラッキョウだとか、そんなものを近所の漬物屋から取寄せてゐた」と書かれている。
青梅街道を渡り版画家・棟方志功の旧居へ向かう。太宰と同郷の青森出身である棟方が荻窪に住んだのは1951(昭和26)年からで、太宰と荻窪での接点はなかった。だが、1939(昭和14)年9月に日比谷公園内の松本楼で開かれた「『ふるさとの秋』を語る青森県出身在京芸術家座談会」に共に出席している。その時太宰が棟方の自己紹介にやじを飛ばし、棟方が応酬したというエピソードがある。
「一方で、太宰は中学2年の頃に棟方の初期の作品を購入し、才能を高く評価していたという話もあります」と萩原さん。太宰は「青森」という随想に、「私が中学二年生の頃、寺町の小さい花屋に洋画が五、六枚かざられてゐて、私は子供心にも、その画に感心しました。そのうちの一枚を、二円で買ひました。(中略)棟方志功氏の、初期の傑作でした」と書いている。
棟方志功の旧居から坂を下ると、荻窪白山神社の参道の中ほどに出る。「この“白山神社”と書かれた石柱の文字を揮毫(きごう)したのは近衞文麿。“昭和15年”とあり、その時太宰は三鷹に住んでいますが、荻窪にいた頃はこの辺りも歩いていたことでしょうね」
「環八」を越えて西側にある光明院(※3)へ。「井伏の随筆「太宰治のこと」によると「白山神社裏手の光明院裏の下宿」とあります。太宰が碧雲荘の前に住んだ照山荘アパートは、この辺りにあったようです」
最後に、駅南口の荻窪すずらん通り商店街入り口にある「いづみ工芸店」へ。1947(昭和22)年に創業した民芸店の草分け的な存在で、現在は不定休。「疎開先の富山にいた棟方を東京に呼び戻したのが、創業者の山口泉や、柳宗悦たちです。棟方の家を探したり資金を集めたりと尽力しました」
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太宰と、同時代の文化人のゆかりの地を巡る散歩はここで終了。荻窪駅北口からスタートし、ゴールの南口まで2時間ほどの散歩になった。
作家ゆかりの地を歩くことについて、萩原さんは次のように教えてくれた。「例えば、太宰の『津軽』は、弘前という土地を知ると読んだ時の感覚が違うと思います。小説はフィクションなので、現実そのままではないけれど、実際を知ると、小説との違いも含めて深まるものがあるのではないでしょうか。文芸評論家・前田愛の『都市空間のなかの文学』では都市と文学の関連性について、また、和辻哲郎の『風土』では風土と人間性の関係について、理解を深めることができます」
荻窪という土地は、太宰治の作品にどんな影響を与えたのだろうか。今回のコースを参考に、文学散歩をぜひ楽しんでみてほしい。
※文中、故人は敬称略
※1 荻窪時代の太宰の居住地(萩原茂『太宰治 青春の終焉~無名の若者は荻窪で作家になった』参考)
1933(昭和8)年2月~:本天沼2丁目(稲荷神社東隣)
1933(昭和8)年5月~1935(昭和10)年6月:天沼3丁目(杉並区立荻窪北第一自転車駐車場あたり)
1936(昭和11)年11月12日~:照山荘アパート(白山神社裏手の光明院裏)
1936(昭和11)年11月15日~:碧雲荘(天沼3丁目/現ウェルファーム杉並複合施設敷地内)
1937(昭和12)年6月~1938(昭和13)年9月:鎌滝(天沼3丁目)
※2 「鎌滝での客は主に緑川貢、塩月赳、長尾良、山岸外史の四人で、他にもいわゆる太宰ファンがときどき来ていた」(『太宰治 青春の終焉~無名の若者は荻窪で作家になった~』)
※3 光明院:杉並区上荻2-1-3にある真言宗豊山派の寺院。正式名称は慈雲山荻寺光明院。当寺の縁起石碑には荻窪という地名の発祥の地と記されている
『太宰治 青春の終焉~無名の若者は荻窪で作家になった~』萩原茂(吉祥女子中学・高等学校「研究誌」第42号抜刷)
『伊馬春部 戦前編「桐の木横町」と井伏鱒二、太宰治との出会い』萩原茂(吉祥女子中学・高等学校「研究誌」第38号抜刷 荻窪界隈文学散歩14)
『走れメロス』太宰治(新潮社)
『太宰治』井伏鱒二(中央公論社)
『荻窪風土記』井伏鱒二(新潮社)
『太宰萌え』監修・岡崎武志(毎日新聞社)
『杉並風土記』森泰樹(杉並郷土史会)
『太宰治全集第三巻』太宰治(筑摩書房)
「東京人 2018年7月号」(都市出版)
『杉並文学館-井伏鱒二と阿佐ヶ谷文士』杉並区立郷土博物館
『井伏鱒二文集 第7巻』(月報)井伏鱒二(筑摩書房)
協力:萩原茂さん